自閉症の育児方法

【自閉症が憎い!?】自閉症とアイデンティティの関係

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こんにちは。

ネット疲れを起こしてるぴょんです。

 

現代社会は、情報発信がとても容易になっています。

 

しかし、メリットとともに弊害もかなりありますよね。

 

インスタで自分よりも裕福な生活やキラキラしている人が目にはいってしまう。

(私はインストのやり方知らないので見れませんが)

 

自分と同じ意見の人が集まって、違う意見の人を敵として攻撃しあっている。

 

私は、昔は「障害についての想い」なんかを結構、Twitterで自分から自己主張していたのですがそれはやめました。

(でも眺めてると、気になる文に受動的に反応してしまうことがあります・・・)

 

例えば、私は

 

「自閉症さえなくなれば」とか

「自閉症を改善する」とか

「自閉症を予防しよう」

 

などの言葉に、心が揺さぶられてしまってました。

 

まるで自分の存在を否定されているような気がしたからです。

 

自尊心を傷つけられたと思って、それは激しい怒りを感じたものです。

 

 

しかし、たくさんの情報を集めているうちにわかったことがあります。

それは、どうやら「我が子は可愛いけど障害は憎い」という気持ちを持っている方がいらっしゃるということです。

 

私はそれを知って思いました。

「そうか。障害は障害。子供の存在は存在」で分けられているんだ。

 

「くっついていない(一体化してない)人もいるんだな・・」と思ったのです。

 

一体化していない。

 

言葉の表現って本当に難しくて、どんな意味をくっつけているか?は人それぞれです。

そして、どの意見も考え方も感じ方も正解です。

 

どんな感じ方も捉え方も考え方も正解ということは、どれも不正解であると同じこと。

 

 

ポジティブばかりなのは、ネガティブばかりなのと同じことです。

 

なぜならば、「見たい一面だけを見たいようにみているだけ」という点において、「ポジティブだけ」なのも「ネガティブだけ」なのも、同じだからです。

 

 

ですから、私は皆さんが愚痴も含めた意見を発信してくれているおかげで

「障害だけが憎い」人は、発達障害が子どもから消えてくれたらいいと願いますが

 

「発達障害が治ったらいいのに」と願うことに存在否定の悪意はないと知ったのですね。

 

それは私が自分で情報を集めて、そのような考え方の人の理解を知っていく過程で自然に理解されていったことであります。

 

でも、たぶんなのですが、「障害さえなければ愛せたのに」というお辛い気持ちをされている方の言葉は当人にとっては申し訳なさや罪悪感もあってのことだとは思います。

 

しかし、障害を持っている子どもや障害を受け入れようとしている親、あるいはようやく障害を受容できかけた親にとっては

 

ナイフで刺されたように、とんでもない言葉に聞こえたりするのです。

 

「B型なんてこの世からいなくなればいいのに」

 

と同じ意味に聞こえてしまうからです。

 

私は、相手を理解するのは自分のためです。

 

自分が「自分の視点からしか見れていない」ために、否定されたと感じたときの怒りや辛さを軽減するために行っているのですね。

 

私は自分を知る・理解すればするほど、人生が生きやすくなっていきます。

 

つまり「知らないことがたくさんある」というのは、今後、生きやすくなるための土台が用意されているということなのです。

 

これは「できないこと」にも適用されています。

できないことというのは、現在はできていないだけにすぎません。

 

未だできてません。(できるようになる予定です)ということですね。

 

当たり前なのですが、植物をそだてていますと「芽が出ない種」があったりしますね。

 

でも、実は少し芽が出るのが遅いだけで、いずれ出たりするのです。

 

今はまだ芽が出てないからといって、土をほじくり返して「種」を探し出して、捨てたりはしないでしょう?

 

でも、私は時々してしまうことがありますね。

 

特に自分に対してしてしまうことがあります。

もちろん、種をほじくり返して捨ててしまうなんてことはしません。

 

しかし「花壇を間違えていた」ことがあると、少し混乱します。

 

私の中では、同じ要素は、同じ花壇に植えられています。

 

そうでなければ、種子や〇〇科などの分類わけを間違えてしまうと、キレイなロジックツリーができないからです。

 

そうなってくると一大事です。

 

私の中のこの要素はこの花壇に植えている」

 

でも、本当はその花壇の仲間の種ではなかった。

 

同じ仲間ではない。

 

間違った場所に分類されている。

 

これは大変なことなのです。

 

花壇を変えるか・・・どうしたらいいのか・・・・

 

私は、花壇の名前を変えることにしました。

 

「どこにも属さない花」

 

その花壇の名前を「どこにも属さない花」と書きかえた。

 

「どんな花が咲いてもいいんだよ」ということです。

 

見たことのない花が咲いたら、私が名前をつけよう。

 

それが私の花なのだから。

 

間違った分類で、混乱しかけた自分(4月7日分)とりあえず収まったのです。

 

 

みなさんにも、それぞれ花壇があると思うのです。

 

なかったらすみません。

私は映像で概念を思考して、書き換えるときも映像でしているので皆さんの脳内がどうなっているのか?はわかりません。

 

 

でも、花壇があったとして。

 

「隣のお庭の高く咲き誇るヒマワリ」を見て羨ましがる必要もないですし

 

自分の花壇をぐちゃぐちゃに荒す必要なんてないんですね。

 

 

「定型発達」のように、太陽の光を一身に浴びて

いつもお日さまと挨拶しているような向日葵の「キラキラ感とパワー」はそれはそれで素敵でしょう。

 

そのお庭の向日葵は、待ちゆく子どもや大人にも人気のよく知られている花ですから、「素敵ですね」と多くの人が声をかけていきます。

 

しかし、あなたの花壇にある種をしっかり見てあげてください。

 

よれよれで少し細い茎。

だけれど、一生懸命に、伸びようとしていませんか。

 

「まーた。変なところにつるが伸びて絡まってるわ・・・」となっているかもしれません。

 

でも、ここまで育ってきたんですよね。

 

それを引っこ抜くなんてできないはずです。

そして、その花壇は守らなければなりません。

 

土壌をたがやし、水を与えて、向きを調整して、日の光を注ぐのです。

 

向日葵は、明るい太陽の光を浴びても大丈夫なのですが、もしかしたら日陰の方が育つ植物もあるかもしれません。

 

あなたは、植物を知る必要があるのです。

 

そして、お子さんにも花壇を見せてあげるといいですよ。

 

誰でも持っているんですから。

 

私は、ときどき。

 

「自分の花壇が見えない人」に声をかけるときがあります。

 

 

その人は自分の花壇の花が見えていないようなのです。

 

素敵な花を育てているのですね。

なんてすてきな花。

 

でも、その人の目線からは見えない場所に咲いているのだから当然なのですね。

 

庭の外側で「通り過ぎる人が気づく場所」に生えているのだから。

第三者にしか見えない花。

 

私は見つけたら必ず教えるようにしています。

 

だって、「発見した」のに気づいていないなんて、もったいないから。

きっと喜ぶはずです。

「こんなところにこんな植物があったなんて!!」

 

発見した喜びを人とわかちあうのは、とても楽しいサプライズですね。

 

さて。

 

あなたの花壇には、何を見つけることができるでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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  • この記事を書いた人

ぴょん

はじめまして。ぴょんです。 中2自閉症男の子の母親。 支援や療育の記事だけを別のブログに引っ越しました。 サイトはこちら 発達障害の療育の勉強をしながら、自閉症の親として成長していく体験レビュー型ブログを目指しています。 そのほか、自閉症やADHDの子育てで気づいたことの情報発信もしています。 よろしくお願いします。

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