こんにちは、自閉症の中2男子を育てているぴょんです。
前回、自閉症育児で病まないコツは「愛を止めないこと」だという記事を書きました。
病まないどころか、育児も含めて人生がうまくいくにはあなた自身が幸せである必要があります。
これは、私の人生が「好調なとき」と「不調なとき」で比べて確信したことでもあります。
現状は何も変わっていないのに、私の人生が「いい感じだ」と感じるときと、「こんな人生」と感じているときの違いはたった1つだけです。
それは「自分のとらえ方」なのです。
自分のとらえ方だけで人生が変わるわけないと思うかもしれません。
しかし、成功するためには幸せが先に来ないとならないのです。
うまくいっているから幸せになるのではなく、逆なのです。
幸せだから、自閉症の育児がうまくいくんです。
どうしても感覚的にわかっていただけないかもしれません。
なぜならば
「自閉症の子供が問題行動を起こしたりしている。育てにくい」→「ストレスがかかる」→「不幸である」
こうなっていると思うのです。
このスパイラルの場合、あなたの人生が「幸福であるか?」は子供次第ということになってきてしまうのです。
これですと、幸福感を感じる基準が「子供」になっているので、あなたの人生ではないのです。
軸が「障害の子供」になっているのです。
子どもがどうにかなったら(例えば今よりもいい子になったら)私は幸せなのにという参照点依存になっています。
幸せは「環境や他人が整っていて」外部からやってくるものだと信じている。
違うのです。
もうすでに幸せなのです。
だから、自閉症の育児がうまくいくんです。
私は先日まで、諸事情によってメンタルが落ち込んでいました。
メンタルというか、波動ですけど。
このエネルギーを浄化するのに、左脳からも右脳からもアプローチをして元の参照点に戻しました。
そして、今日。
自分の恵まれていることや自分の中にある愛、自分を信頼することなどを高めた状態で。
そのマインドセットで、子どもに向き合って支援をしたら
今まで変えるのが難しかったルーティンの2、3つが良い方向に進展しました。
そして、新しいスキルも覚えて、なんと驚くべきことに。
息子自ら、「1つ達成」できたと感じたのか、声掛けをするだけで、簡単に自分から新しいスキルをやってくれたのです!
私は本当に驚きました。
まるで混沌とした部屋の中を「1か所だけ綺麗にした」ら。
他の場所まで「綺麗になった」(伝染する?)ような感覚です。
言語優位の皆さんにもっと馴染みのある言葉にしますと「悪い点をみつけたらどんどん相手の悪い点が見つかる」のと似た感覚です。
伝番?
それを、息子の行動の変わりよう行動で目の当たりしたのですね。
私は確信しました。
マインドセットだ。
子供へのとらえ方。感情。精神状態。(自分へも同じ)
これだけなのです、変えたのは。
知識?
変えていません。
変えていないのですよ。
変わったのは精神状態だけ。
どんなに素晴らしい知識を持っていても。
その武器が素晴らしくても。
扱う人によっては、まるでうまく技が発動できやしないのですよ。
子供が変わったら幸せになるのではない。
自分が幸せになったら、子どもが変わります。
重度や強度行動障害レベルでかなり強い固定がされてしまったり、親自身もかなりの癒着がおきていたら一朝一夕には無理かもしれません。
しかしそれはまるで魔法のように思えた。
子供が新しいことをすんなりとやってくれて。
私がそれを喜び、子どもは達成感を感じて、さらに他のことにチャレンジする。
どうしたら「子供自身が変わってくれるのか?やる気や主体性を持ってくれるのか?」ばかり模索していた。
でも、今日私がしたことは、自分の精神状態を変えただけ。
その2日前。
ゲームでの関わり方に毅然とした態度というのをとってみたのです。
非常に難しいことでした。
感情を脇に置く。
しかし、理屈やルールで問い詰めるということではなく、親として「こうなってほしい」だとか「感情」を一切において。
かといって警察のような市役所の職員のように事務的になるわけではない。
「区別・分別」をはっきりと明確に示した・・・その態度。
変えたのは態度だけです。
この態度の中には、「本気であることと覚悟」が含まれていました。
何の覚悟かといいますと、「必ず私は自分のルールを守る」という態度です。
(このルールは前日に一緒に決めたゲームのルールです)
覚悟は子供に向けられたものではありません。
すごく難しいのですが、ここでコントロールするのはあくまでも自分です。
子どもをちょっとでも言語で支配(=コントロールしようとする)気持ちがあると成功しませんでした。
この精神状態(口調や雰囲気などすべて)を出すのは、私には非常に難しいのです。
理屈で畳みかけるのとは訳が違います。
しかし、本来ならば、もっともっと小さなうちから。
「親は決めたルールを必ず実行する」と経験で学習させておけばいいだけのこと。
「もうちょっとだけ」という子どもの言葉を飲んであげていた私の責任だったのです。
それを自覚したうえで、いつもの支援を行ったのですね。
いつもの支援です。
変えてないのです、精神状態だけです、変えたのは。
いうなれば、どっしりとした岩。
親は動かせないと知ることです。
その岩を目の前にして、はじめて息子も悟ったのでしょう。
自分でやめることを選択したのです。
このときに、「これができないとこうなるからね!!」といったような言葉かけや雰囲気は一切してはなりません。
困ったような顔も、ため息もだめです。
その時点ですでに支配的であり、非言語や言語で相手(子供)をコントロールしようとする雰囲気が出ているから失敗します。
繰り返しますが、小さい頃から親側がやっていれば、「このような毅然とした態度」はそんなに要らないのかもしれません。
今回は違うぞという場合、覚悟を体現しないといけないのです。
子どもは「暴言や癇癪でルールを反故にしようとしてきた」のですが、私は動じませんでした。
「この子がこうなってしまったのは私が今までそれを許してきた私の責任だ」
「だから私が今度は自分でそれを断じて許さないようにしなければいけない」
「物事には自分がやりたいことに打ち克ってやめる判断をする経験の機会が必要だということを学んでもらわなければならない」
このようなことが胸に去来していました。
これは自分へ向けられた内言語なので、一切、口には出していません。
しかし、このような精神状態で関わったら、子どもが自分で決めてくれたんですね。
そして、子供はちょっと怒りを発散させていましたね。
しかし、私はその判断を息子が自分でした瞬間に「そう、それでいいんだよ。」と言いました。
息子の判断したときのイライラ感はすぐに2分ほどで収まり、一緒にバランスボールをやって遊びました。
今日も一緒にバランスボールで運動をしたり、お手伝い(というか自分の自立スキル)をしてくれました。
やはり、自閉症の支援はがうまくいくか?は支援者のマインドセットにかかっていると思うのです。
女性には自閉症の育児は本当に過酷ですよね・・・。
どうしても「暴言にビクビクしてしまう態度」を見せてしまったり。
(私はよくやってしまいますが、これはかなりだめです)
暴言や威圧や家具倒しやモノを投げる態度に屈服してしまう。
「じゃあもうちょっとだけだよ・・・」と表面上は言っておきながら、実行的には子どもの態度を強化させているだけなのです。
わかっていても、自分よりも力が強くなってきた息子は怖いのです。
しかし、怖さを超えるものがあるとしたら。
覚悟だけです。
幸せも。
幸せにになる覚悟をするのです。