自閉症の育児方法

障害児を生んでも人生が詰まない方法を分析する

2022年8月16日

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ぴょん
こんにちは、ぴょんです。

 

 

夏休みにつきまして、日記風に好きなことを書きなぐるというテーマで本日もお送りします。

 

私は、障害の子どもを生んでも幸せに生きることは可能だと思っています。

 

というか、「そういう風に自分で持っていく」というのが正しい表現ですかね。

 

何かを選んだら、それが後からベストだったと思えるように持っていくんです。

 

ですから、障害者=幸せになれない(不幸になりやすい・苦難が多い人生)

 

という世間の公式はあながち間違ってはいないと思います。

 

でも、それに乗っかるかどうか?は自分で決めれますから・・・

 

中卒がお金持ちになりにくいのと同じです。

 

この話を(障害ではなくてお金を稼ぐ能力は学歴関係ないよという話)息子に先日しましたところ。

 

「豊臣秀吉じゃん」と言っていました(笑)

 

ん?私、勉強できないのでわからないんですけど、豊臣秀吉?

 

羽柴秀吉のことですかね?

秀吉って中卒・・・?生まれが貧乏だったんでしたっけ?

(ちょっと覚えてない)

 

ただ、秀吉が人の心を掴む達人だったということだけは知っています。

 

イメージでしか歴史の人物を覚えていないんで・・・・。

 

まあ、とにかく息子の知識によると「中卒だった秀吉も天下統一」・・・・できたんだっけ?

 

本当にすみません(苦笑)

太平の世=天下統一でしたよね?

 

秀吉ができなかったから、とりあえず徳川家康ができたんでしたっけ?

 

まあ、いっか。

とにかく、中卒が幸せになれないというわけではないのです。

 

秀吉さんが、策略家&人心掌握術を発揮できたのも「自分は中卒だから天下統一できない」と思っていなかっただからですよね。

 

田中角栄さんも同じです。

 

 

障害を持つ親子が天下統一する流れ

①世の中の思い込み(常識)を信じるのをやめる。

 

 

たぶんですが、まず「障害を持つ子に産んでごめんね」という感じになると思うんですよ。

 

 

聴覚障害の人がブログで言っていたんですけど、そういう風に言われると「耳が聞こえないことは恥ずかしいことなの?」「私って恥ずかしい子どもなの?」

「聴覚障害は隠さなきゃいけないものなの?」って悲しくなる、とおしゃっていたんです。

 

 

ここで、親自身も悲しみから悪気なく、「ごめんね」と感じてしまうのはとてもわかります。

 

それって、その親自身のフィルターがあって、「障害を持っている=可哀そう・不幸になる」という単なるイメージにすぎないんですよ。

 

 

体験していないんだから、あなたの中のイメージなんですね。

 

「子ども産んだら人生が終わりそう」だから嫌だという女性も、たくさんいますよね?

 

それはある意味で、正解でもあり不正解でもあります。

 

 

本人次第だからです。

 

「子供産んで人生が終わる」と考えている女性は、本当に人生が終わる確率が高くなります。

 

なぜかというと、自分でそういう風に持っていこうとしているからです。

 

 

「うそだ!!私は不幸になりたいと思っていない」という声が聞こえそうです。

でも、人の脳は「否定も肯定」もないんです。

 

 

だから「事故を起こさないようにしなきゃ!!(したくない)」というイメージは、「事故」という映像を脳に意識させます。

 

それに、「不幸でいること」に何かメリットを無意識に感じているということもあり得ます。

 

 

突然ですが、私は障害のある子どもを産んでも、人生がハッピーになる方法はいくつかあると思っています。

 

ハッピーの度合いが人によるのですが、「不幸がないこと=幸せ」を基準にしてしまうとわりと詰むんですよね。

 

 

 

ぴょん
えっ?不幸がない日常が幸せって感じてはいけないの?

 

いいんですよ。

 

 

 

なんでもない日常やこの世界には、すでに豊かさであふれていると別の記事で私はお伝えしました。

 

 

これをやるのはあっているんです。

 

でも、「〇〇がないから幸せだ」は幸せに条件がついているので、だめなのです。

 

偽物の幸せです。

 

 

たいてい、〇〇には「いやなこと」が入るはずです。

 

 

いいですか?

 

 

何度もいいますが「〇〇がないから、幸せ」と感じてしまう障害を持つ子の親は多いと思うんです。

 

「パニックがないから幸せだ~」

「家に子どもがいないから幸せだ~天国♡」

 

やってはいけない!偽物の幸せ

「パニックがないから幸せだ~」

「家に子どもがいないから幸せだ~天国♡」

 

 

こういう思考です。

 

これは反対なのね、反対!!!

 

幸せって目の前に溢れているものなの、「ある」ものなの、すでに存在しているものなのね。

 

しっかりそれを見つめて感じるものなの。

 

 

間違っても「それがないから幸せ」っていう世界は本来ないのね、それって幸せな世界ではないのね、ないの。

 

嫌なものが「ない」から幸せっていう感じ方は、幻なのね、不幸な世界観なんです。

 

例えばさ、「不幸なことが起きないことが幸せ」って考え方は、一見、プラマイゼロの世界を幸せの敷居を低くしていていいいように思えるでしょう?

 

 

本当にこれしちゃだめ!!(笑)

 

じゃあさ、「〇〇がないから幸せ~」ってやっちゃうと、それがあるときどうなるの?

