自閉症の育児方法

【自閉症の世界②】区切りがない

2023年11月10日

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前々回から続く「自閉症の育児負のスパイラルから抜け出す第3回目」は区切りがないです。

 

ちょっとここまでの復習になります。↓↓↓

必要ない方はスクロールしてください。

 

「なぜ無力感を打ち砕く」ために、あなたが自閉症の療育をするのか?というと

  • 私が何をしても(A) この子は何も変わらない(B) (無力感)

 

だからでしたね。

 

つまり、自閉症の育児において

自分ではコントロールできる範囲を超えている(統制不可)と思ってしまうことが、「意味ない・無駄だ」という感覚を生み出しています。

 

ぴょん
この感覚は、例えば学級崩壊してしまっているときにもあらわれます。

 

「私がAすれば、子どもはBになる」という感覚をある程度もっていないといけないということです。

 

注意

これは支配感ではなくて、「子どもの行動A」は、私の行動・発言Aに帰属するという感覚に近いです。

つまり、子どもの行動は私の責任&私によってどうにかできるという感覚です。

 

これを身に着けていくのが、当面の目標になります。

 

これを、「支配」(恐怖と罰)で行う方法もあります。

(これは障害の有無に関係なく)

 

あるいは療育を行っていても「自分の都合のいいように統制する」ために支援をしてしまう場合もあります。

 

支配感覚(子どもを自分の思い通りに動いてほしい)ではなくて、例えば「子どもがあのような行動B」をしたのは「私があのタイミングでこのような行動A」をしたからだろう。

だから「自分の行動Aを変えてみよう」みたいな感覚を常に持っていくということになります。

 

ぴょん
支配感覚と、統制感覚は似ていますが違います。

 

ここは、とても大事な感覚のため、支援をしていく中で常に立ち返らなければならないのです。

 

  • 自閉症の親としての自信の無さは「無力感」で生まれる
  • 無力感は「私の力ではどうにもできない」感
  • 私の力(支援すること)で子どものよい変化を生み出す
  • 子どものよい変化は私によってつくることができる感(統制感)
  • 自閉症の親としての主体的な関わり(意欲)の復活

 

こんな感じです。

 

統制感が生まれてくると、あなたには「何とかなりそう」「自分はできそう」という自己有能感も生まれてきます。

 

この「私が関わり方を変えれば、自閉症の子どもも変わるんだ」というのを「支援者」が代わりにやってしまいますと、「自分の適切な働きかけによって、自閉症の子どもはよい方向に進む」という成功体験がないために、福祉サービスに精神的に依存するようになってしまいます。

 

物理的には、「支援の習慣」がないために、自閉症の子どもが身の周りの情報を理解することができなくなります。

すると不適応な行動が出やすくなってしまうということにつながります。

 

ですから、あなた自身が「少しずつ療育」をはじめることで、「地獄のように思える毎日」から抜け出すこともできるということですね。

 

ちなみにこのようなことを書くと「でも重度自閉症では意味ないですよね」ご批判思う方もいらっしゃるかもしれません。

しかし「軽度発達障害(言葉がおかしいですが)」や「高機能自閉症」「アスペルガー症候群」、はたまた定型発達の親でさえ「育児は地獄」って感じている方はいらっしゃるのです。

 

つまり重度だから辛い(それは相関係数を見てないのでわかりませんが)軽度だから辛くないということではないですよね。

当サイトの一連記事では「重度の子供を変える」ことではなく、親自身の感じ方を変えることを趣旨として書かれています。

 

ですから、区切っていません。

あなたが役立ちそうと思えば読んで実行すればいいし、役立たないと思えば自由にすればよいのですね。

 

では話を戻します。


自閉症の世界は【区切りがない】。

区切りがない。

それは「混ざっている世界」と言いかえることができます。

 

例えば、万華鏡をイメージしてください👇

 

 

これを見て「意味」を見出してみてください。

 

ぴょん
難しいですよね。 なぜならば、ここに「意味のある区切り」はないからです。

つけようとすれば、むりくり名前や意味を見出すことはできますよね。

 

さて、もしあなたが、これを区別するために「名前をつけていく」としたら?

どんな名前をつけましょうか?

 

「幻想」

 

それもいいでしょう。

でも、それはあなたが「幻想ってこんな概念」というのをわかっているから、つけているのですね。

 

ぴょん
そうですね。では、 カタカナだけしか使えないルールにしましょう。

 

さてこの絵に名前をつけてください。

 

 

つけましたか?

