こんにちは、ぴょんです。
私は、今、少し怒っています(笑)
怒りというのは、防衛反応ですから、基本的には「自分の心を守るため」にあります。
怒りはうまく消化すれば、エネルギーに変えることもできます。
抑うつや落ち込みは、エネルギーに変えるのは難しいですが、怒りや怖れは「問題解決へのエネルギー」となります。
基本的に愚痴というのは「問題対処能力が自分にありません」ということです。
注意
持論や説明や思考をペラペラと述べてしまうのは違います。
これは私もよくやります。愚痴ではなく好きな分野についてスイッチが入ると「自己主張・持論を述べたい症候群」が発動します。これは分けて考えます。
この記事は「むかつく母への愚痴」を言いたいのですが、それを「分析すること」で、母を理解しやすくします。
そうすることによって、私の対処法もわかってくる。
そして、「私はどうしていったらいいのか?」を自分自身でわかってることになります。
怒りや愚痴ばかりループする人というのは「私はそれについては、こうしていこう」(対処方法)を持たないのです。
だから、毎回、同じことの愚痴を永遠にループするわけです。
あと、偏桃体(怒りや不安)などを司るは、前回もいいましたが、「高次脳」ではないです。
低次脳です。
低次元脳は、「主語を理解」しません。
ですから相手への愚痴・悪口を言うということは、基本的に「自分が言われている」のと変わりません。
脳の反応的には「暴言を言っているとき」の脳と「暴言を言われているとき」の脳は同じ反応を示します。
つまり「自閉症って本当に何もできないバカだよね!!」って言うのは、誰かから「何もできないバカである」と言われているのと同じってこと。
ですから、もしネットなどで「自閉症を馬鹿にしている人」がいたとしても大丈夫です。
「この人、自分の脳に悪いことたくさんしてる・・・可哀想に」って思えばいいのです。
つまり、人の愚痴を言うということは、以下の3点でデメリットがあります。
- 脳は主語を理解しないので「自分がダメージを受ける」
- 自分には問題対処能力がないと自己暗示しているようなもの
- 自分の「悪いところを見つける訓練」になる
ですから、私は愚痴を書くなといっているんです。
特に「ママ友同士」で愚痴をいいあって共感するなんて、最悪ですね。
負のループとドーパミンが出ますので、「不幸のループから出れないで怒りを増幅する人間関係発生装置」のできあがりです。
どんどんあなたの悩みが解決できなくなってしまうんです。
そりゃたまにはいいですよ。
世の中の親や教師や、上司や経営者。
人の上にたって、導く必要のある多くの人が、何かしら不満や愚痴を抱えながら生きています。
導かれる側も、それはそれで不満を抱えています。
つまり、誰でも多かれ少なかれ怒りや不満はあるんですね。
ですから、愚痴をいいあって時々は聞いてもらって甘えあう。(飲み会やキャバクラなど)
時々はいいんですよ。誰だって必要。
でも限度があるのです。
これは、ここ最近の母の「愚痴」を聞いた時間です。
電話というのは、非常に拘束力が高いです。
電話はメールと違って、強制要素がとても強いです。
メールでゆっくり空いた時間に読んで、重要なものに分けて対応していくということができません。
母の愚痴の内容は「私が聞かなくてもいい内容」です。
「祖母の悪口、父の悪口、生活保護の職員を格付けして罵る、自分はいかに大変で可哀そうか?近所の人の悪口、家を外から見て車を見て金銭状況などを罵る、隣に住んでいる一人暮らしの女性のところに来ている彼氏がどうのこうの・・・・」
つまり週刊誌などのゴシップを近所でやっていたり、私の祖母や父の悪口。
私の精神科の主治医は「お母さんは寂しいんだから親孝行だと思って聞いてあげなさい」といっていました。
私も母を一人の人間として、「誰だって愚痴をいいたいときもあるよね」ということで聞いてあげてたんですね。
電話で2時間も愚痴をきいて「大変だったね。頑張ってるね。嫌だったね」を繰り返してました。
でも最近、頻度が多くなってきて、電話っていきなりかかってくるので
「今日はこれからしたいことがあるから無理。1週間に1回くらいならいいけど、3日おきに2時間は多い」
といったんです。
これは「私はここまではできるけど、これ以上は無理。」と示しただけなんですよ。
かなり昔に、療育の先生に教えてもらったのです。
