突然ですが、不幸な話をしてくる人っていますよね。
私のブログも、「怒りや愚痴」を書いたほうが伸びるような気がします。(汗)
不思議です。
私はあまりブログでもリアルでも愚痴や不幸を話したくはないです。
自分自身、暗い気持ちになるからです。
今回は、謎を解くのが好きな私が「不幸なことが好きな人」を分析してみます。
私の母が人の不幸や批判大好きで電話で聞かされる
不幸な事件や人のネタが好きな母が謎すぎる
私の母が、この不幸な話が好きなタイプで困っています。
「あの店の店員の態度がひどい!!」
「もっと政府がこうすべき!!本当に
ろくでもない!!」
「自閉症の暴力遺伝子がどうこう・・・」
それも、なんだか言っている本人は楽しそうなんですよ。
ほんとうに辛いことって話すとき、辛くないですか?
あと、腹が立つのは「アスペルガー症候群は生まれながらに暴力遺伝子」を持っているんだと私に数時間、力説してくることです。
小さいころから「世の中はひどいところだ!!」などといったり、心配や恐怖や悲しいことばかり気を付けるようにいってくるのです。
家には「犯罪事件」の本ばかり。
不幸なブログや不幸な人・事件が好きな人の心理を分析する
まず、「仮説1」は不幸を話すと、人の注意を引き付けられるから?とします。
人の注意を引き付けなくてはならないということは「自尊心が低いのではないか?」と仮説を立てます。
私は、昔、大手企業に就職していましたが愚痴を言っている人はいませんでした。
しかし、退社してホームセンターのレジで働いたときにパートのおばちゃんが愚痴や文句ばかりだったのが衝撃的でびっくりしました。
愚痴らなくてもいい立場
なんでしょ?
それは違うのです。
レジ打ちの人になくて、研究開発の仕事に携わる人の差を考えていました。
そして、1つの結論に到達しました。
その仕事(対象)への自分の誇りや信念や自覚のあるなしです。
私が研究職で入社して初めに教わるのは、機器分析の方法ではありません。
研究開発職の自覚とマインドです。
自分の研究データに責任を持たなければ、間違った商品ができあがります。
自分のデータから述べることを「〇〇だと思うんですよね」くらいのレベルで言っていては、怒られます。
絶対的に「自分が研究して分析した報告書は完全に自信を持たなければならない」のです。
この自負が持てないのが「レジ打ち」だと思うんです。
本当は持てるのに、私はレジ打ちに自負を持っていますという人はあまりいませんので、そういう違いだと思います。
ポイント
あなたは不幸な人を見て「何を得るの?」か自分で選択できる
私はこの1人1人が持つ自負の「空気感」が個人に足りないことが「愚痴の原因」だと予想します。
エリート集団の中では「かったりーなwwwマジ上司うぜぇ。」と言っていると、誰も相手にしないです。
反対に「ヤンキー集団」の中では「みんなで他の人の役にたつために盛り上げていこう!!」って言っても「優等生ぶってんじゃねーよ」となります。
つまり、不幸なことを発言するという人は、以下の理由が考えられます👇
- 不幸なことを言える空気感だと思っている
- 不幸なことを言える雰囲気ではないのにいってもいいと思っている
(俗にいうKY) - 不幸な自分に酔っている
(悲劇のヒロイン) - 不幸なことで相手が自分の話をきく
(同情しくてれる)
⇒他人をコントロールできる - 不幸なことを共有したい
(同じ仲間がいる安心感) - 相手への幸せけん制アピール
(逆マウンティング)
(=不幸の私に幸せアピールするなよ?) - 自分への無価値観を不幸のせいにしてる
あ、こちらは「不幸なことを言ってくる人」の場合です。
もう1つあるのか。
不幸を聞くのが好きな人ですね。
でも、不幸なことを見る聞くのが好きな人も同じ理由でしょ?
