こんにちは。
今回のテーマは「今の時代は素晴らしい」です。
私は思うんですよね。
「今の時代でよかった」と。
まず、就職しなければ生きていけないという時代ではなくなったこと。
インターネットができたことによって、誰でも簡単に「情報」が手に入るようになったこと。
さらには「情報発信」も、個人でできるようになりました。
電波を自由に使えることができるので
(!!)
その電波を使って動画を世界に発信することさえ可能です。
インターネットでサイトを作って、売ることもできます。
副業が解禁されています。
(★一部の公務員はのぞきます)
会社に「雇われるしかなかった」時代から、
自分で起業して、お金を稼ぐ可能性というのは圧倒的に
広がってきていますよね。
だから、中卒でも高卒でも、お金を稼げるフィールドが用意されています。
日本は先進国から脱落しそうという見解もありますが
その中においては治安もいいです。
夜に女性が出歩いても、そこそこの治安が確保されています。
しかし、わたしの母はいつも「もう今の時代は終わってる」とすぐにいいます。
政府や社会の悪いところばかり文句や悪口をいってます。
そんなに不満があるなら、今からでも、自分で活動したらどうです?
福祉の世界が終わっている!!政府は障害者たちを蔑ろにしていると思うなら、自分が代わりに改革すればいいです。
私は考えるよりも、行動してしまうことが多いので
とりあえす「形から入ってあとはなんとかしよう(なるだろう)」と思っています。
私は、自分ができもしないくせに、あるいは行動も起こしてないのに
文句を言う人が苦手です。
生活保護の母がそんな感じだからです。
料理を一切しないくせに「もっとこの料理はこうしろ!!ああしろ!!」って口だけ出してくる夫って嫌でしょう?
それは一切、夫側は「料理をしないから」ですよね?
それはどこも同じで、自分は何もしていないのに「こうしてああして!!!」っていうのは
誰でも「要求ばかりで、あなた自身はそれを実現するために何か行動しているの?」ってなります。
これは起業もそうで、「将来の夢は〇〇することです」といっていて
「じゃあ、そのために、あなたは今、何かしていることはありますか?」と言われて答えられなかったら
それって、あなたは何もしてないじゃないですかとツッコまれる話なのです。
だから、とりあえず自分ができることを、フライングでもいいのでやってみて
そこでできないことやわからないことあったら
あくまでも「お願い」としてするのがいいと思います。
人は相手を助けたくなるときというのは、「困っている」「大変さ」ではないです。
メモ
第一に「自分が助けられそうか?」(可能性)
第二に「自分が助けようとして拒否されないか?」(必要性)
(自分がすべきか?=自分でなくてもいいのでは?)
第三に「相手ができそうか?」(可能性)
第四に「相手が自分がやる意志を持ってるか?)(必要性)
こうです。
実は、これは下から満たしていくのがセオリーです。
第四が先にクリアされているといいですね。
とういか、これはかなり重要です。
拙いながらも、うまくできないながらも
自分でやろうとするところ。
転んだときに何度も立ち上がろうとしているとき。
その人は「自分で問題を乗り越えようとする意志」があるのです。
第三は「相手ができるか」の部分です。
いくら、自分が知恵をもっていても「相手ができる能力がなかったら」意味がないです。
しかしそれですと「相手は未だできなそうだから」といって何も進まなくなります。
そこで大事なのが「第四」の存在です。
これを満たしていると「自分にはできるかわからなそうなことだけれど、やってみよう」という自覚と認識がしっかりとできるのです。
だから、「自分で自分の問題ごととして向き合う意志」が必要不可欠なのです。
これが、全部、ピコーーーーんってつながるのは稀です。
相手が困っていても「ちょっと私には苦手な問題だ」とかなったり
「自分は解決が得意な領域」でも、相手の力量的に厳しかったり
やる気が伴ってなかったりすると、
4➝3➝➝2➝1が、滞ってしまうからです。
まずは「自分はこれができます」は最低限でも見せるのは礼儀という部分でもあります。
その他の要素としては「相手の状況への配慮」が
あればさらに良いと思います。