話すルールを提示して、自分の心を守っただけ。
人には調子というものがあるので、「2時間傾聴し続けられない」ときだってあります。
電話がかかってきて、これから2時間も愚痴を聞ける精神的・物理的状態になかったのです。
はじめ「軽く、調子が悪いから・・・」とジャブを打ったのです。
でも、「調子が悪くたって話聞くだけだから聞けるよね!!」と押し切られました。
しかも、母が電話で話し始めたのは「新しい家具が欲しい」といったので私がAmazonから配送を頼んであげた家具が届いた。
・・・その家具の不平不満でした。
調子が悪いから・・・くらいでは自己中な相手には通じないのですね。
そこで療育の先生に教えてもらった「線を引く」という条件提示をしたのです。
結果、話している途中で「私は話を聞いてほしかっただけなのに!!」と傷ついたようで、電話をガチャ切りされました。
なんなの・・・?(笑)
子供なんですね。
ふつうは「今日はこれからしたことあるから」と断った時点で「そっか~ごめんね~!!また今度話聞いてね」ってなります。(笑)
ちなみに、市役所の人の悪口を聞いていたんですが市役所の人のフォローなどをしていたんです。
そのときに「母が市役所の職員の悪口をいいはじめた」きっかけ。
それは、「線引きをされたこと」。
「行政ではここまではできますが、ここはあなた自身がやること」です。
市役所の人はそういって
そりゃそうですよね。
生活保護のケースワーカーさんというのは、地区担当者は1人60~90人を抱えているんです。
1人、1人に親身に「引っ越しのための家探し・不動産などを回ってくれる」わけないじゃないですか。
指定の業者のリスト(電話番号)をもらったのだから、自分でかけて3社見積もりとるんですよ。
ちなみに、認知症とか一切ありません。
母は73歳ですが、3年前にようやく白髪染めはじめたくらい健康そのもの。
干渉されたくないから、市の健康診断に1回も出てない。
でも、風邪にすらかかりません。
私よりも、頭の回転は速くて、私が早歩きで頑張らないといけないくらい歩行速度が速いのです。
それで、「あんたたち。(姉もいた)歩くの遅いね」って言われます。
つまり、老化していて思考力・判断力が落ちているから一緒に考えてくれということではないのです。
しかも、愚痴の中で「どう思う?」って言われたので「この場合、選択肢はAかBしかないでしょ。Aがいいと思うよ。」といったところ。
「そんなのダメ!!やだ!!(理由にならないような理由を並べてくる)」
じゃあ、私に聞いてこないでくださる?(笑)
他人にアドバイス求めておいて、意見いったら、否定するとか(笑)
「じゃあ。好きにしたらいいでしょ(笑)」って笑いながらいいました。
内容は、アパートの水漏れが起きたと。
でも「もうすぐ引っ越しだから電話しない」とのこと。
私は、「設備に水漏れが起きた時点で大家さんに連絡はしたほうがいいのでは?(A案)」といったんですね
でも、母は周りの人をすぐに悪い人に仕立て上げるので、「大家さん」も大嫌いで悪口ばかりいっているんです。
だから、連絡したくない!!気づかなかったふりする!!というのです。
「お母さんがそう思うなら、そうすればいいでしょ」と言いました。
くだらない。
実にくだらない。
そんなだから、姉が母との関係に悩んで、重度のうつ病になるんです。
私はまだこれでもやってこれたのは、自閉症の育児でかなりメンタルが改善されていたからです。
自閉症の育児で逆にメンタルがやられるのでは?と思うかもしれません。
しかし、ストレスは高くなりますが、「ストレスへの対処法」というか
自閉症の育児の中で生じてくる相手の不合理な論理展開や、自分本位のアンビバレントなやりとり。
これらの処理の方法を学んできていたので、ある程度は乗り切っていたわけです。
あとはマインドですね。
自分から「相手を理解して、信念のもとに、愚痴をきいていた」ので、これは能動的だったわけです。
しかし、キャパが無理そうだったら断ることだってあります。
それで「受け止めてくれない!!私の話をきいてくれない!!私の意見に共感してくれない!!」
って勝手に傷ついて、「線を引いた人」を攻撃しはじめるんですよ。
だから私は「物理世界で愚痴を言い合って共感しあっている女子」が苦手(笑)
愚痴の共感くらいは、繰り返しますが、誰だってするので息抜きレベルではいいのです。
