今日は、備忘録と今後の子育ての目標としてまとめておこうと思います。
事情により、日記風が続いていますがご了承ください。
さて、「親ガチャ」という概念がつくられるほどに現代社会では親や家庭環境は子供にとって大きいと考えている子供が多いようですね。
しかし、私の考えなのですが子供の人生に与える親の影響は10%くらいだと思っています。
注意ポイント
これは、あくまでも私の主観による主観内での話です。
場合や人によっては90%の人生を親の影響で翻弄されてしまう方もいらっしゃると思います。
やはり機能不全家族で育ったり、お辛い家庭環境や親の姿などによっては精神疾患になったりすることもあるかと思います。
そのことによって、少なくても10年は時間をムダにしてしまうこともありますし、一生、過去の幼少期の遺恨を背負ってしまうこともあります。
今回は、私の経験を踏まえて親の考え方による子供へ影響は「どうしていくのがいいのか?」自分なりにまとめてみます。
参考になったら幸いです。
注意ポイント
かなり主観的で自分の備忘録となっていますので、客観的で一般的な科学的根拠ベースの親の影響についてまとめた記事ではないことを、はじめにご理解したうえで読み進めてください。
私が親から人生について教わったこと。
私が母から人生について教わったことは直接的にはありません。
わからないのですが、父親がいたら「人生とはこういうものだ」みたいな話があるのでしょうか?
(私は赤ちゃんのときから母子家庭で育ったので、父親がどういう役割を持っているのか体験したことがないのでわかりません)
まあ、それはさておき。
さて、母から私が人生について教わったことは以下です。
’(母からの視点になります)
- 人生は辛いものである
- 世の中は怖いところで、いつ事件に巻き込まれるかわからない
- 世の中には悲惨で悲しい事件ばかりだ
- 人として大事なのは貧乏清貧で暮らすことである(小公女セーラがお手本)
- あなたは一人では何もできない弱い存在だ
- 男はろくでもない人間である
- あなたの父親はひどい人間である
- 私(お母さん)は可哀想な人間である
こんな感じですかね。
ぜんぶ、母の視点になります。
私は、母と自分を区別しています。
私は娘であると無意識にみていないということです。
これができているので、母の影響はほとんど受けなくなったので自分の人生を生きれるようになりました。
しかし、20代の中盤あたりまでは、この母の視点でのことを信じていたので、人生がとても生きづらかったです。
今でも不安感などや認知が偏ったりは出ますが、当時とはくらべものにならないくらい生きやすくなりました。
「娘と母」として見るのではなく、母を一人の人間として見ているので、「お母さんがこうしてくれない!!娘なのに依存してくる!!」とはなりません(笑)
いまだに「私のスケジュールを1か月聞いて把握してきたり」姉に言わせるとうちの母は「毒親」なのだそう。
(そう教えてもらったので、一時期、母のことを毒親だと思ってたこともあります)
毒親だと思っているうちは一生毒親の子供から抜け出せない
逆説的なのですが、「自分の親は毒親だ」と言っているといつまでも自分で自分を呪いに欠けているのと同じなのです。
これは親ガチャ論にも通じてきます。
ポイント
親は親。自分は自分と自他の区別をつければいいだけです。
これができるようになるまでは「上記の刷り込み」を自分にあてはめてしまうので20代前半くらいまで精神を病んでいました。
だから、そのころの私にとっては「人生における親の影響は90%を超えていた」と思います。
私は、運よく「自他の区別をつけることができて親は親なんだな」と受け入れることができるようになりました。
でも、やはり時々は無意識に呪いが出てきてしまうこともあります。(笑)
ほぼすべての認知の歪み(あるいは抑圧された情動)は「意識にあげて浄化する」か、そのたびに認知の変容を自分で行っています。
注意ポイント
ちょっと脱線してしまうのですが、認知の変容をするときに自分自身でやるのはいいのですが、そもそも客観的に見れない精神状態の場合は的確に自己分析できずにその分析すら妄想や思い込みが激しくなるので注意してください。
子供には「自分ってこういうじぶん」「世界ってこんな感じ」というのがあります
親の発するメッセージ、あるいは体験などによって、無意識にあなたにも「母親観」や「世界観」や「自分とはこういうものだ」というのが刷り込まれています。
これは常識に至るまで、すべて持っているものです。
ポイント
大事なのが、前述した世界観です。
今でも母は、電話で1時間半、殺人事件を詳細に語ってきます。
犯罪心理が好きで、犯罪者の本ばかり持っています。
すべてを犯罪に結びつけるので、私が電車の座席でスマホをいじっていたら
「あなたみたいな女性は性犯罪にあうのよ?そうやって周りを気にしない女性を狙っているんだから!!」と言っていました。
