こんにちは、ぴょんです。
と思ったことはありませんか?
今日は、自分への戒めに「幸せになれる方法」を紹介します。
これは私が試した方法の中でもっとも効果のあった方法です。
それは、「感謝すること」です。
「なんだ。またそれか」と思うかもしれません。
色々な自己啓発などで聞き飽きたであろう感謝を無理やりするととてもつらくなってしまうので、そういうことではありません。
感謝しようというのは人にすすめられてするものではないのです。
結果的に「それは感謝につながる」というのが正しいです。
だから、最初から辛い思いをしているときに「感謝しよう」というのではありません。
ムリだからです。
殴られている辛い思いをしているときに「殴ってくる相手に感謝しよう」ということではありません。
自己啓発だと「感謝が大事!!」というのですが、そうではないんです。
自己啓発の人たちの「感謝」って、じゃあさ「ひどい借金や浮気モラハラ夫」や「虐待する毒親」にも感謝して生きればいいの?
って話になるじゃないですか。
そんなことはないんです。
だから、辛い気持ちを持っているのに「感謝なんてわかない」のです。
それでいいんです。
自閉症の育児で「耐えている」ときというのは。
「不幸感を感じている」わけですから、感謝なんてできないんですよ。
だから、「幸せになる方法」は感謝するなのですが、それは結果論で湧き出た感謝の念なわけでして、そのときにやらなくていいんです。
そして「感謝は他人の中に見つけてするもの」ではなくて「自分の中に見つけてするもの」なのです。
これが「感謝できない特徴」です、私も誤解してたので最近気づいたんですけどね。
「自分が持っているもの(存在・リソース・持ち物・環境・五感)」に感謝するんです。
感謝しようとか思わなくていいんです。
感謝というのは高次の情動ですから、「念」や「感」のように感じるものなのです。
感じられないものを「感じろ!」って変ですよね?
他人にベクトルをむけるのではなくて。
あくまでも自分の中にベクトルを向けます。
自分をまっすぐに、広大な自然の中に立たせてみてください。
動物が寄ってくるかと思います。
そのとき、あなたは「動物と触れ合える喜び」に気づくはずです。
スコールが降ってきたら、天の恵みに胸躍るでしょう。
そして、綺麗な夕焼けを見ることのできる眼に感謝することと思います。
ちょっとたとえがよくわからないかもしれませんが、こんな感じです。
上から「命の喜び」「自然の恵み」「五感の喜び(感動)」となっています。
なぜ、一番目は「人間同士の交流」ではなく「異種族(動物)」かというと。
人間同士だともうそこには「生命の喜び」ではなくなってしまうのです。
もっと打算的な利害が入ってきてしまいます。
それでは「私が存在していることへの気づき」にならないのです。
ただいるだけで何かをもたらさなくても価値があると思うためには、「思考」よりも感じることです。
ココがポイント
「存在・五感・リソース・環境・持ち物」の順に満たしてください。
存在を満たすということは「ああ、私って生きてるな!!今日も清々しい。何をしようかな」という感覚です。
これは難しくなくて、「朝、起きたら窓を開けてお日さまを見あげて清々しくなればOK」です。
今日も一日がはじまるなっていう感覚です。
このときに、「お日さま」にむかって「今日も昇ってくれてありがとう。今日もよろしくね」と言います。
これは地球に挨拶をするということです。
挨拶をするということは、「あなたの存在を認めますよ~」ということです。
地球の存在を認めると、私たちが生きているのが奇跡のように思えると思います。
こういった感じで、例えば「椅子」には「いつも重いお尻を支えてくれてありがとう」とか言っていけばOKです。
機能的ことは言いやすいと思うので、言っていくとそのうち自分の五感にシフトすると思います。
「おいしい!!心地よい!!気持ちいい!!ワクワクする!!嬉しい!楽しい」などです。
これってなんですか?
もし走っていて爽快感を感じるのであれば「走る自分を感じる」ということ。
走れる自分ってすごくないですか?
