こんにちは。
今回のテーマは「感謝は起きたことにするのではない」です。
感謝をすると、心身の健康にとてもいいばかりではなく、幸福度も上がることは、研究で明らかにされています。
ですから、不幸を感じる人は「感謝」の気持ちを増やすといいのですね。
というか、不幸な人は感謝が圧倒的に少ないという事実になります、
感謝の念と幸福度は比例の関係だからです。
つまり
感謝が足りてないとき=幸福度下がる=不幸感が増す
不幸だと実感しているとき=幸福でない=感謝できるところがない
このような式が成り立ちます。
つまり、今すぐに幸せになりたいのであれば
「感謝できるところを探す」という回答になります。
感謝ノートでも書いたのですが、感謝できない人というのは
感謝を「何かをしてもらった特別なできごとが起きたときにするもの」と思っています。
つまり感謝を「与えられたときにするもの」「受け身」のものと思っています。
それだと、日常で感謝できることがなくなってしまいます。
「彼氏にプレゼントもらった」
「じゃがいもを散らかしたときに拾ってもらった」
「サプライズパーティーをしてもらった」
このようなスペシャルなことが毎日、起きるはずがありません。
感謝できないというのは、「受け身でしてもったことに対して感謝する」という
あなたの「受動的」な姿勢をあらわしています。
感謝とはもっと能動的なものなのです。
自分で見出すのですね。
何かプラスのことが起きたとき(感謝)ではないのです。
これだと「できごと」の中から感謝を探そうとします。
よくポジティブ日記や感謝ノートを書きましょうといいます。
しかし、この思考が習慣になってしまっている人は「感謝するようなできごとはなかった」と思ってしまうのですね。
これは「自閉症の子のよい所を探しましょう」ととてもよく似ています。
「うちの子にはいいところなんてないんです!!」と言ってしまうのと同じです。
よいところ=できている(プラスのところ)が見られたとき(できたとき)
だと思ってしまっているのです。
いいところというのは、「プラスの部分が見えるとき」(何かができたとき)ではないのです。
感謝は「いいことが起きたとき」ではないのです。
これは受け身すぎます。
いいところは「見出す・見つける」ものです。
感謝は「見出す・見つける」ものなのです。
つまり、あなたが見つけようとしなければ、見つからないのです。
つまり「自閉症にいいところがない」のではなくて
「自閉症のいい部分を見つけようとしていないだけ」
「感謝を探そうとしていないだけ」です。
そして「できごと」が起きた中から見つけようとしていること。
間違った感謝のしかた
(例)自閉症の子が実際に何かできたときに「いいところがわかる」
(例)感謝できることが起きたとき「感謝する」
この青緑の部分が「できごと」です。
できごとありきで、感謝する。
これだと、「そりゃ、自閉症のいいところを見つけようっていったって、問題行動しかしないんですよ」ってなります。
これだと「そりゃ、わたしだって感謝したいけど、感謝するようなことをしてくれないんですもん」
ってなります。
これが感謝できない人の最大の課題です。
課題というか、共通する思考法です。
自閉症のいいぶぶんを見つけて、活用できるリソースを発見するのが「いいところ」です。
強みです。
色がわかれば、それも強みですよ。
もし、自閉症の子が、概念理解が弱くて「記号化」してしまうとしたら
それも強みです。
その子の中の「記号で区別」を、身の回りのものごとリンクさせて認識力の補助に使いましょう。
感謝できない人は「では具体的にどうしたらいいのか?」というと
- すでに持っているものを数える
- 持っているものが「無くなったら?」と想像する
- 何も感謝できない状態でも、対象に「ありがとう」って言ってみる
感謝は当たり前だと思っていることにできないのと、持っていないものにできないのは周知です。
なので、これは今回は触れません。
今回は赤字の部分の「ありがとう」を先に言うということです。
別に本人に本当にいわなくてもいいのです。
人の脳は自分で「ありがとう」ということによって、相手に感謝できるところを自動的に見つけようとします。
「どこがありがとうなんだろう?」って探そうとしはじめます。
「これってひどくない?」って友達にLINEを見せられたら、どこがひどいんだろう?と脳は自動的に探し始めます
「間違いはどこでしょう?」と言われたら「どこが間違っているんだろう」と、脳は自動的に探し始めます。
つまり感謝できないまま「ありがとう」っていうだけで、勝手にありがとうの部分を探してくれるのです。
わからないままで、いいんですね。
でも、感謝できない人はそれをしていないのです。
「ありがとうの部分を探そう」としていないんだから、いつまでも見つからないんです。
幸せも目に見える類のものではないので、これと似ているエネルギーの性質を持ちますよ。
観測不可能になったら、観測不可能(それはない)なんですもん。
あっ、いいことを言った気がしますね!
「いいところが見えてない」と思っているのと「相手にいいところがない」と思ってるのは違います。
相手が持ってない(できない)のではなくて、わたしが「それを知らないだけ・見えてないだけ・気づていないだけ」というスタンスですね。
話を戻します。
つまり「(自閉症の子に)いいところがあったら、わたしもいいって思えるよ」「感謝できることが起きたら、わたしも感謝するよ」
というのは、人生において「私って相手次第ですよ~」っていっているのです。
私の感情や不幸や幸福は
「周りの人や起きたできごと」で決まります~
っていっているのね。
つまり「究極の受け身他人軸」ってこと(笑)
でも、それでいいの。
今から気づけばいいだけのこと。
私だって、そうだったんだから。
それに今だっていつそうなるか?私だってわからないのだから。
まとめます。
感謝の性質
- 感謝は「できごと」にするものではない
- 感謝は「プラスのこと」にするものではない
- 感謝は「見えないもの」にする
- 感謝は「当たり前と思ってる」ことにはできない
- 感謝は「持ってないもの」にはできない
- 感謝は「能動的」なことである
以上です。