私は「セルシラリルム」にしました。

これは、まあ、音です。

「セルシラリルム」というカタカナは音がキラキラ聞こえそうな響きだからです。

 

次の写真をみてみましょう。

 

これも別の万華鏡です。

これも、意味のない世界です。

 

これは「グラッセンドル・タフレーン」ですね。

(これすら、私はグラス(草)1,000ドル(多い)を想起したので印象になっていますけど。タフレーンはさすがに追えませんでした。)

 

つまり、感覚的にわかってもらうとするならば、自閉症では「世界が万華鏡のように見えていて、カタカナしか使えない」感じに似ています。

 

それを区別するために、自閉症では感覚の世界に「自分で名前をつける」ことがあります。

 

ぴょん
それによって区別しているのです。

 

注意

万華鏡みたいに見えているのではなくて、私たちが「万華鏡をみたときのような認知・知覚の処理をしている」ということです。




意味のある世界って?【区切りのある世界】

私たちは、生まれたときは、みんな感覚の世界中心に生きています。

赤ちゃんは「光るもの」「回転するもの」に目を奪われ、ちょっとの刺激でびっくりして不安になって泣いてしまいます。

 

しかし、「音」(母国語)を覚え、「物に名前がついている」ことを知っていく中で、混ざり合った万華鏡のような世界は「意味のあるモノ」は区切られていくのです。

 

母国語を覚えるというよりは、「母国語いがいの神経はいらない」と判断して、刈り込まれるんです。

 

 

自閉症では、この「神経細胞が多いまま」残っているのですね。

 

  • 感覚の世界=自閉症
  • 意味の世界(言葉・概念・認識)の世界=定型発達

 

話を戻しますと、生まれたときは感覚の世界が主だったものが、「お母さん」という存在を知って、モノには名前があることを知って、「意味の世界」に移行していきます。

 

自閉症では「感覚が強いまま残ってる」ので、個人差はありますが感覚過敏や感覚の強い世界のとらえ方になったりします。

 

そのときに「ぼく」(一人称)の世界から、「2人称の世界(ぼくとあなた)」そして、「3人称の世界」へと発達していきます。

 

 

混ざりあったつながっている感覚の世界から、意味のある世界が構築されていく作業を「知性」と思ってさしつかえないです。

感覚の世界を切り分けて、意味を見出して、区別して、認識していくのはとても高度なことだからです。

 

 

 

ぴょん
私が、感覚でわかる範囲で「定型発達」と「自閉症の見え方」を絵にあらわしました。

 

まず、定型発達では「オブジェクト化」が起こります。

これは、意味のあるものだけを切り出されることです。

概念化とはちょっと違います。

  • 概念化➝般化に関わる
  • オブジェクト化➝選択的注意に関わる

 

概念化は、「似ている共通項(要素)でくくる」ということです。

オブジェクト化は見え方なので、知覚処理に近いです。

 

私たちの脳は「生きていくのに関係のない情報(重要じゃない)」をすべていちいち認識していると脳の容量が足りなくなるので、省エネとして「人・猫・家・木」など「意味のある重要なもの以外」をうすーーーく背景透過しています。

 

それは脳の処理でそうなっています。

 

しかし、まず自閉症はこの「背景透過機能」がついていないと思っていいです。

 

 

あくまでも私の直観・感覚分析なので、専門的なことはあまり勉強していないのでご了承ください。

 

混沌とした区切りのない世界【万華鏡のような世界って?】

それでは自閉症の見え方はどうなっているか?といいますと万華鏡のような世界です。

 

悩む人
世界が万華鏡のような感じってどういう意味・・??キラキラ光ってて綺麗ってこと?

 

そうではないのです。

あれは感覚のたとえなので。

 

まずは背景透過がなくなります。

 

これによって、「人や猫・家」など以外の「どうでもいいゴミ」や「点々」とかに注意がむく土台がつくられるようになっています。

 

背景透過がなくなると、すべてが等価で認識されやすくなります

 

意味が区別されてない「等価の世界=万華鏡のよう」という意味です。

 

説明が面倒なので、一気に感覚の世界を絵にしますね。

 

 

感覚の世界は、すべてが同一化というか、溶け合っています。

 

これは知覚の処理がこんな感じです。というたとえの絵なので、このように自閉症が見えているわけではないです。

ぴょん
このような感覚で世界を捉えてるってこと。

でも、知覚が強まって感覚が強まると、こんなイメージで見えることもありますね。

 

私は感覚が過敏になりすぎたとき、蛍光灯が青白く高速で点滅したあと、写真のネガフィルムのように見えて、気を失いそうになりました。

 

そして、感覚がつよまってるとき外の世界は遠くて、うすぼんやりとなっています。

 

ポイント

この感覚は自閉症の子によってそれぞれ見え方はまるで変わってきます。

 

葉っぱの脈の筋を見ている人(没頭している人)は

 

そこがまるで「迷路」のように。

「キレイな模様」の世界に。

そして「バームクーヘン」

「木の年輪」のような世界と感覚を共にします。

 

私は、このように葉っぱの筋をみると、絵が浮かびますが

 

言語も生きているので、大丈夫です。

言語機能が落ちたとき(メンタルダウンしたとき)は大変でした。

 

 

 

ネコは音がなるので、音符をかきました。

 

あとは、すべての存在はわりと混ざり合ってます。

 

ちょっと疲れたので説明はまた書きます。

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  • この記事を書いた人

ぴょん

はじめまして。ぴょんです。 中2自閉症男の子の母親。 支援や療育の記事だけを別のブログに引っ越しました。 サイトはこちら 発達障害の療育の勉強をしながら、自閉症の親として成長していく体験レビュー型ブログを目指しています。 そのほか、自閉症やADHDの子育てで気づいたことの情報発信もしています。 よろしくお願いします。

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