私は母の性格を知っているので何とも思いません。
しかし、これを他人におきかえたらわりと異常です(笑)
スマホを使っている人に対して「あなたみたいな人は痴漢されますよね」と言っているので。
私が何をしても、「犯罪からの視点・思考に結びつけて私の自己認知をして来られたら、そりゃあ、精神も病みますよね?」(笑)
この電車の例の母の言葉の場合、以下の2点によって刷り込みが起きる可能性があります。
- お前は「性被害にあうような人間だ」
- この世の中は性犯罪者がいついてもおかしくない危険な世界だ
ポイント
これは、私の世界観や視点ではないのです。
あくまでも「母の視点や世界観」なので。
でも、これを区別しにくい人や素直に「自分ってそうなのかな・・・・?」と素直になりやすい人もいるのです。
それか、親のことを信頼している子供は親の言葉をストレートに信じて自己概念にも取り入れることでしょう。
まだ、疑問形で「考える余地を与えている人」はいい。
疑問になっている時点で「刷り込み」の前段階の認知段階にいるということです。
洗脳が解けるときも、必ず「疑問」が生まれるフェーズがあるのです。
無意識に浸透しているのが、いちばんまずいのです。
それを行いやすいのは「母親がむける子どもへのイメージ・メッセージ」です。
私も、ちょっと前に担任の先生に「このままじゃまずい」と言われたことで
私の持つ子供へのイメージの世界が揺らいでしまって・・・・
この子は将来、心配な子になる。
こんな感じです。
これは、子どもを信頼してないということになるのですね。
すると、自分が子どもを信頼できなくなっていることに気づいてないわけですから、「自分も親として信頼されてないのではないか?」となります。
すると「こんな親でごめんなさい」とかなる。
つまり自己信頼も崩れて、子どもも信頼できなくなったんです。
一時的にです。
私は療育の先生にこの悩みを相談してみましたが、特に何もおきませんでした。
K先生がなぜ返信しないのか?は私はK先生ではないのでわかりません。
しかし、私にとっては例えば「問題を問題視することで」問題があると認識することになると強化されてしまうのですね。
息子は「まずいのではないか?」という、いつもの状態ではない(崩れた子供へのイメージ)の心配を強化です。
心配というのはですね、たぶんですが、えーと、わかりません(笑)
あれっ?
心配することが、信頼をしていないことで起きるのはなんとなくわかるのですが(たぶん)
「心配自体」の性質をあまり私は知ってない模様です。
この気持ちの性質をもう少し、今度、解き明かそうと思います。
疑問が生まれた時点で、ちょっと信頼感って危ういと思うんですよね。
私、信頼って「どれだけ待てるか?」が1つの要素だと思っているんです。
ですから、もしかしたら「心配」も待つに関係している概念なのかもしれません。
それか、愛ですね。
信頼はたぶん、愛がベースだと感じますので、愛を一時的に止めてしまったのかもしれません。
勇気は出すものと同じで、愛はみんな持っているんですね。
ただ、ちょっと受け取りにくくなってしまったり見えなくなるだけなのですね。
他のブログの宣伝になりますが、受け取ることで「在るもの」に視点を移動する練習をするには、感謝ノートをかくとよいです。
子供を信頼する自分を信じる。
大事なのはここからです。
「自己イメージ」や「世界への見方」「他人への見方」のおよそ3種類は、ほぼ刷り込みでできています。
ですから、自分で気づいてすぐに修正できるような代物ではないのです。
これは自己反省の記事に近いのですが、「子どものことは心配しなくていい」んですね。
ポイント
生産的な心配(課題や問題解決につながるもの)と、子ども自身を問題視することをはっきりと区別しましょう。
今回は、私は自分の心配フィルタという世界を通して、子どもを(一時的に)見てしまいました。
しかし、このフィルターが常にかかっているのは、ちょっと厄介なのです。
基本的に「心配する」というのは子どもの悪い面にフォーカスしています。
例えば、学校の先生や放課後デイを選ぶときも注意してください。
「こんなんじゃだめだよ?」「このままじゃ心配ですよ?」と煽ってくる先生は、本当に心配しているのではなくて、なんらかの理想的な子供像があるのかもしれません。
ほんとに心配して言ってくださっているのかもしれません。
それは私にはわかりません。
でも、母親って先生や医師に影響されやすいと思うので、ある程度は取り込むとは思うんですね。
それが親から子供でも同じなのですが
なんといいますか「よくなるだろう」と信じている支援者を選んで欲しいのですね。
医療機関で「あーこの子は将来、どんどんひきこもって嫌われていくよ(笑)だって発達障害って嫌われる要素しかないもん。」という療育センター長にみてもらてっていたのですが
夫はそのセンター長のことを買っていたようですが、私の未来イメージに合わないので信頼しませんでした。
伝わりますでしょうか?
