今回は、自由記述で書きます。
あなたが自閉症の育児が辛くなくなるには、まだまだ手順があります。
簡単な流れ
- 負のスパイラルへの自覚
- 無力感の認知修正
(およそ2か月) - 支援をしてみる
- フィードバック
- 修正される
- 支援をしてみる
- フィードバック
- 修正される
- (繰り返し)
無力感があると、「この子には何をしても無駄だ」思って、支援をすることをあきらめてしまってることがあるからです。
まずは無力感を打ち砕かなければなりません。
無力感=間違った努力をやりすぎた結果。
無力感。
それは、あなたが無力なのではなく「頑張り方が間違っていた」証拠なのです。
裏を返せば「頑張り続けてあなたの心が死んでしまった」状態。
ポイント
まずは自分が頑張ってきたことを認めてあげましょう。
- 頑張ったのに成果が出ないこともあります
- 努力=成果が出るではありません
- 間違えた努力をやめればいいだけ
- あなたは子どものために頑張ってきた(心が折れるまで)
無力感を抱くまで、同じことを繰り返してしまうのは「その方法しか知らない」から。
あるいは「頑張れば伝わるはず」「根気よく言い聞かせれば、自閉症の子もわかるはず」と誤解しているからです。
自閉症の育児は「正しいやり方でやらなければ努力も意味がない」のです。
間違った方法を試しても、あなたの努力は報われないのですね。
まずはそれを知ることです。
必ずただしい努力をすれば、成果は出ます。
定型発達の子には「どんな方法でもそこそこ効果がある」というだけなのですね。
自閉症の子にも「効果がある方法」があるので、それに切り替えていきましょう。
まずはあなた自身の心を癒すことが最優先です。
「今までよく頑張ったな、私」といって、少し自分が喜ぶもの(スイーツなど)ご褒美でも計画してみてください。
少し、気力が回復したらスクロールして👇レッツゴーです。
間違った努力をしても成果は出ない
間違った努力をし続けるのは「想像性」に問題があるかも?
効果があがらなかったら、「違う手段」を使えばいいのですね。
例えば、自閉症のお子さんが「そっちの道が通れないなら、こっちの道からでも辿りつけるよ」といっているのに「通れない道にこだわる」ことがありますよね。
人は「想像すること」で無意識に修正してる
私たちは「工事中で通れない道」があったら。
「この道が封鎖中なのか。だめなら、違う道から行こう」って思います。
これって、なんでそう思えるか?っていうと、無意識に私たちは「ゴールの状態」を想像しているからなんですね。
「こっちの道Aは行き止まりなのか・・・」(いま)
「行きたい場所はスーパーだから・・・」(目的地)
「この道Bからでもスーパーの前の道に出れるな」(👈ここです!!この無意識の想像が自閉症できない)
(ゴール状態=未来)
「こっちの道を通るよ!!」ではだめなのですね。
あなたは、頭の中で「他の道筋を知っていて別ルートでゴールをした自分を想像(図の流れ)できる」から「こっちだよ」って決めれているだけなんです。
自閉症ではカーナビ機能が働きにくい
(頭の中で定型は無意識にこれができているのですね👆豆電球を女性の上に着けるの忘れました。)
自閉症の子の頭の中には「この道A=スーパーに辿り着く」というゴールイメージがないことがあるのです。
なのに「この道A=スーパーに行く」って急に親に言われた、「なんで?意味がわからないよ」ってなる。
つまり「想像性」を絵で補って、見せてあげたらいいのです。
想像力を「見通しで補ってみよう」
家に帰ったあなたができることとして以下のようなことが思いつきます。
簡単な流れ
- いつもの道が通れないことを絵でわかるようにする
- いつもの道が通れないから他の道で行くことを伝える
- 代わりの道でもスーパーに辿り着ける見通し(想像)を示す
- 事前に伝える
こんな感じです。
想像力がない=わがままじゃない。
ここでもう一度、無意識に想像している流れボックスを開いてみてみましょう。
こんな感じで、定型発達では無意識に「現在の自分の状況」を細かい認識の計算式によって修正しています。
(これでも割愛しています)
ここで大事なのは「緑色の部分」になります。
自閉症では想像力の障害があるために「いま」に注意がむきやすいです(自己認識A)
認識という点においては、「自己認識A」もわかってないことがありますね。
ポイント
その場合は「いま、私は、〇〇をしている」という支援も必要になってきます。
自閉症のお子さんを育てている親御さんの中には「どうしてこの子は道順が変わったくらいパニックになるの?」と理解できないということもあるでしょう。
それが、「わがまま」とみなされてしまうこともありますね。
この緑色の部分をみてください。
私はいま道Aを進んでいる(自己認識A)
これを認識の要素で文章を書いてみますね。
するとこのようになります。
「私はいま、道Aを歩いています。
道Aを歩くとスーパーに行くことができることを私は知っています。
よって、道Aを歩く自分はスーパーに行くことのできる自分です(自己認識A)」
まあ、余談は置いておいて。
この「スーパーに行くことのできる自分」は「道A」を歩く自分なわけです。
ここで「突然、工事中だから、あっちの道から行くよ!!」って言われるとですね。
どうなるか?といいますと。
「スーパーに行くことのできる自分(自己認識A)」が崩れかけます。
これを、わたしたち定型発達の人は「想像力によって」
「新しい道を歩いている自分(の想像することで)」つくり出すことができます。
これが「道Bからでもスーパーに行ける自分」です。
このとき「道Aを歩いている自分」と「道Bを歩いている自分(想像力)」が、(定型は自動的に修正されて)
一致しているからパニックにならないんです。
(=「スーパーに行ってる自分B」(自己認識A=自己認識B)
ですから、自閉症の子の「この道を歩く僕」がどうなるのか?が見通しが立てば、変更でも理解してくれることもあります。
自閉症の子が「変更」ができないのは、想像性が苦手なだけで、わがままじゃないのですね。
ポイント
自閉症=「いましか認識しにくい」ということを覚えてください。
(想像力=いま目の前にないものを考える力=想像力が低い=いまに注意が向きやすい)
【感覚】あなたも体感してみよう。
この「自己認識のイメージの不一致によるパニック」は、定型発達でも起こることがあります。
特に「自閉症だからおかしい」「人間の脳の機能じゃない」ということじゃないんです。
例えば「ステーキを食べる気満々でお店にいったら、休みだった」
「どうしてくれるんだよ!!他の料理なんて食べたくないよ・・・」
これが「自己認識のイメージ不一致」による変更へのプチ反応です。
それってどういうときですか?
「食べる気満々の自分がそこにいた」ときなんですよね(笑)
お腹も減ってるし・・・
仕方ないから、他の料理食べようかな。
今日のところは残念だったけど
まあ、また今度食べに行くぞ!!(笑)
たいていの人は、このように「折り合い」をつけてあきらめるのです。
それは、だんだんと「他の料理を食べる自分」を想像することができるからなんですよ。
「本当に食べたい場合、次のチャンスがある(また行ける)」と知っていることで、待つことはできることがあります。
次回は「待つ支援」のことを書くかもしれません。
今日は、疲れたのでこのへんで終わります。