夏休みにつき、質を落として自由に書きなぐる方法(いわゆる日記風)を継続します。
申し訳ございません。
さて。
私はよくこのような状態なることがあります。
モチベーションの低下です。
これがひどくなると、「意味あるのかな?」に発展する厄介な代物です。
いわゆる動機付けというものですね。
おそらく多くの人は「やる気でない・・・」という気持ちが進化して発展しても。
「やるべきことだから」ということでやるかどうかはさておき。
「意味あるのかな?」という境地にまでは、ならないのではないか?と思います。
という寸でのところで、止まっているだけです。
私は
モチベーションが沸かない時点でやる意味を失います。
義務感や役割によるものよりも、「自分が納得できていること」だからやっているということが大きいです。
これがアスペルガーグレー(自分ではどっちか不明だけど)と言われる所以なのかは謎ですが
なんとなく、自閉症の勉強会に出ていて自閉症の人のことを学んでいると。
「うん?私もこんなことあるなあ。(これって自閉症の特徴なの?じゃあ自分もそうなる?)」となります。
むしろ、「親だからこうする」「女性だからこうする」「新人社員だからこうする」というのを守っている人は少ないと思っていました。
ええとですね。
私は納得できなければ、会社のルールに従いません。
新人社員はこういうルールなんだよ、と教えられたことがありました。
研究開発職のときでした。
私はピンクブラウンに髪の毛を染めていたんです。
19歳ですね、入社1年目です。
髪の毛の色は会社では頭髪検査というのがあって、自然光の中で「トーン3まで」とか規約があります。
で。
そんなものはどうでもいいんです。
なんといえばいいのかわからないのですが。
1段階目のルールがあるじゃないですか。
その理由や意味がわかると、「なるほどー!!」って思うんですよ。
この「なるほどー!!」っていう筋が通った感覚が気持ちいいので、掘り下げて勉強するに近いです。
だから、「謎がとけたとき」は気持ちいいし、わからないとずっと「なんで?」って考えてしまう。
むしろ、「なんで?」を放っておける人って不完全燃焼な気持ちにならないのかな?って思う。
で。
「ルール」がありますよね。
そのルールはこうなってこういう理由でこれこれこういうことを防いだり、これを守るとこうなってああなってこういう風になるから。
だ・か・ら。
「このルールが必要である。」
(気持ちいい!!)
ここですよね!!
この、「よって、〇〇である。」これが気持ちよすぎてたまらないんですね。
数学の計算はつまらないけど、証明は気持ちいいという感覚です。
分かる人いませんかね?
ですから、私にとって「ルール」というのは。
数学の公式に似ています。
だから「公式だけ見せられても、なんで?」ってなる。
なんでそうなるの?
どういう理屈でそうなってるの?どうやってつながるの?その公式は何を求めるために存在するの?ってなる。
そこがつながってないと、言っていることはわかってるけど「ルールは無効化」されますね。
だって皆さんだってそうでしょ?
数学の公式みせられてさ。
「あっなんでキミはこの公式を適用しないんだ!!」って怒られたって。
え?だってこの公式、よく意味わからないんだもん・・・説明されていないし。
ってなる。
他の人はどうかわかりませんけど。
世の中には公式を見ただけで「その裏の意味?証明を推測でできる?」人がいるようで。
で、話をもどします
私の髪の毛の色が、その企業人として相応しくないとかで他の部署の人事担当の偉い人に注意されました。
それが私の部署の直属の上司に伝わって、注意されたのですが私の他に部署には金髪に近い明るい感じの男性がいたんです。
私だけ注意されたので「でも、〇〇さんだって髪の毛明るいじゃないですか。」と反論したんです。
そうしたら「お前は1年目だろう。〇〇は入社何年目だからいいんだ」と言われました。
年功序列によって髪の毛の色が許されるんですか?
入社順で、本来してはいけない髪の毛の色が許される人と許されない人がいるんですか?
じゃあ、社長は会社のルール破り放題ですか?って論理になってきてしまうんです。
「そもそもの髪の毛の色のルールを守っていないのに言い訳がましい」と思うかもしれません。
でも、私はなぜ髪の毛を染めてはいけないのか?納得していなかったからです。
営業ではないですし、大企業の社員といっても「ぱっとみたときの印象」をそこなわなければいいわけです。
いつも言われていたのが「休みの日だろうがプライベートだろうが、〇〇(会社名)の社員ということを忘れない振る舞いをすること会社についてから仕事ではなく、出勤時のふるまいも企業の看板を背負っていると心得よ。」
校長先生が「家に着くまでが遠足です」というのに似ています。
そもそも、なんで大企業に入ったら、その会社らしい人にならなきゃいけないんですか?
