自閉症とADHD傾向のある中学生の息子を育てている母親のぴょんです。
皆さんは、このようなことを考えたことはありますか?👇
がんばって療育をすれば、定型発達に追いついて発達の凸凹もなくなるかもしれない。
そうすれば、子供の「自閉症」の診断もはずれるかも。
残念ですが、この考え方をしていると「療育に挫折」してしまうことがあります。
なぜならば、「目の前の自閉症というわが子を本当の意味で受け入れている」とはいいがたいマインドをしているからです。
自閉症を「治す」「改善する」というとらえ方をしていると、頑張れるときは頑張れるのですが、結果が出ないときに辛くなってしまうのです。
筆者も経験したのでわかるのですが、「自閉症の子供をみんなと同じにしたい」という想いから育児をしていると努力したぶんだけ結果が出ないとき、自閉症の育児へのやる気が奪われていってしまいかねません。
今回は療育疲れや自閉症の子育て疲れを防ぐために、参考になる考え方を経験談から公開していきます。
考え方のベースはこちらの本を読んだうえで、私が持っている持論を述べています。
【参考書籍】「本当のTEACCH自分が自分であるために 学研、内山登紀紀夫、著」「自閉症のTEACCH実践、岩崎学術出版社、佐々木正美
自閉症の子どもというのは「アイデンティティ」で病気じゃない
発達障害は病気じゃなくて脳の違いです
自閉症というのは、先天性で治らないといわれています。
そして発達障害は病気ではありません。
脳機能の障害です。
障害とついているから何か悪いもののイメージがあります。
改善するという考え方ではなく、「特性をサポートする」という考えかたをTEACCHでも推奨しています。
発達障害の特性を改善しようとせずにあるがままの文化として認めてサポートするのと、その文化(特性からくる考え方など)を矯正したり改善しようとするのは、考え方の軸がまるで違っています。
参考:TEACCHってなんだろう?【自閉症のひとりひとりの特性を大事にする】
血液型を改善するといわれても無理なのと同じように、発達障害を改善するのは無理です。
私たちが、「治したい」と思うとき改善する対象は2つあると思います。
- 問題行動やできないことを改善すること(行動)
- その人自身がだめだから改善させようとする
(人格・性質・気質・考え方・感じ方・思考の方法など)
忘れ物をする人が「忘れ物をしないためにはどうやって行動を改善したらいいのか?」を考えることは重要です。
ですが、「忘れ物しないような人間に改善する」と考えるのは、よろしくない考えかたです。
なぜならば、前者は「忘れ物をする人を受容(受け入れている)」けれど、後者は「忘れ物をするような人を受容できていない(受け入れていない)」からです。
発達障害は予防したり改善するものではないのです。
改善というのは「よくないものを改めて善いものにする」というような意味あいが含まれます。
私は「発達障害を改善する」という言葉を聞くと嫌な気持ちになります。
このような考え方をしている人は、とても客観的といいますか「発達障害そのものを尊重」という視点ではないと思うのです。
もっと、科学者というか無機質にみている感じ。
あなたの血液型は何型ですか?
って言われたらなんか嫌じゃないですかね?
治すのは行動であって「発達障害のあなた・僕・私」ではないんです。
そこを混同しないのが大事だと思います。
発達障害を病気ではなく「違う存在」として認めること
人間は誰でも同じ人は一人としていません。
ですから、人は人、自分は自分と区別がついていればいるほど他人の違いが気にならなくなります。
違いが気にならないということは、「他人の違いを認めることができる」ということです。
違うところにこだわればこだわるほど相手を尊重できなくなってしまいます。
そもそもなぜ同じじゃなければならないのでしょうか。
同じでありたいと願う根底には、「仲間」「同類」という気持ちがあります。
人間は自分と同じ考えや行動をする人を好ましく思います。
ですから、自分の好きな人は自分と同じ考え方や感じ方をしていてほしいし、自分と似ている考え方や価値観の人に自然二好意を持つようにできています。
そして本能レベルでは同じ考えや行動をする人は「自分の仲間・味方である」という安心感を得ることができるのです。
だから、みんなと同じことによって得られる最大の副産物は安心感なのです。
不安なとき、人はみんなの行動にあわせようとします。
「みんなはどうしているのか?」周りをみて「自分の行動があっているのか?」確認しようとします。
これを社会的参照といいます。
社会的参照とは、問題解決場面や、行動選択がしにくいとき、自分だけでは意思決定や行動選択がしにくいとき、周りの人の表情や態度・反応をみて行動を決定するような現象のことを言います。(コミュニケーションが人を成長させる Be&DO強調スニペッドより引用
そもそも人と違うことをしていることを認めることは、不安がつきまとうのです。
発達障害の子供の親や当事者の方が他と比べて「みんなと違う」と感じるのはとても不安なことなのですね。
1人1人の違いを認めて尊重すれば「普通」「みんな」という概念はなくなる
違いを認めるのはとても不安なのね。でも発達障害は治るものじゃないし・・・。
どうやって受け入れて違いを認めればいいのでしょうか。
答えは、「みんなの普通」と「自分の普通」は違っていることを知って、それを強く認めることです。
「普通」というのは主観だからです。
ですから、人の数だけ「普通」があります。
- 文化や背景で常識が変わる
- 人の家庭と自分の家庭の育った常識が違う
などのように、時代や環境・土地などによっても「普通」が変わってきます。
ですから、人の普通というのは自分にしか適用されません。
とわざわざ自分の考え方や感じ方を人にも押し付けようとする人がいます。
私の母なんですけどね。(笑)
困ってしまいますよ。
他の人が自分と違う考え方や意見を持っていても反論したり、是正させたりする人っていませんか?
すぐに批判したり攻撃的になって「それって間違ってる!!」って店員にも何でも言う人。
そのような人は「自分と他人の違い」を受け入れて認め、他人の意見を尊重するということができていないのです。
他人と自分は違うのです。
これでいいじゃないですか。
自分の意見を主張することは大事ですよ、そのときに「いや、それっておかしくない?」っていうんですよ。
そうなんだ、私だったらこう思うけどね。でいいじゃないですか。
私は猫が好き!!
私はね、犬かな。
いやいや僕はぞう!!
こんなんでいいじゃないですか、次々にポンポン意見言っていけば。
「普通・おかしい」と感じるのは感覚の違いだからです。
普通という言葉をおおく使っていると、相手のことを認めたり相手の感じ方を尊重できなくなってしまうと思います。
改善という言葉を自閉症の子どもにむけて使っている療育の先生とかいたら疑ったほうがいいです。
自閉症のことを海外でずっと学んできている(海外のほうが自閉症の支援は進んでいます)専門家だったらそんな考え方はしないはずです。
主観と客観をわけて物事を考えていれば、発達障害の子供を改善しなきゃいけないというようなとらえ方をしなくなってくると思います
主観は変わりやすく、いつでも変わってしまう物差しに過ぎないことがあることを知ることが必要です。
まとめ
発達障害の子供を認めていくことは、療育を続けたり子育てをしていくにあたってとても重要なことです。
結局、これができていないと結果がでないとき、子育てや療育に疲れて挫折してしまうからです。
それを防ぐためには、発想を変える必要があります。
- 改善よりも子をサポートする黒子のイメージを持つ
- 違いを認めることで「普通やみんな」という概念から自由になる
参考になれば幸いです。