日本はとても安心・安全でいい国です。
海外と比べて、自己主張しなくてもお互いに席を譲り合い、列が勝手に作られる。
でも、海外では自分というものをしっかりと主張しなければ「譲った人はいつまでも自分の番が回ってこない」なんてことはざらにあるそうですよ。
それは、自分からガツガツ権利を主張していかない個人が悪いそうで。
(すべての国ではありません)
でも、その国にいったら「自己主張して他人を押しのける強さ」を持つ人が正義に変わります。
その一方で自分を犠牲にして、一歩引いて「みんなの役に立つ」「自己犠牲心」が美徳とされることのある日本。
一見「他者にやさしい」という風潮。
でも、そんな日本の文化・風習ならではの弊害もあります。
電車にベビーカーで乗ってくるなよ?邪魔なんだよ!!ファミレスに子どもを連れてくるなよ!!うるさい!!」
こんな人が世の中にあふれています。
定型発達の子どもさえ、疎んじられるのが日本なのです。
障害を持つ子供の親の肩身の狭さはいかんとも言い難いでしょう。
他人さまに迷惑だけはかけてはいけない。
自分よりも他者の立場をかんがえよう。
みんなで協調性を持とう。
他者にやさしくしようという日本の風潮なのに、逆にそれを乱す潜在的な人を攻撃するのって「他者に本当の意味で優しくないよね」っていうのが、私の主張になります。
こんな教育や風習・文化の負の遺産のせいで、「他人に対しての同調圧力や協調性のない人への冷たさ」が異常に高い国が、私たちの国である日本なのではないかな?と思います。
今回は「日本の社会」にメスを入れていきます、
すべての母親は「親ペナルティ」で不幸感が増すようになっている
まず大前提として、世界各国共通で子どもを産むと「親ペナルティ」とを背負うことになるという事実があります。
親ペナルティとは親になったことで生じる経済的負担や社会的不利益を指す社会用語です。
(OriOriより引用)
親になることで、すべての人間は「経済的負担」が増しますし、そのために労働を増やす必要性が出てくる。
さらに、子どもへの教育費・社会的責任や、精神的な労力も育児ではとられます。
女性に限ってはさらに深刻で、「育児で仕事を制限したりする」ことで、女性は自分のキャリアをあきらめる必要が出てきます。
女性の社会進出を!!ジェンダーフリー!!といっているわりには、日本は「子どもを持つ女性」にやさしくないと思います。
この言葉も、女性だけに「育児の責任を押し付ける価値観」が日本に蔓延している証拠に他ならないと思います。
障害の子どもを育てている私たちにとって、この「社会が子どもをどのようにみているのか?」というのは非常に重要なファクタになってきます。
私は、もっと自閉症の子どもが社会に受け入れられて欲しいです。
もちろん、すべての子どもが安心で安全で生き生きと子どもらしく育ってほしいですし、公園で遊んでいる子どもを見ますとみんな「未来が輝いている」ので、素敵だと感じます。
しかし、それを考えていたら「日本という国が社会に冷たいなあ・・・」という問題にぶち当たりました。
母親を支える社会の目を変えるのは難しいけれど・・・
日本の社会が見つめる母親への価値観をいますぐに変えるのは難しいです。
私は、自分のことが好きで興味があるので、他人が話すよりも自分の話したいことをしゃべっています。
ですから、病んでいるとき以外は
躾のできないダメな母親っておもわれてないかな?
こんな子どもを育てていて社会の皆さん、申し訳ありません・・・」
みたいな気持ちにはなりません。
でも、なったとしても、このような感情って「あなたのせい」じゃないんですよね。
日本の社会の風潮が生み出した価値観でして、私たち日本人に生きていくうちに、沁みついてしまった風土病なんですよ。
さらに、障害の子供を抱える私たちにとって、「なんとなく申し訳ない気持ちがする」というのは身近な問題だと思います。
この母親の精神的なしがらみから解放されれば、世間の目なんて気にせずにゴーイングマイウェイで突っ走れるからです。
母親の幸福感をあげるための方法
社会全体の理解はあきらめて「自分の主観的幸福感」をあげることに注力する
じゃあ、私はどうやってこの気持ちと折り合いをつければいいの?
