こんにちは、ぴょんです。
最近、といってもほんの3週間ほど前のことですが
エネルギーが落ちてしまっていたので、かなりたっぷりと時間をかけてエネルギーの底上げをしました。(笑)
このエネルギーが枯渇してしまいますと。
「他人に元気を与えること」はおろか。
自分が思うように、動けなくなってしまいますからね。
そうしますと、抑うつ状態になってしまいます。
さて、それはさておき。
エネルギーといえば、皆さんはモノにもエネルギーがございますこと、知ってらっしゃいますでしょうか?
もちろん、空間にもエネルギーがございます。
気でもいいですが、エネルギーと呼んでいます。
物や空間にエネルギーを与えるのは、皆さんなのです。
例えば、散らかっている部屋にいくと「不穏な気持ち」を感じるとします。
この場合は乱雑さではなく、ボロボロで廃墟のようなイメージだと思ってくだされば結構です。
それは、「不穏だと自分で思っている」からなのですね。
説明が下手なのですが、物を見ると「気分が上がる」ものもあれば「下がる」ものもありますね。
例えば「パソコン」を例にしてみましょう。
パソコンというのは、「モノ」ですよね。
ですから生命エネルギーなんてないと、お想いになられるでしょう。
でも、「パソコンを見るととてもテンションが上がる」人もいらっしゃる。
それは、「パソコン=好きな感情」と結びついているからです。
この場合は、感情エネルギーですが、情報エネルギーもあります。
「図書室=本が読める場所」
このように空間が意味づけされている場合、「本が好きな人」にとっては図書室という空間は、「本が読める!!」という好きなエネルギーを持っているといえるのです。
反対に、「図書室=調べものをして苦痛だった」このように意味づけをしていると
「図書室」は「嫌なエネルギー」を持つ空間として作用します。
パニック障害の方は、「エネルギーで紐づけされた空間」へ一般化されてしまうということ。
空間の持つエネルギーは、とても抽象度が高いのですね。
さて。
あなたは、すべての物に「意味(役割でも可)」を与えているでしょうか?
もし、与えていないとすればとても残念なことですね。
物にエネルギーを感じられないのだとしたら、それは「役割が終わっている」ということ。
例えば、「穴の開いたボロボロの服」。
対して「新品のお気に入りのワンピース」
どちらがエネルギーが高いと思いますか?
もちろん、後者ですよね?
なぜならば、前者は「役割」を終えているから。
でも、「ボロボロの服を大事そうに来ている方もいるじゃないか」と思いますよね。
そう。そういう人は「服=肌を隠すもの。」みたいな役割を与えているの。
着られたら、なんでもいいって感じね。
対して「服=異性に好かれるためのアクセサリ」だと思っている人は、モテそうな服を選ぶわ。
この場合、「役割はモテる」ことなので(笑)
高くても、モテそうにない服は役割を果たせないわ。
つまりその人にとって「その服はエネルギーが低い。」あるいははエネルギーを持っていない。
「服=信頼を得るため」という人もいらっしゃるし。
「服=自己表現」という人もいらっしゃいます。
私は、かなりエネルギーを込めてこの記事を書いているわ。
込めているというか(笑)
自己表現としてのブログの書き方は面白いのだけれど(エネルギーがあがるので)
決められたことをテーマにそって調べて書くのはつまらないわ。
義務感だもの。
この場合、私は記事をかいていても「エネルギーがあがらない」のです。
気分を下げる・上げるという二元論は苦手だけれど。
あなたの「気分の上下」は何かしらのエネルギーがのっているってこと。
エネルギーっていうのは、つまるところ。
「どうあるか?」ということなのです。
そうね。
自閉症のお子さんの未来で、説明してみましょうか。
自閉症のお子さんをお持ちの方で、「我が子の未来について落ち込んだり・嫌な気分になる」
これは「エネルギーを持っている」状態。
マイナスのエネルギーがある。ということね。
マイナスならば、「エネルギーないのでは?」と思うかもしれません。
電荷でいうと、(ー)のエネルギーを持っているというのはありますよね。
