こんにちは(笑)
実は、気づいたことがあります。
自己肯定感や自己評価が低かったり、劣等感を感じている人は
他人も自分と同じレベルでいてくれないかな~って、無意識で思ってます。
なぜならば、居心地が悪いからです。
釣り合わないからですね。
例えば、障害を持っている子が、何かをできなかったとします。
そのできないことを、「できない」って評価している親がいたとしますね。
すると、我が子が、同じできない子の中にいると、なんとなく安心して「自分の場所みつけた」みたいな気になります。
ここまではいいです。
しかし、できる子(ここではわかりやすく定型発達にします)の中にいると
「自分の子はできないと思っている」ので「できる子」の中では居心地が悪いんです。
この居心地の悪さを以下のように表現することがあります。
「波長が合わない」
「住む世界が違う」
だから、できない子(自分の子とあっている世界の子)と一緒にいるようになります。
つまり「自己評価(子供でも可)を低く見積もっているとき」って、他人がうまくいくことを心から喜ぶことはできません。
もういちどいいますよ?
自己評価(自分の子供でも可)を低く思っている人は
他人も、自分(の子)と同じように「できないでいてほしい」のです。
なぜならば、居心地が悪いからです(笑)
何がいいたいかっていうとですね。
「自己肯定感が低い人」って他人も(自分の位置まで下がること)=できないことを望んでいるんです。
望んでいるわけじゃないんですけどね。
自分の波動と近い「釣り合う人・場所・モノ・状況」などが、自分にあってるって思ってしまうからです。
こうやっていうと、自己肯定感が低い人って、他人にも自己評価を下げててほしい、そういう人が好きなので(苦笑)
いやなやつですね~。(笑)
他人ができないことが嬉しい人、それが私。
(注意:ちょっと伝わりやすいように誇張しています)
ブスすぎます。
いえね。
珍しく(?)私あったんです。
よその子を見て、「うちの子は・・・できない・・」ってなること。
これがよく聞く「定型うらやましい・・・一緒にいるのが耐えられない」っていうやつかって思いました。
私、この感覚、知らない。
嫉妬に近いけど、ちょっと違うんです。
嫉妬の感情は知っています。
放課後デイで、よくしゃべるお母さんの話で終わって、私の子の話がしゃべれなかったときなどに感じました。
それは「私もしゃべる権利があるのに!!」っていう、権利の主張に近いのです。
つまり「本来手に入るはずのものが奪われている感じ」で=嫉妬です。
それとはちょっと要素が、違っている感覚なので、その感情ではないと思いました。
「あの子はできるのに、うちの子はできない・・。」
これ、ただの羨ましさと思っていましたが、ただの私の心がブスなだけでした。
心から、相手ができることを喜んであげれないのは、美しくはないでしょ?
でもいいんです、これは前向きな受容なので。
上品な人って、自分のことを上品って思っている人じゃないと思っています。
己の下品さに気づける人が、上品になれます。
つまり「今のは上品さが足りなかったな」と思えるか否かです。
だから、私は自分自身のブスさに向き合えたので、これでいいんですね。
自己評価が低い人は、他人にも「ダメでいてほしい~」って思っているんです。(笑)
そんな自分、やだ(笑)
これが私の感覚の答えです。
そんな自分はいやです。(笑)
どんな自分でいたいか?は選べるのです。
(続く)