子どもが診断されて自閉症の親になってからというもの。
よくこのような言葉を聞きます。
うちの法人では障害=悪いものではないよ、その子の持つ個性なんだよ~。
そのようにとらえるような方針をトップがとっているんですよ。
わたしは昔(2017年)市の相談支援員からそういわれました。
自閉症の親よりも、支援員さんや先生などの教える側がこれを言ってる姿が多いと思います。
色々な考え方があると思いますが、私は自閉症は個性ではないよりの考え方をしています。
数ある放課後デイサービスも、特色や事業所の考え方があります。
もしその運営の自閉症への療育の考え方があなたの自閉症の子育てライフスタイルの実現とあっていないならば、無理して付き合う必要はありません。
考え方はひとそれぞれです。
支援員さんや医師、専門家の人が言った「考え方」をする=正しい自閉症の親の理想像って思って思考停止で従う必要性はないのです。
私はちなみに、相談支援員さんが「うちの法人は障害ではなく個性って教えているから」といったとしても、話半分で聞きました。
「この相談支援員さんは、K先生をそのようにとらえているんだな」と思うだけです。
これは、疑い深いのではなくて、私は私で「この療育先の(この先生は)このような方針だろうな」というのは直感で感じることがあります。
そして、私は自分の感じた直感のほうを信じています。
本人に聞いてほんとは答えあわせはしたほうがいいですけどね。
私は、障害か?個性か?は「どっちでもない」「正解が言えない」(でも障害より)なので、
相談支援員さんには失礼になってしまうのですが「ただそれ安易に言わないほうがいいよね」というスタンス。
でも、「この療育先ってこういうスタンスなんだ」って信じてしまう親もいる可能性は否定できません。
けっこう、「障害か個性か」はセンシティブな問題ですからね。
「こういう考え方じゃなきゃだめだよ!!」って言われて、「そうやってできてない私はだめなんだ」と思ってしまう親や「決めつけられていやだ!」と傷つき怒る親の可能性はゼロではない。
まあ、それはさておき。
今回は自閉症は「障害か?個性か?」私自身の独断と偏見で意見を述べたいと思います。
自閉症は障害なのか?個性なのか?について慎重になるべき理由
結論からいいますと「自閉症は障害か?個性か?」論争は正解はないのですが、これって究極的には親が決めることだと私は考えます。
相談支援員さん・医師・専門家の人から、「だめだよ!そんな風に考えちゃ!!こんな風に考えないと!!」っていわれても、本人の中での信念ベースなので外部から言われても、むだです。
正確には、親自身がさまざまな葛藤を乗り越えた末に「障害についてどのように認識するか?」も要素として複雑にかかわってくると思うのです。
親が受け止められているか?という環境においても、「障害か?個性か?」にはあまり言及しないほうが賢明だと思います。
- 障害なのか?個性なのか?て区切る考えかたではカットオフポイントがある前提になってしまう
- 障害に向き合わない親が出る可能性
- 親ごとに障害をとらえている信念が違うので琴線に触れてしまう可能性
このような問題点が考えられます。
障害を個性と捉えるデメリットとはHSPと同じです
私は一貫して障害は障害であるというスタンスで育児をしています。
理由は、障害を受け入れるためにその言葉に逃げて子どもに向き合わなくなる可能性があるからです。
個性でもいいのですけど、これを言っていると親の中には「逃げ道」に使う親も多いということに気づきました。
(2015年ごろです)
さらに、「障害は個性」といっていると障害とむきあって頑張っている親御さんの中にも
という神経を逆なでされるという方も多くいらっしゃるようでした。
(*そのような声をネットでたくさん悩みとして拾い上げています)
人は、自分にとって都合の悪い情報があった場合、「都合のいい情報を総じて信じやすい」のです。
都合の悪い情報には反発する。
もし、子どもに症状として自閉症由来のものが散見されるとしまして、それを認めたくない親は「HSP]「個性」という楽な治療も必要ない・子どもに真剣に向き合わなくても済みそうな情報を信じてしまいます。
まあ、こんな感じになるのです。
