こんにちは、ぴょんです。
今回のタイトルは「人生がなぜかうまくいかない人の共通点」です。
それは「なぜうまくいかないのかわかってない人」です。
実は「水が飲みたい」って言っている人に、せんべいを売っても売れません。
どんなに老舗の美味しいせんべいでも、売れません。
もっと喉が渇くからです。
そのとき「なぜ、こんなに、美味しいせんべいが売れないのだろう?」と思って
せんべいを売り続けるのは、ナンセンスです。
そのとき、学ぶべきは「売れない世界がある」ということです。
せんべいは、砂漠では、売れない。
これをデータに起こすことです。
これは秘密なんですが、モテる人というのは、それを十分に心得ています。
自分のことを好きそうな人たちをよく知ってるということです。
モテる人というのは、「自分がどんな男性(女性)から好かれやすいのか?」わかっている人です。
つまり「ある層からはモテないけれど、ある層からはモテている」
それだけの話です。
それを「知っているか?いないか?」が重要なのです。
人生がうまくいかない人は「売れるはずなのに、おかしいな」と思います。
そして「このせんべいは、嫌われているんだ」と結論づけます。
「売れない世界があるのだ」と気づけないでいます。
人生がうまくいかない人は、子どもにも「どうしてできないの」といいます。
できない世界があることを知らないのです。
できないのではなくて、これは「世界観」の問題です。
「できない」と結論づけてしまうと、それ以上進みません。
「モテない」と結論づけてしまうと、それ以上、どうしていいのかわかりません。
だって、その人=モテないんだから。
そうではなくて「モテない世界だから、モテる世界に行こう」なのです。
そうすると、「モテる世界にいくには?」と世界を行き来するだけでいいということになりますね。
「この子はできないんだ。」
そうではなくて、「その子にもできる世界」はあるはずですから、「その子が、できる世界にいくには?」と思っていただきたいのです。
ここで思い出してほしいのが、さきほどの「モテる世界」です。
その「できる世界にいくには?」をするときに、その人のできる世界から、視点を移動させてはいけません。
「佐々木希のモテる世界」と「黒木メイサのモテる世界」は違います。
なぜならば「その人が持っているモテる要素」はその人だけしか通じないからです。
「あの人みたいにモテたい~」って思ってもムダです。
その人ではないからです。
「定型みたいにできる世界に行きたい」ではなくて、「その子ができる世界に行くには?」に視点を維持してください。
その子の世界は必ず維持してください。
そのまま、「世の中」という世界観があることも伝えてください。
そのときに、「その子の世界」を壊さないように気を付けてください。
その子たちは、「その世界でできること」を探しています。
他の人たちの「世界観」にのみこまれて、自分の世界が維持できなくなってしまった人たちは、自分らしいまま世界と共存できなくなってしまいます。
(つまり定型に合わせようとして、二次障害になった自閉症のひとたちのこと)
何度もいいますが、「世界はひとつ」という歌がありますが、世界は無数にあります。
人が脳を通してこの世界を見ている以上、この世の中を正しく認識できる人は0人です。
ですから、「♪せーーーかいーーーはひーーーーとつーーーー」という歌詞は間違っています。
「♪せーーーかいーーーはーーーななじゅうはってんはちはちおくーーーーー個ーーーー」
あるいは「♪成層圏以下の地球という呼ばれている惑星の空間ーーーーはーーーーーひーーーとかたまりーーーーーのれんぞくたいーーー」
が正しいです。
それはおいておいて。
ですから、わたしは「空気が察せないことで人格を否定する人達(つまりバカにする人を)」
を「わからないことをわからない人達なんだ」って思っています。
そろそろまとめです。
自分ができないのではなくて、自分ができる場所・やり方・環境などを作ったり、整えたり、選べばいいだけです。
自閉症の子の「できない世界」が見えてないのに、できない子は見えてしまっている。
反対なのです。
自閉症の子の「できない世界」を見えるようにして、できる子を見るのです。
できない世界の中にいる「できる子」って、どういうことになりますか?
おさらいです。
「モテない世界にいる」「(本来は)モテる子」なので、
「モテる世界にいけばいい」という話になりますよね?
そのときには、「せんべい」を話を思い出して下さい。
残念ながら、せんべいは「液体のように喉をうるおせない」のです。
そして「塩分が多い」のです。
だから、「せんべい以外の商品になろうしてモテようとしない」のが大事です。
せんべい以外の商品になろうとしても、それはもはや「せんべい」ではなくなってしまうのです。
ですから、自閉症の子を、定型発達のようにしようとすることは、「存在の否定」につながります。
とにかく、「できないことがまったくない」ということは、ないことが多いです。
手がうまく使えずに、箸が使えない人達がいます。
そういう人は、手のひらや手の側面で「押す」という動作はできます。
そのような人が食事が簡単にできるように、設計されているカトラリーなども「できること」から生まれています。
「できる世界」はないと思っているから、できない世界を生きている子供を、できない子どもに結び付けてしまうのだと思うのです。
ですから、まずは「できる世界の存在を信じること」
そして「できない世界があること」を認識することから
始めるといいと思います。