こんにちは。
私が障害の子の親になって、変えたことの1つに「幸せの定義」というものがあります。
というか、そもそも「幸せ」について深く考えたことがなかったです。
しかし、「自分はこういうことをしているときが幸せなんだ」とか
「自分はこういうことをしている時が、ワクワクする」などを知っておくことって
とても大事なことだと思います。
私はそれが30代とか遅い時期でしたが、子どもには「何をしてるときが自分は楽しい」としっかりとわかっていると
人生が楽しくなると思います。
それってわりと本人の幸せにつながると思うのですね。
世間の幸せと幸せ感を感じるか?は別なので。
それを見えるようにまとめておくことによって、世間一般に言われる「幸せ」が、必ずしも自分に当てはまらないと知っておけば
「世間一般的な幸せ」に惑わされずに、自分が心から幸せを感じることを見つけることができると思います。
ストレスコーピングにも大いに役立ちます。
例えば女子は「共感されると嬉しい」といいます。
しかし、私は気持ちに共感されても、そんなに嬉しくないことがあるんですね。
論理で共感されたほうが、納得感があって、そっちの方が気持ちいいです。
納得感がどれくらい気持ちいいか?といいますとアレです。
型はめパズルです。
★とか▲とか■の穴が開いた、ボックスに入れて落とす。
そういう感じの玩具があると思います。
まさに、それです。
で、「□の穴に△を入れようとして」
入らないの!!違うのーーーーー!!キイーーーーーーー!!!
ってなってるときに
「ふっふっふ。□の穴に△を入れようとしているからだろう。これをいれてごらん」
って言われて、△のブロックを渡されたときみたいな感じです。
それが、「納得感」なのです。
これだっ!!みたいな。
しかし、皆さんの言っている「共感」というのが
私の「それです!!(それな)」とは違うようなのです。
だって、皆さんの言っている共感って。
私が「□の穴に△を入れようとして」キーーーってなっているとき。
(キーーーーっとはなりませんが)
「ブロックが入らないねえ。悲しいねえ、悔しいねえ。」って言ってくるってことですよね?
(★私の共感のイメージです)
もう、「だまって!!」(怒)って思いますね。
こっちは必至に「パズル解いてるんだよ」と。
そのパズルの解き方や、ヒントくれよ!!(怒)
「こうしたらできるよ」とか「入れようとしてるの間違ってるよ」とか。
でも、なぜか女子は逆に
「こうしたらできるよ」とか「入れようとしてるブロックが違ってるよ」と私がいうと。
「だまって!!(怒)」ってなるんでしょう?
よくわかりませんが、パズルが解ければ、その感情もなくなるわけです。
だったら、パズル解きましょうよってなりませんか?
なんで、そこで「気持ちに共感」になるのかわかりませんね。
共感ならば、「パズルが解けたときの嬉しさ」でしょう?
だって、辛い気持ちに共感しても、「パズルが型がはまらない」現状って何も変わらないんですもん。
みなさんは、何をそんなに「共感共感」いってるんですかね。
謎です。
【追記】これを私が自分で知っているというのはとても重要です。
なぜならば、社会で電話でクレームやいざこざが起きたときなどにすれ違いが起きるからです。
「納得できる理由や理屈を話せば私はそれで収まる」のです。
しかし、相手は「申し訳ございません」連呼して、感情的になんとかしようとしてくるのです。
さきほどのパズルのように、イライラします。
わりとついこの前まで、その自分の感覚と相手の感覚の違いがわかってませんでした。
(感覚の違いを理解するのは難しいです、お互いに。なぜならば感覚=絶対だからです)
「どうして○○は△△なのですか?」と質問しているのに、相手は質問に答えずに「申し訳ございません」って言ってくるのです。
「いや、謝ってほしいんじゃないんです。理由を聞いてるんですけど」ってなります。
古畑任三郎もそういうところがあるのですが、たぶん古畑もアスペルガーでしょう。
酢豚弁当が売ってないと店員に文句いうし、けっこう、非常識なので。