 

 

「パニックがないから幸せだ~」

「家に子どもがいないから幸せだ~天国♡」

 

 

「パニックがあって不幸だ~!!」(その不幸を与えてくるのはだあれ?)

「家に子どもがいて不幸~地獄だー😭」(その地獄を作っている存在は?)

 

 

こうなってくると、「ないときは幸せだけど、それがあると不幸」っていう意識が潜在意識にしみこんでいくだけなのね?

 

伝わってほしいな。

 

 

「〇〇がないから幸せ~」というのは「不幸を前提」にした考えなのね。だから、絶対に幸せになれないの。

 

 

 

極論でいうと、前にも書きましたけど「お父さんに今日は殴られなかった!!幸せ!!」っていう子供がいるとする。

 

その子は本当に幸せですか?

 

 

マイナスからのプラスへの揺れ動きは、マイナスのぶん、プラスの揺れ幅を「幸せ」と錯覚しているだけなの。

 

ここを「幸せの基準」に設定したら、最後。

 

 

不幸がないことが幸せの基準になってしまうのね。

 

そうじゃない、そうじゃないのです。

 

マイナスがないことが幸せなのではなくて、プラマイゼロのところから、「幸せ」を感じていくのね。

 

前回の記事でも書いたように「幸せになるのは他人へベクトルをむける」のではなくて、「自分ですでに在るものから探す」んです。

 

一見、幸せなのかわからないようなことが幸せなのですね。

 

 

「走れる足があること、素敵な景色を見れる目があること、美味しいご飯を食べられる味覚があること、生きていること。」

 

「目の前の家族の笑顔を見れること、今日も寝顔を見てから眠ることができたこと」

「お日さまに挨拶できたこと」

 

すでに、「目の前にある豊かさ(プラマイゼロ)」は「在る」ものなのね。

 

在るものが「幸せ」なんですよ、あなたはすでにたくさんの「リソース(命・五感・環境・持ち物など)」があるでしょう?

 

 

ないから幸せ~っていうのは、それは見せかけの幸せなんですね。

 

「そんなこといったってどうしたらいいの?」と思うかもしれません。

 

 

そういうときは「今日は子どもがいないから幸せ~」というように「無い→幸せ」ではなくて、「在ること→幸せ」の視点に変換しましょう。

 

 

 

「在る」ものの中から素敵なことを見つけていってくださいね。

 

 

私が言っているのは、「パニックのときに辛くならないで幸せを感じろ」というのではございません。

 

何度もいいますが、辛いのは辛くていいんです。

 

ただ、日常に溢れている豊かさを感じていくだけでいいんです。

それによって、「存在」への知覚が高まっていきます。

 

 

 

「〇〇ないから幸せ♡」っていうのは、不幸体質まっしぐらなわけです。

 

考えてもみてください。

 

「幸せ感覚と不幸感覚」の歪みがあると障害のお子さんがいてもいなくても幸せには絶対になれません。

 

ご自分が歪んでいるのか?確かめる方法は

 

例えば、それを他の人に言って見たらわかりますよ。

 

 

ぴょん
今日はお父さんに殴られなくて幸せじゃん♡

 

 

ぴょん
今日は子どもいなくて幸せだね!!

 

 

ね?

 

おかしいのがわかりますよね?

 

 

ぴょん
今日は子供が放デイに言ってて天国だわー

 

といっていると不幸になっていくだけです。

 

 

繰り返しますが、リフレッシュは大事ですし、子どもがいないことで捗ることもありますので、否定しているのではないんです。

 

不幸がないことを喜ぶのは、不幸になるっていうのをいっているのです。

 

幸せというのは、何度も言いますよ。

 

「心配しないでいいことはすでに1つの幸せなこと」なんです。

 

 

殴られないか?

 

怒られないか?

 

心配しているような子どもは、不幸だと言っているんです。

 

 

子どもはそんなことを思い至らなくいい。

 

殴られない心配をしなくてもいいというのを「幸せの基準」にしてしまうとですね。

 

例えば、負の連鎖で被虐待児が大人になって親になったとき。

 

「お前は殴られてなくて幸せだよね!!(ずるい)」

「感謝の言葉を述べなくても、ご飯食べさせてやってるんだぞ?!」みたいに歪んでしまいます。

 

 

繰り返すのですが、「感覚をどこにもっていくのか?」ということです。

 

参照点ですね。

 

「幸せはすでにあなたは持っている」んですね。

 

 

ですから、障害を「ないもの・足りないもの」として見るのはやめましょう。

 

 

在るんですよ、あるの。

 

障害はあるのです、でもその中にだって「在る」ものがございますでしょう?

 

 

それを見つけて、それに「存在」を与えたらいいのです。

 

それが(支援者と)親の役目ですよ。

 

 

 

(*存在の知覚(エネルギーレベルが高まる)ができるようになったら、それに愛をくっつけてみましょう。素敵なことが起きますよ)

 

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  • この記事を書いた人

ぴょん

はじめまして。ぴょんです。 中2自閉症男の子の母親。 支援や療育の記事だけを別のブログに引っ越しました。 サイトはこちら 発達障害の療育の勉強をしながら、自閉症の親として成長していく体験レビュー型ブログを目指しています。 そのほか、自閉症やADHDの子育てで気づいたことの情報発信もしています。 よろしくお願いします。

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