私の母のことに戻りますが、人は「自分の視点」「自分の視点からみた未来のイメージ」と合致している人を信じやすくなります。
我が子のネガティブな面を心配している母親は、「ネガティブな未来像をイメージする先生や医師」を信頼しやすくなります
逆に「この子なら大丈夫ですよ!!」「発達障害でも幸せになれますよ~」といい面を見て言ってくれる先生に不信感を持っている母親をネットでたくさん見てきました。
なぜかというと、自分の持っている波長(こんな障害の子じゃ幸せになれないというイメージ)とあっていないからです。
そういう親の見分け方は、以下のような言葉を言っていることがあります。
- 自閉症の子供を「大丈夫だよ」と言われると心配をわかってもらえてない気がする
- 自閉症の子についてポジティブなことを言われると「綺麗ごとじゃん」「そんなの無理」気持ちや現実をわかってないという
- 現在の辛さや大変さの延長線で未来につながると思っている
- 療育意味ないと言ったり、支援者はどうせ障害の子を持っていないで義務でやってるだけだから信用できないと考える
1つ1つについて、認知の変容の方法はやったことがあるのですが、長くなるので今度書きます。
私が書いているというのは、基本的に自分がなったことがあって「修正してきた」から書けるのです。
わからないことはわからないので書けません。
まずは親の視点を変えることなのですが、これすらも「怒る親」がいるんで、その場合は無理です。
私は視点を変えることで、よくなった経験があるので参考になればと発信していたのですが
「視点を変えるだけで自閉症の育児が楽になるわけない」
「視点を変えてくださいって親ばかり苦労しなきゃならない!!クソバイス(クソなアドバイス)」とおっしゃる人もいらっしゃるので。
そう思うのであれば、別にそのようにすればいいのです。
このような場合「その人は自分の世界観を維持しているだけ」なので。
ポイント
つまり「自閉症の子を持つ私は幸せにはなれない」という世界観や自分イメージなのです。
それを維持したいので、それに合致する言動を選んで聞いているだけです。
どっちが正しいとかそういうことではな私もそうですよ。
人は自分の思いたいように思って、それを証明するような言動や洗濯を選んでいるだけに過ぎないのです。
信頼もそうです。
相手が裏切ったのではなくて、自分が信じるのをやめただけなのですね。
信頼や愛もぜんぶそうです。
自分が作り出した世界です。
ポイント
ですから、「幸せになりたいなら。幸せな未来を描いて。それにマッチする言動や行動をしている人と付き合って。それを自分も今、していくだけでOK]なんです。
そのやり方がわからないのであれば、「お金・恋愛・仕事・自己実現がうまくいくマインドセットブログ」を別サイトですが運営しているので、そちらをごらんください。
上の記事は「お金持ちになること」を例にしていますが、自閉症の育児でも基本的には同じです。
まずはどうなりたいのか?息子さんだったらどうなってほしいのか?未来を自分でデザインしてください。