前回、「人は信じる何か」があったほうがいいという話をしました。
存在レベルの話をしたのですが、補足です。
存在レベル(次元クラス)では「認識できるか?できないか?」という次元の下(前段階)の部分になっています。
最下層に「存在次元」があって、その上に「認識次元」がある感覚です。
存在を信じるから、見えるようになる(認識=気づき)やすくなります。
人の脳は「RAS」という機能がありまして、「見たいものが見える」ようになっています。
これは、部屋の中で「赤いものを探してください」といったあと、目をとじてもらいます。
そのあとに、黄色いものをあげてください。
というと、ほぼ答えることができないという有名な実験があります。
つまり世の中の認識は、私も含めてみんなうまくできていません。
「注意をむけているもの以外、フィルターがかかっている」ような感じです。
ですから、「存在レベル」で「愛を信じている」と、そのうえの段階で「愛が認識できるようになっていく」んですね。
これが、私のまいぴブログで言っている「在る世界」と「無い世界」の視点なのです。
この存在次元レベルは、とても大きい視点(潜在的に情報を多く含む)ですので
この次元レベル(クラス)で「発言をしてくる自閉症の医師」などには注意していただきたいのです。
その医師が例えば
- 自閉症の子どもに「感情」なんてない(存在レベルで信じている)
- 自閉症の人たちは共感力がない
- 空気が読めない人である
このようなものは「存在レベル」の領域となります。
「あると信じていない」ときは、(存在次元で存在しないので)
私たちは「その次の段階で認識もできない」わけですので
(例:先ほどの赤いものを探してくださいと同じで)
信じてるものしか気づくことができません。
ですから、前回の記事で「不安を持っていて医師の言葉を信じているとき。」
いいですか?
「自閉症には共感力や人を思いやる気持ちなんてないよ」と医師から(知識を)言われたとします。
そうすると、あなたは、ずっと自閉症の子どもの「思いやり」や「優しさ」に気づけない危険があります。
気付けないというか、見えないんです。
なぜならば、赤いものを探しているときは?
黄色いものが見えない(気づきにくい)からですよね。
ですから、自閉症の子どもに「何を信じるか?」は親である私にとっても子どもにとっても
死活問題です。
自閉症の子どもに何を信じるか?
というのは「存在レベル」で「自閉症の子どもの中には見えないけれどある」と信じることです。
息子の療育をしてくださっていたK先生は、この「子どもに眠るよい可能性を信じる力」が驚異的に高い人でした。
子供の表面(行動や態度)に出ているからあるのではなくて、子どもの中に「見出しているような感じ」でした。
私はそのような視点を持っていなかったので、その視点に驚愕して、感銘を受けたのです。
私は外側にいるので、このK先生の平均よりも驚異的に高い能力が要素として浮かび上がっているのがしっかり見えました。
私は鏡がなければ自分の顔が見えません。
そして、とても高いというのは、(相対的に見えるので)自分よりも周りのほうがわかることでしょう。
私は「自分の感覚を信頼している」ので、周りから感じ取ったことを確信するのが大事です。
皆さんに、K先生から教えていただいて(同時に確信した)存在レベルの「1つの要素」をシェアしようと思います。
- 自閉症の人も「自分の力でできるようになること」を望んでいる
- 自閉症の子も「成長する」
K先生はこのようなことを常に私たち親に言ってくださっていました。
(常日頃ではないかも?)
これはとても大きくて、「自分の力でできないだろう」と(支援者や親が)思わないということです。
学校の先生などにも多いですが「障害があるからできないよね」といって挑戦させない、やってあげるのが本人のためだと思ってる先生。
このような先生の持っている「存在次元の感覚」(周りの人なら私を含めて皆さんにも観えますよね?)と K先生のものは、なんだか違うみたいだぞ?と。
PCの調子が悪くてもうこれ以上文字が打てないので、次回に続きます。