美味しいものを味わえる自分ってすごくないですか?
このとき、「ロブションのオマールエビ美味しい~!!」とロブションの海老に視点をむけるのではなくて、「おいしいと感じている自分の味覚」に注意を払ってください。
海老がおいしいのではなく、あなたの五感がおいしいと感じたことが重要です。
ここはシェフというその料理を創ったシェフにもつながってきます。
海老がおいしいのではなく「海老をこんなに見た目(視覚)も味(味覚)も満足させることのできた存在がいた」ことに注意を払いましょう。
そのシェフは海老がおいしいからそこにいるのではなく、海老をおいしくするためにそこにいるのです。
うーん・・・伝わりにくいかもしれません。
そうですね。
例えば、男性があなたを素敵なレストランに連れて行ってくれたとしましょう。
そのとき、「このレストラン美味しい~!この料理すごーい!!雰囲気いいね!!うわあ、美味しー♡」と言いませんよね?
まあ、いうんですけどね。
存在を忘れないでほしいのです。
モノを褒めるのではなく、「存在」です。
「美味しい~!この料理すごーい!!雰囲気いいね!!うわあ、美味しー♡」
こんな素敵な場所を知ってて、この場所に連れてきてくれるなんて嬉しい!!すごい!!ありがとう!」
こうです。
オマール海老がすごいのではありません。
オマール海老はオマール海老として、ごくごく自然なのです。
それをおいしくした存在がいますので、そのシェフだからオマール海老はオマール海老としての魅力が発揮されたのです。
オマール海老に感謝するのではない。
(それもするけど)
その前に「目の前の(見えないけど)それを生み出している人」に感謝するのです。
私たちが「一日が迎えられるのは、確実にお日さまがちゃんと今日も昇ってきたから」でしょう?
ダークマターのエネルギーが究極進化したあげく、decompressionを起こしたとしましょう。
地球の均衡が崩れ去り、宇宙の素数分解が加速してエントロピーが最大化したあげく重力定数が100KM落下速度が30Kmになったとします。
すると、私たちはふわふわと浮いてしまうために、うまく走ることができなくなります。
少しの力で宇宙に一直線に投げ出されるので、人と握手をすることもできなくなるのです。
これは適当にふざけて書いたのですが、要するに「お日さまが地球に存在するから恵み」もあるわけです。
その存在気づけばすべてのものは存在しているだけで豊かであることがわかると思います。
さきほどの「椅子に感謝する」のも、最初は「重いお尻を支えてくれてありがという」というのは、お尻の下にある椅子の座面の存在を感じることからスタートだから、このように言っているのです。
そのあと、できると「その椅子を作った人がいる」ということを考えてみましょう。
木こり。(いやいないか。)
木を切ったり、それを加工した人。
その椅子の設計をした人。
下請けとかの工務店。
材料を運んでくれた人や、商品の配達店。
商品になってあなたの家に届くまでに、たくさんの人が手間暇かけて頑張ってくれました。
それを思うと、「いやあ~。15万円の価値があるなあ」とか思えると思います。
別にお金に換算しなくてもいいのですが、適当に携わった人の「椅子にかけた時間の総数」だとそれくらいになるのです。
存在しているだけでも、すごい輝いて見えてきましたね。
そうやって1つ1つ自分が「持っているもの」のつながりと(効果)を改めて感じてみてください。
これが感謝の気持ちにつながっていくわけです。
間違っても「感謝しよう!!」と言われてすぐに感謝できるものではないのです。
五感から湧いてくるものや感じるものなので、まずは「感じる力」を高めると幸福に近づいていきます。
感じるというのは「いま」に集中しなければなりませんから、「今持っているリソース」特に「今していることに焦点をあてて味わう」ことが
感謝につながって幸福感が高まっていきます。
ぜひこれをしてみください。
これをやっていけば「お米1粒がおいしいし、我が子の笑顔を見るだけであったかさを感じたり」できるようになりますから。