こんにちは。
今回のテーマは「メンタル疾患の人は自分を過大評価している」ということです。
これは、私自身が「メンタル疾患が悪化しているとき」と「診断がはずれたとき」の考えかたの違いの気づきの話です。
私が、確実に診断書を書いてもらったのは、パニック障害だけです。
その診断名で自立支援を受けていました。
その後、慈恵医大の先生が
自立支援の更新のときに
「今回は更新をやめましょう。(=診断書は書きません)
なぜならば、あなたの今の状態は、診断書を書くレベルに至ってないから」と言われました。
そして、そのあと「自分でも、病気じゃないと思っていたほうがいいでしょう?」と続けました。
実は、メンタル疾患というのは、周りの人から見ても「わかるくらいになった」とき。
もっとずっと前から、それは起きているんですね。
つまり、周りに反映されるのは遅いです。
ですから、私の「調子の良さ」が、周りの人から見て伝わったというのは、とても喜ばしいことなのですね。
さて。
なので、メンタル疾患がよくなっているときと、メンタル疾患が悪化しているときの、私の考え方はまるで違っているのです。
まずですね。
さまざまな違いがあるのですが、今日は1つだけ。
メンタル疾患の人は、得てして「自己肯定感は低い」傾向にあります。
しかし、実は「過大評価」しているんですね。
「私はどうしてこんなにできないんだろう」
「なんて自分はだめな人間なんだろう」
と、口では言ってるんですが、本当はそう思っていないんです。
理想の自己というのが、強すぎるんです。
つまり「もっとこういう風にできるはずなのに!!」って(無意識には)思っているんです。
あるいは「こういう風にあらねばならない(Being)」と思っています。
その理想の自己像が、現実の自分の等身大を超えてしまって、本来の自分の「実力」を見極められなくなっています。
つまり、「過小評価」していることは「過大評価」を同じことなのです。
30点とっても、こんなもんだよね~っていってればいいんですね。
それなのに「こんな自分はだめだ」って思っている。
どんだけ理想の自分はキラキラしてるんですか?(笑)
だから、現実の自分がだめに思えてくるのです。
キラキラするのは、現実の自分です。
いまのあなたです。
今です。
理想を高く持つのはいいことです。
しかし、理想の自分(たいていは未来の自分)と現実の自分が、つながっている感覚を持てないと
(=自己連続体弱いとき)に、メンタル疾患は起きやすくなります。
理想の自分になるために、今これをしよう!!ってなっているときは、OKですね。
だって、自分の今の行動が未来のよりよい自分になるための行動として、つながっているからです。
よくないのは、「理想の自己」だけが勝手に拡大してしまうときです。
起きやすいのは「プレゼンで発表するとき」とかですかね。
基本的に、メンタル疾患の人は「自分をよりよく見せようとしすぎ」なのです。
(ぜんぶ。私の個人的な自己分析です)
メンタル疾患の人は「こうなりたい」「こうありたい」「こう生きたい」という向上心や野心・理想が強いんですね。
これは正の欲望といいます。
動的エネルギーというのは、1つの方向ではありません。
「失敗するかもしれない」という裏には、必ず「成功するかもしれない」という可能性もあるのですね。
宝くじは「当たるかもしれない」けど「外れるかもしれない」でしょう?
「当たるかもしれない」って強く思っている人(信じている人)は
外れたときに「がっかり」の方向へのエネルギーがむかう力って大きくなるのがわかりますか?
つまり、メンタル疾患になりやすい人は(ストレス源が明確であろう適応障害などはのぞく)
「よりよく人生を生きたい」という欲望が大きいんです。
だから、うまくいかないときの「がっかり感」へのエネルギーも大きくなるっていうことなんです。
それを「負の欲望(死の欲望)」といいます。
だって「よりよく生きたい」という欲望が、達成できなかったときは
反動のエネルギーで「より悪く生きたくない(負のエネルギー)」(死のエネルギー)というエネルギーが大きくなってしまうのです。
つまり「理想への欲望が大きすぎる」ということが、反対のエネルギーとして働いてしまうのです。
これを神経症的傾向の強さといいます。
神経症的傾向の弱い人というのは、たいていは「まあ、そういうこともあるよね~」くらいで受け入れることができるのです。
それが、自分の理想とはまるで違っていても。
私は、「体が常に健康でいたい」というのが強すぎるので、ちょっとの不調でも心配になってしまいます。
しかし、人というのは、調子が悪いときというのはあります。
そのゆらぎを受け入れないといけないのですね。
これも「私はいつでも健康でいたい」という過大評価と、現実の不調がでたときの自分のズレになってきます。
変化に弱い人は、このズレに過敏です。
普通は「変化・ズレ」を無視したりするのですが
「違いに過敏な人」は、「感覚の違い」にも過敏になるために
安全な「感覚」(の変化)と脅威となる「感覚」(の変化)の区別がつきません。
パニック障害をはじめとする不安系の疾患(特に病気不安症・心気症など)は
「いつもと違う感覚」に過敏なので、
震度1の地震でも「危険!!!」のエラーがともって(点って)しまう感じです。
つまり、一種の学習処理障害のようなものを抱えているのが
メンタル疾患の人です。
まあ、私のことですよ。(笑)
でもそれは裏を返せば。
普通の人は。無視してしまうようなノイズの「変化」に気づけるということ。
だから、私はその「感覚」の違いを分析しているんです。
昔は、「その感覚の違い」に気づいてしまう過敏さを呪ったこともありました。
しかし、その「感覚」をうまく処理して、見えないものを体系化すれば、
きっと誰かの役にたつはず。
それは私の弱点であると同時に。
強みでもあるのですね。