答えは、シンプルに「主観的幸福感」をあげることです。
これは文字通り、主観的なので「他人や社会の比較」の要素が入ってきません。
そもそも、誰かと比較して幸福感を得るのはただの「優越感」であって、本当の幸せという感情を勘違いしています。
- 人生に対する前向きな気持ち
- 自己受容力を高める
- 好きなことで自分軸に戻る
まずは、この3点を起点にして「自分の幸せとは何か?」を探っていくといいでしょう。
社会の空気は読まなくも大丈夫です
世間の目に反応して気遣いができるあなたは本当に素敵です。
でも、日本の母親への目線が温かいまなざしではないことも事実。
そんな冷たい社会(本当はあったかいんですけどね)の作られた幻想に、あなたが神経を消耗させるなんてもったいない。
個人個人だったら、とてもやさしいのが人間なんですよ。
日本では協調性が高すぎるために「和を乱す人」を嫌っているので、その「空気感」が子どもを受け付けない社会の空気感を形成します。
その空気感を読める賢いあなただから、「その空気を読んでしまって」。
その日本の社会に適応するのが難しそうな我が子を見て、空気になじんでないような気がして申し訳なくなっていだけです。
悪意のある人はいなくて、日本社会の空気感が問題なのですよ。
空気感は、人が変われば変わってきます。
海外の人を何名か日本に持ってきて、集団を作ります。
すると、そのコミュニティでの価値観が「正義」に変わります。
幸福感をあげる記事は長くなってしまうので次回に書きます。
私が伝えたかったのは、「日本の社会の空気感が正しい」わけではないということにあなたに気づいてほしかっただけです。
なぜ、私がこんなことを言えるかっていうと、私自身「女性の価値観の空気感になじめなかった人間」だからわかるのです。
その女子に悪意はないと思うんです。
ただ、そのコミュニティの持つ空気感と私の価値観はあっていないだけ。
だから、私は一人でも平気なのね。(笑)
私が、今度は空気感をつくるわ。
私の使命って、ネット「自閉症」の世界において明るいイメージを広げていくことなので。
私が内側からそのようなエネルギーを高めていけば、感化された人が増えていきます。
同じ空気感を持つ人も集まってくるはず。
ネットは15人の人に読まれれば、ネズミ算で世界中の人とつながれる素敵な世界。
その代わり、拡散力のスピードと規模によっては悪いエネルギー、マイナスのエネルギーもすぐに拡散されてしまいます。
まとめ
私のブログのルールはただ1つ。
「自閉症の当事者さんが読んでも悲しくならない」こと。
ネットで検索して、自閉症について悪いことばかりで、辛くなった・落ち込むという当事者の方や親がいらしたわ。
私も同感。
自分の子どもに将来、堂々と見せられないことを書いているなんて、いやです。(笑)
プライドがそう叫んでいるのね。
子どもの悪口や愚痴を書いたブログを読んで子どもの自尊心を傷つけることが私の持つプライドの形ではない。
私の自尊心はそれを許さないのです。
意地でも書かないわ。
愚痴や自閉症の辛さをありのままに書くことが、「自閉症の親の大変さ」を世に知らしめることになるのでは?とメッセージもいただいたことがあるわ。
でも書きません。(笑)
自分自身が、「おいしくないと思う料理」を商品として出すことは、このブログを読んでくださる人への愚弄だわ。
料理人は自分が「おいしいと思う料理」を出すものなの。(笑)
だから、私は精神状態が「それをかくためにふさわしくない」のであれば書かない、書けない。
うわべだけの綺麗さで、私は文章が書けるほど私は嘘がうまくはないの。(笑)
それだけの話。
以上です。