ごきげんよう。
今回のテーマは「毒親を超える」です。
毒親から解放されるためには「毒親」を超える必要があります。
- 私の親は毒親なんです
- 私は毒親育ちです
- 私はアダルトチルドレンです
これを言えばいうほど、思っていれば思うほど
あなたは「毒親の影響」を受け続けることになるんです。
だって、よく考えてみてください。
「私の母はこんなにひどい人間なんです」と言っている限り、その呪縛から逃れられないんですね。
自分の母を「毒親」と決めてしまうこと=あなたは「毒親に育てられた子ども」という枠組みから
抜け出せないということなんです。
そして「私は娘」という概念からも抜け出せないんですね。
あなたは、1人の自立した人間なのですよ。
いつまで「娘の立場にしがみつく」のですか?
もう手放せる年齢になっているのに「毒親を責めること」は
「自分を毒親の被害者の娘の立場として自らを縛り付けること」を意味します。
だから、「親を超える」というのは
自分は娘という立場ではなくて、自分自身を1人の人間だと認めてあげることなのです。
これは「自閉症の子」を持っていても同じ。
自閉症の親にあまり私はこだわっていません。
だって、そうすると「自閉症の我が子」に固執することになります。
自閉症はあとからくっついているだけの外部の概念です。
何度も言いますが、「自分が先にきて、そのあと自閉症」です。
これを、わかってくださったのは療育の先生でした。
だから、わたしの世界をわかる素質のある人を私は
「自閉症」「人」どっちも見れるということです。
毒親としての眼差しで、親を見るのではなくて
親を「1人の人間」として理解をするんです。
あなたが「私の母は毒親」といって「自分を娘の立場に縛っているとき」
あなたは自分自身を「1人の人間として理解しようとしてあげていません。」
あくまでも「毒親の被害者である娘としての自分」という理解だけにとどまっているのです。
だから、いつまでたっても親を恨んでしまい生きづらいのです。
自分を「毒親そだち」ではなくて、1人の自立した人間として扱う。
すると、親のことも「1人の人間として扱える」ようになります。
1人の人間として扱うというのは
「毒親がしたこと」をわきにおいて。
「母は祖母からこのような扱いを受けていて可哀想な人なんだな」とか「そういう風に私に当たってしまうのも生い立ちを考えると当たり前の心理なんだな」とかです。
(★つまり毒親も毒親に育てられた可能性のある毒親育ちだったということです。)
あなたは毒親育ちと自分を想うのでしょう?
そして「毒親育ちの同じ境遇の人」と共感しあう。
でもそれは共感ではなくて「敵意と怒りの共有。」
本当の共感は「
でも、これをしようとすると
あなた自身の「心の痛み」が
「なんで私のことをわかってくれなかった私が母をわかってあげなきゃいけないの?!」という気持ちが
必ず出てきます。
これが「第一の壁」なのです。
でも、よく考えてみください。
「親ができなかったことを私は別の次元(親の土俵ではないところで)する。」
それは、親がしてくれなかったこと(相手を理解しようとすること)=私はいま親にしている。
つまり、あなたが親を理解することで、あなたは娘の立場から抜け出して
「1人の人間として相手(親)を尊重」という親自身ができなかったことを
するわけです。
これが「親を超える」ということです。
自分の中にある壁です。
この壁を超えない限り、親を超えられないのです。
許せないという気持ちでずっと生きづらくなるだけ。
でも、自分の中にある壁は
必ず自分で乗り越えることができます。
自分の中にある壁だからです。