そうではなくて、「仮想の敵」を共通認識として共有しあっている愚痴集団は苦手です。
「社会が悪い、会社が悪い、政府の制度が悪い、世の中が悪い」などなど。
私の母予備軍だからですね。(笑)
母はこういう人なんだな~と一応はわかって受け入れてはいます。
でも、たぶん私は母が嫌いなんです。
だから、母の苦手な資質が他者に見えたとき、人間関係の中で(誰しも起きる可能性はあるんですが)転移することはありますね。
これは人間関係の中では本当に誰でも起きる可能性のあることなのです。
「なんだかこの人嫌だな~」って思ってたら、過去の重要人物との感情のいざこざがあったりだとか。
言い合っている人達は毒にまみれているから気づかないだけ。
愚痴になった時点で、「問題解決」をあきらめているんです。
あるいは、コントロールできないものを「受け容れていない」かどっちかですね。
母の場合
「市役所の人がここまでは手伝えるけど、ここからは無理」といってキレた。
「私(娘)がここまではできるけど、ここからは無理」といってキレた。
つまり依存しすぎなのですよ。
私も依存していることはよくありますが、断られてキレるというのはわかりません。
たぶんそれって母自身が「自分はここまではできる。ここまではできないから手伝ってほしい」がわかってないから起きるんだと思うんですよ。
公式
自分が困っている(ことの区別ついてない)=ぜんぶの悩みについて受け止めて親身になってほしい=部分的に断られる=「区別ついてないので自分を丸ごと否定されたような気分になる」
こんな感じです。
自分の中で「これは自分でできる。(できそうだ)これは他人の力を借りないといけない」って区別がついてれば。
ついてればですよ?
相手がここまではできる、できないって提示したときに、建設的な捉え方ができるはずです。
感情的ではなくてね。
あっ、私なんかいいこと言った気がしますね!!
これは自閉症の人にも役立つのではないでしょうか?
「ここまではできる・できない」を自分で把握することですね。
でも、相手が「これ以上は無理」と言っているのに、怒られるのはちょっと相手の気づきを待つほかないですね。
みなさんも、こういう大人にならないように、早いところ「自分を知る」ということをお子さんに身に着けてあげてください。
こういう母のような人は、「全部手伝ってもらう」か「全部を自分でやろうとする」の両極端になりがちなので。
自分が「何ができるのか?」について、いい商品があるので紹介しますね。
ほめほめノート ロイヤルブルー
このノートを買って、子供に使ってもらおうと思います。
ふつうの手帳使ってほしくて「いる?」って聞いたのですが、反応があまりよくないようで・・・。
息子は手書きが苦手なので、たぶん手帳はデジタルツールの方が使いやすいと思うんですよね。
だから、これは私とのフォードバックとして使おうと思います。
息子はときどき、見てほしいことや聞いてほしいことは言ってきてくれます。
あまり見せてくれないこともありますが(笑)
「自分はこれができた」(できる)という小さいことでも積み上げてってほしい。
私に言ってきた小さいことを、私が「できたこと」としてメモっておこうと思います。
これに書いて褒めてもいいですし。
以外と人ってできていることは多いんですが、当たり前って思ったりしてると「できる」にカウントされなかったりします。
時間の流れで忙殺されて、しっかりと子供の「できていること」を拾い上げられないこともあります。
これは、親自身が「子どものできたことを探す」という観察力を鍛えるためにやってもいいと思います。
この場合、記録して残るというのがとても大事だと思います。
色は3色展開。
ご自分に会った方法を見つけてみてください。
感謝ノートでも、「いいところ探し」の練習になります。
悪口というのは「人の悪い点探し」で、それが進化したものが「愚痴(どうにもならない不満)」です。
しかし、どうにもならないのは「どうにかしようとしていない」「どうにかできる視点にない」ということがほとんどです。
どうにもならない相手の愚痴(この記事のこと)すら、「母はできることとできないことがわかってない」ことが判明。
そこから理解することで、自分の対処法が明確化する。
さらにはアイテムの紹介もできたので、怒りは消えました。
やはり分析力(?)は、私の素晴らしい財産の1つのようです。