上の理由の中の赤字部分をごらんください。
たぶん、ブログで不幸な人の話が好き、メシウマ!!とか言ってる人は、「自分自身を不幸な存在」だと思ってるわけです。
メシウマとJ本人が気づいてない場合もあります。
ですが、人の不幸な蜜の味といいましょうか。
「私よりも不幸な人を見て安心する」
よかった~!!私も同じですう!!」
この状態は精神的に危険なので、すぐにやめましょう。
いいすぎました、危険ではないのですが「一生、不幸な人生を自分で選んでいる」ということになります。
ポイント
【不幸な人】逆マウンティング女子に気をつけよ!!
勝手に被害者ぶる人たち
これは、体験談なのですが。
- 「自分の子どものよかったところ」
- 「うまくいった方法」
- 「うまくいったできごと」
を話して何が問題なんですか?
人がうまくいった出来事を話すと
「マウンティングされた!!」
「へえーあなたはうまくいっててよかったね」
「自分の子どもはうまくいってる自慢ですか?」
「空気よめよ」
と言われることがあります。
私のブログもどちらかというと、うまくいく体験やうまくいくための方法を書いています。
私は、育児でうまくいったできごと(あるいは失敗談)をシェアして伝えたいから
記事が役に立ってほしいから、書いているんです。
「視点を変えたらうまくいって嬉しい!!」という人の成功体験を「クソバイス」と呼んだりすることってどうかと思いますよ。
なんでもかんでも被害者ぶったら、「すべての出来事のいいこと」を他人に話せなくなってしまいます。
女子は何なんですか?(笑)
私が不幸なんだから、あなたも不幸な話しかしちゃいけないの!!
という「不幸の連帯仲間意識」は見ていて、ドン引きです。(笑)
こういうのを、一部の女性は「仲間意識」とかいってるんですよ?
どうせ、「相手が幸せになったら縁を切るんでしょう」?
不幸な仲間でつながっている信頼関係は弱いものです。
それが本当の仲間っていえるの?
不幸な愚痴でつながっている仲間は本当の仲間じゃないと思います。
ほんとうの仲間とは、相手がうれしいときに共感してあげることです。
共感大事だよね!!っていいながら、お相手のママ友の不幸なできごとしか共感してないじゃないですか。
そんなに共感が大事っておっしゃるんであれば
「相手のお子さんのうまくいったこと」も共感なさったらいかがですか?
それを
って晒す人は被害妄想です。
「加害者か被害者」という世界に生きてるんです。
それに同調する人も同じです。敵か味方か。被害者か加害者になるか?
どちらかの世界。
そんな世界って苦しくないですか?さっさとあなたは抜け出してくださいね。
まとめ
愚痴をはびこらせるのは、「空気感」です。
そして
その「空気感」を先導しているインフルエンサーがいるはずなのです。
愚痴を言うことで、自閉症のママ友の輪を広めるのはやめていただきたいです。
それが「救世主」?
冗談じゃない。
そんなもので人間は救われることはありません。
逆に不幸になりますので。
愚痴に共感することは、愚痴っている相手にとってもいいことではないんです。
「不幸な状態でいること」を助けてあげているんです。
無意識に愚痴ることが当たり前になって、コメントがたくさんつくと「愚痴がある自分」がデフォルトになります。
セルフイメージ的に本当によくない。
私は市役所に「私の話に共感ばかりしてましたが、それだけじゃ助けにならなくて私、依存して子どもへ怒ったことも正当化してしまう」
だから、電話のときに、共感ばっかりしても救われない、他の親にもやらないでください、って言いました。
ですから、相談支援員さんなんかでも「愚痴に共感」ばっかりの人は避けてください。
そんなんで、その人が救われることは100%ないです。
愚痴る人、不幸なことをしゃべる人は、自分に心の問題に向き合わなければならないのです。
共感してしまうととその人が解決しようとしなくなる、成長を妨げているんです。
人は、自分の現実を受け入れて前に進む、いいところに目をむける、自分を変える。
これしかないんです。
不幸を共有するのは、不幸の輪をネット社会に広めているにすぎません。
私は自閉症の育児のハッピーな光を広げたいのです。
愚痴の仲間を増やすためのブログなんかには絶対にしない。