そういうイメージです。
エネルギーは「役割を与える」と活性化すると申しました。
なぜならば、役割がないものは「エネルギーが消える」から。
そしてエネルギーとは「どうあるか?」とも申し上げました。
つまり「どうあるか?」というのは、基本的に外側にむけたエネルギーです。
つまり「外側」社会にむけたものなのね。
「なりたい自分」というのは、理想のこと。
このなりたい自分って、外側にむかっている自分のことなのね。
だって、すでにあなたも私も、未完成で完成している存在でしょう。
ですから、内側にむかったとき、すでに「あるがままで存在する」のですから
エネルギーでいうと、凪(なぎ)なのです。
そのままの状態、あるがまま、そこにぴたりと制止している。
穏やかで波がない状態の海のようなもの。
そこから、エネルギーを起こすには、外側へ向かう力が必要なのです。
「(自分は)どうあるか?どうなりたいか?」というのは、外側の世界、つまり「社会にむかって自分はどうなりたいか?」ってことなのですね。
つまり、なりたい自分って「外側に見せたい自分」なのです。
そして、それは「エネルギー」=役割=どうあるか?となる。
これが自閉症の子どもにおいて、マイナスエネルギーになるってことはどういうことかといいますと。
「社会にむけて外側に」(エネルギーのベクトル=向方向?)
「(・・・見せたい) 子ども」(誰に?)
「(・・・は)どうあるか?(=役割)」(なりたい他人・自分)
このような脳内の計算式が描かれているでしょう?
この図式の最後の「役割」のところでつまずいてしまっているのです。
つまり
「社会でこんな風になってほしい」という役割が、「マイナスエネルギーの未来」とオーバーシンクロしている。
オーバーラップではなくて、オーバーシンクロです。
未来のエネルギー(こうなってほしい=+=期待値エネルギー)≒現実のエネルギー(自閉症での社会像=なってほしい子ども=マイナス)
壁壁壁壁 ≒ 現実からの未来エネルギー(決定=役割を与える+エネルギー)
これには、矢印がありまして未来からのエネルギーを決定づける、すなわち
「寝室=ゆっくり寝る場所」
「リビング=家族がくつろぐ場所」
「図書室=本を読む場所」
のように、「与えた役割」(=エネルギー=どうあるか?=自分で決めた役割)
を維持して、エネルギーを持っていますよね。
そのじこっ決定するエネルギー(役割)が、現実の役割(エネルギー)とめちゃくちゃに乱れてしまって、自分でエネルギーレベルを決めることすらままならないということです。
「何いってるんだ?」と思うかもしれません。
私も何言ってるんだろうって思います(笑)
感覚分析ですからね(笑)
簡単にいうと「部屋に役割」「モノに役割」を決められるように。
自閉症のお子さんの「未来の役割(社会でどうあるか?)も決められるのですよ」と言っています。
モノにエネルギーを与えるのも、与えないのも、私の自由だわ。
つまり「自閉症のお子さん」にもプラスのエネルギーを感じるようにできるのも、あなた次第ってこと。
それと同じで、未来にマイナスのエネルギーを生み出すか?
未来にプラスのエネルギーをのっけるか?はあなたのエネルギー次第なのですよ。
そして、「放ったエネルギー」って実現するのです。
放ったエネルギーの差分がですけど。
そうね。
ゴムバンドあるじゃないですか?
あのゴムを伸ばすと、エネルギーが貯まるのおわかりになられますか?
それが未来と現実の図ね。
ちょっと乱暴だったわ(笑)
私の映像化もちょっと適当なこともあるの。
つまり「自閉症のお子さんの未来を決定」するの。
そうじゃないと、ギャップエネルギーは生まれないので。
でも、これは「現実を見据えて」やっていただかないといけないわ。
未来からの現実。
現実からの未来だと、現実の延長線上の未来になってしまいます。
未来を決めるだけ。
それって「物にエネルギーを与える」のと同じ仕組み。
あなたにとって「素敵な未来を呼び起こす物U(プラス)」も「何も起きない物(プラマイゼロ)」も「絶望な未来を呼び起こす(マイナス)」のも。
あなたがエネルギーを与えているだけに過ぎないんです。