自閉症の育児方法

病んで人を信じられなくなると起きること。

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こんにちは、先日、落とし穴に自分ではまってしまったぴょんです。

 

現在は修復済みです。

 

いま、また気づきを得たことがあるので、皆さんにシェアしますね。

 

メンタルダウンして病んでしまった次元にいるとき、私は「他者を信じなくなる」ということが起きがちになるんですね。

 

 

「あなたに何がわかるんですか?」と。

 

  • 他人が前向きに私を励ましてくれても心に響かない

 

こういう、人を拒絶したような感覚に陥るんですね。

 

 

(注意:怒りにとらわれていたのは2~3時間なのでその怒っているとき数時間の話です)

 

言葉で何か言われても、そのときは自分自身の思考の思い込みが強すぎて、捉われているのでムリなのです。

 

(別に他者から励まされてないですが、どう考えても、その思い込みに支配されているときは、他者の言葉で自分の思い込みがほどけることはないでしょう。)

 

たぶん、私だけではなくてメンタルダウンしている方はそうだと思います。

 

前向きなアドバイスをされて「なるほどね!!その考え方いいですね!!」ってすぐに視点変えられたら、その人は病んでそこにいません。

どんなに励ましたり、視点を変えても、心に響かない。

 

自己否定を繰り返して、悪い面だけを虫めがねで見ていました。

 




心が強い・弱いとうのはないのです。

 

前の記事でも書きましたが、ストレスを受けたあと「受け流す力」が強かったり「ストレスの処理がうまい」人が、心が強いと言われてるだけです。

 

  • 自分で傷をいやす(自己回復する)
  • 他人に癒してもらう(他者に回復してもらう)

 

 

思考で信念を変えるのは、認知行動療法やアクセプタンスコミットメントセラピーなどの得意分野になっています。

 

でも、思考がガチガチに固まっている場合、論理で固められているので他者の言葉は、心が元気になれるまでの即効性がありません。

 

ポイント

言語からメンタルを変えるのは、3か月くらいかかる

 

 

先程もいったように「心へのアプローチ」のほうが速いです。

 

 

ずっとメンタルダウンしている人は、たぶん「受け取り力」が低すぎるんです。

 

 

 

 

ぴょん
受け取り力とは「受信力」「感受性」と言い換えてもいいです。

 

 

 

私は繰り返しますが怒りを感じているあいだ、「恵まれている人に何がわかるんだよ」という思考で固められていました。

 

 

その凍った心が溶けたのは

 

他者が「頑張ろうとしている姿」でした。

 




障害の子供を持ってるわけではない他の人が、障害者の親のために、「理解しようと寄り添おうとしている姿」を見かけたからです。

 

そら【立ち直る力×信じる力】の記事一覧|note(ノート)

 

社会的立場が弱い方(発達障害、闘病の方、学歴や職歴など人生で苦しんでいる)には、DMで常に優しく寄り添う。悩みを聞いたり助けてあげる。      
最終的には、その方々には勇気を与えられる存在になりたい。
実際に、会っていく機会を増やす。
勉強というより、人と向き合うことが毎日勉強になる。

人とのつながりは財産であり自分の魅力を上げる要素の一つになるので「人」とのつながりに関連する勉強していく。

(引用:そら【立ち直る力×信じる力】の記事より)

 

 

 


たまたま、2つのツイートを見かけたんです。

 

 

世の中には、「弱い人たちのことをわかろうとしてくれる人もいるんだ・・・」

 

 

「え?そんなことで病んでる心から立ち直ったの?」信じやすいって言われたらそうかもしれません。

 

 

辛いよね・・・と自閉症の傷をなめ合っているだけのツイートでは私はエネルギーをもらえませんでした。

これですと「怒りや悲しみ」だけを共有するみたいで、マイナス感情を打破するための前向きなプラスのエネルギーとして自分の中に生まれるわけではないのです。

 

 

なんていえばいいんだろう・・・・・

 

 

そうだ!!

 

例えば、アニメなどで主人公の「意識が朦朧としていて死にかけている」設定を思ってみてください。

 

そのときに、「ああ・・・自分はもうだめだ。死ぬんだ」ってあきらめている自分がいたとしますね。

 

 

そのときに、「自分たちをなんとかしようとしてくれる人たちを見たらどうでしょうか?」



震災で、がれきの下敷きになったとします。

 

そのときに一生懸命、助けようとしくれる人がいたら、「うなだれて自分の力で脱出するのをあきらめている自分」は、頑張ろうって思えませんか?