ですから、私は2016年くらいから「HSP/HSC」の概念が世間に認知されて流行ってきたころ「ああ、これは発達障害の子どもが検査にこぼれおちてしまう」と思って心配していました。
そしたら、本当に「その育児本」が出始めて、発達障害の親と思われる人のレヴューが出ていました。
親はいいでしょうね、「繊細さん♡」って言っていればいいのですから。
でも、100に1の確率で放置された子どもはどうなるのでしょうか。
もしかしたら、あなたの思っているその「HSC(Highly Sensitive Children)」は自閉症なのかもしれないのです。
個性とか言っている場合じゃないんです。
なんてこと私自身は自信を持って言えないのですが、少なくても自閉症という障害について理解しようというスタンスが損なわれるような方向性の言葉は広まってほしくないのが本音です。
私自身、障害の受容はできているとは思っていますが、何かの節目でおセンチになったりすることはあります。(笑)
ずっと強い人間なんていません。
人の心は弱いものです。
受容ができていないような感覚に襲われて、将来の不安が高まって時には混乱したっていいと思います。
私はそんなに強くはありません。
ですから、私は「障害か?個性か?」「受容できてるか?できてないか?」と一刀両断でくくるのはよくないので決められないよねっていうスタンスなんですね。
よろしくないパターンは「障害ではなく個性」×「受容できてない」の組み合わせです。
個性から入ってしまうと「受容できない(する必要がない)」と無意識に合理化されてしまう恐れもあります。
ですから、お子さんの障害を「自分ではどうしようもなくてサポートが必要である脳の機能不全」としっかりと認識するためには、「個性ですよ!!」と親御さんに軽々しく諭す問題ではないと思います。
相談支援員さんを悪く言っているように思うかもしれませんけど、決してそんなことはなくて、テーマについての持論を主張したいということで書いています。 ご了承ください。
自閉症は自閉症だと思います
私の結論では、「個性でもないし、障害でもない」けれど「強いて言うと障害」になります。
しかし、本当の本音でいいますと。
前回の記事でも「定型発達って共感性ないですよね」と同じ理論になってしまいます。
だって、何度も繰り返して申し訳ないんですけど「共感性ある」というならば、なぜ自閉症の気持ちに共感しようとしないのか?
不思議でなりませんもの。(笑)
私から見たら定型発達の人は共感性ないです。
「自分の考え方・行動は正義」だと思って、自閉症の人に「是正させようとする」共感性のない自己中な人って感じだわ。(笑)
【参考】定型発達の人って共感力ないですねって話~自閉症も共感力あります~
この記事の理屈と同じでして、共感性があるかないか?で明確に区切れるものではないです。
自閉症の人たちの行動や考え方は、その人たちが集まった集団の中においては別に「独特でもなければ好奇の目で見るものでもないでしょう?」
ならば、個性ならば、定型発達も同じこと。
誰もが、個性を備えています。
もし、あなたが自分の個性がわからないというのであればあなた。
「みんなと同じ症候群」にかかっているのですよ。
だから「みんなと同じように行動している」し、量産型女子のようにすべて同じに見えるのです。
個性は皆さんが障害の有無に関係なく備えている。
それなのに、「みんなと同じ」という症候群にかかると個性を認識することができなくなるのです。
そして、個性的な人を「みんなと違う!!村から追い出そう」っていって排除する。
それだけの話です。
世の中には個性を嫌う風潮もあるってことね。
さて、それでも「個性にこだわって生きる?」「みんなと同じにこだわって生きる?」
どっちかに偏っている時点で、中庸ではないってことなの。
どっちでもいいじゃない。
あなたはあなたなんだから。
私の本音はこうね思考を介さない本音は。
まとめ
- 自閉症は個性と言われると傷つく&怒る親もいる
- 相談支援員さんは慎重に取り扱うテーマでの発言に注意してください
- 障害を個性にしてしまうと逃げ道になる可能性もある
- みんな生まれたときから個性のかたまり
以上です。