自分という存在や自分らしさというのは封殺されます。
繰り返しますが、私は真面目ではないです。
髪の毛の色と仕事ができるかどうか?がどう関係あるんですか?
じゃあ、外国人の社員に髪の毛の色なおすようにいうの?(笑)
差別じゃん。
だから、私は出張や都内のお食事の接待とかでもスーツに。
大好きなゴールドのミュールはいていったら怒られました。
ランドマークタワーで取引先の会社の人とランチとかするんですよ。
スーツには就活の黒い靴がよかったのでしょうか?
でも、頑張ってスーツにしたんだから、好きなゴールドのミュールあわせたっていいじゃん。
仕事内容と靴の色は、なんか関係あるんですか?
で、座って会食とかって(派手な)足元が見えないからOKでしょ?
したいことをして、言いたいことを言って、着たい服をきてました。
協調性か空気が読めないと判断されていたと思います。
これは私は真面目に見えるみたいなので、そうではなくて「納得してないと規則に従うことはない」ということを説明するための実体験です。
私がもしアスペルガーだとしたら・・・
いや、でもどうなんだろう?
アスペルガーの方だったら「会社のルールをしっかりと守る」のかも・・・?
ちょっとわかんない。
自分の「こう!」っていう主張に基づくルールの考え方?そのものが他の人にとって普通なのかどうかなんてわかりません。
私にとっては普通なんだから。
で、話を戻しますと。
「母親だからこれをしなきゃいけない」「自閉症の親だからこれをしなきゃいけない」というのもそんなルールないと思います。
なんで。
ここの動機付け=納得感が薄れていると
「なんでやらなきゃいけないの?!」「なんの意味があってやるわけ?」ってなるんです。
これの亜種として、「なんで〇〇してくれなかったの?」「〇〇してくれればよかったのに!」というのもたぶん私の中にあります。
これは私のせいではないけど、私に不利益がもたらされたときに使う言葉です。
私はどちらかというと、他責ではなく自責傾向が強いのであまりこのような考えになることは少ないです。
しかし、あきらかに「区分けされた責任の範囲」をどこに持ってくるか?という部分で、自分の責任ではないのに不利益があると判断した場合は
「なんで〇〇しれくれないの?!」ってなります。
それもまた「納得感」が大事です。
「責任の所在を明確にする」「不利益はない」ということを説明できれば、すぐに収まると思います。
大企業の私への「お前は1年目だからだめ。〇〇さんは何年目だから髪の毛のルールを破っても許される」という説明の仕方は下手だったわけです。
証券会社などでも、「本来(規定)は黒のスーツ」だけど、何年目になったらこういう色のおしゃれなスーツの色が許されるとかあると思います。
これは、それ自体の暗黙知を「ルール化」してしまえばいいと思います。
それをなんというか「ルールとして明文化」してくれたら、その見えにくいルール?を納得できるような気がします。
だって、たぶんですけど「どうして私は黒のスーツしかだめって教わったのに、〇〇さんは紺色のスーツでいいんですか?!規則違反じゃないですか!!」って言っちゃいうと思うんですよ。
そこで「何年目になると少しルールって崩してもいいっていうルールがあってね。このルールの適用範囲やゆるさはそのコミュニティによってさまざまなんだよ。そのゆるさをどうやって知るのか?というと・・・」
ん?
やっぱりわかりませんね。
私はほぼ直感でブログ書いているので、あとに続かない(文章が打てない)というのは「知らない」ということ。
そのコミュニティに醸造されたと思われる「新しいルール?空気感」ってどうやって知るの・・・・?
知りようがないですよね。
でも、私は「〇〇感」は感じ取れるんですよ?
そのコミュニティの共有しあっているルールではなくて。
そこに満ちている「感覚」は感じ取れます。
「ピリピリした空気感」とか「ゆる~い感じ」「しらけた空気j」「私に注目している空気」とかのことです。
この感覚は鋭いと思うので、人がたくさん私に注目すると疲れてしまいます。