 

助けようとしてくれる人がいること。

 

その想いですよね。

 

 

 

わたしは、「世の中には弱い者の気持ちなんて理解しようとすらされないんだ」と荒んでいたのですが、頑張ろうとしてくれる仲間がいるということ。

 

それを見かけたことで、元気になったのです。

 

 

怒りや憎しみや悲しみで繋がって、愚痴を言っているだけのエネルギーではできないことです。

 

「弱い人に寄り添って勇気を与えたい」(そらさん)

「弱い人の気持ちがわかる経営者になりたい」(はろさん)

 

 

これは、この2人の方の想い。

 

凍った心を溶かすのは、「愚痴の共有ではない。」

 

プラスに転じる前向きなエネルギーだけです。

 

わたしは、2人の想いに触れて、泣きました。

 

(感涙ですね。)

 

それだけ、「障害者をわかろうとしてくれる人なんて世の中にいない」という気持ちがうずまいて弱っていたのでしょうね。

 

 

これが、たぶん「受け取る力」だと思うんです。

 

他者の気持ちや見えない想いを「ちゃんと受け取れる」こと。

 

思考で固められた論理は崩せなくても。

 

わたしには「感受性」という武器があるのです。




ですから、メンタルダウンしてしまって人を信じられなくなっっても、心で感じ取ってみてください。

 

「受け取る力」というのは大事です。

 

 

これは普通は「自己否定」していたら、受け取れないはずなのです。

 

「自分にしてくれたこと」は「自己否定している人」は自分がそれを受け取るだけの価値がないと深層心理で思っているので、受け取れないのです。

 

しかし、自分なんて・・・って思っていても

 

「世の中のために頑張ろうとしている人」を拒否するのは難しい。

だって、わたしは「世の中ではない」のだから。

 

 

世の中へ広がる美しいエネルギーを見て、自分のエネルギーもあがるということです。

 

だから、病んでしまったら「関係することで頑張っている人」を見るといいと思います。

そして、その想いを受け取ってみてください。

 

 

注意ポイント

このとき注意したいのは、「(関係する人=)他の自閉症の親」を対象にしてしまうと、「あの人はできているのに私はできない」と嫉妬や劣等感が刺激されることがあります。

 

ですので、自分の属性と関係ない人の頑張り(自分に関係ある)を見るといいと思います。

 

例えば、自閉症のお子さんを持っていない支援者さんが自分たち自閉症の親子のために頑張ってくれてるとかです。

 

 

これだったら、「支援者さんは親ではない」ので、「あの人はできているのに私はできていない=ダメな親だ」とか比較が起きず干渉がおきません。

 

 

 

病んでいるときは、自分と近い人や同じ属性の人はだめです。

 

エネルギーの干渉度合いが大きすぎます。

 

 

 

「支援者さんは、仕事だからやってるだけでしょ?」

 

「支援者さんはいいですよね~。嫌になったら辞めれるでしょう?こっちは人生ずっとやめられないんです」

 

「ニコニコ笑顔で大丈夫ですよ~とかいってても、どうせ心の中では障害者の親子を見下しているんでしょう?」

 

 

 

こう思ってしまいたくなるかもしれません。

 

しかし、それは「自分の過大評価、相手の過小評価」なのです。

あと、支援者さんが思っているのではなくて、自分がそう思っているんです。

 

 

認知的フュージョンといいます。




考えてみてください。

自分の子どもに叩かれるのも辛いですが、他人の子どもに叩かれたり暴言を吐かれるのも辛いものなのです。

 

どっちが辛いとかではないです。

 

それでも、ニコニコして弱音を吐けないで励まそうとしてくれる支援者さんをあなたは突き放せますか?

 

もっと心を開いてあげてください。

 

 

 

世の中や他人を信じる力は必ずあなたの中にあります。

 

もっと、自分の中に信じる力があることを信じてあげてください。

 

 

 

 

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  • この記事を書いた人

ぴょん

はじめまして。ぴょんです。 中2自閉症男の子の母親。 支援や療育の記事だけを別のブログに引っ越しました。 サイトはこちら 発達障害の療育の勉強をしながら、自閉症の親として成長していく体験レビュー型ブログを目指しています。 そのほか、自閉症やADHDの子育てで気づいたことの情報発信もしています。 よろしくお願いします。

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