「やっても時間の無駄でしょ、意味ないんじゃないの?」
「家では全然できるようになってないし。」
「療育ではうちの子、外面がいいだけなのよ。」
こんなことを思ったことがありませんか?
私はラッキーなことに、息子の通った療育がとてもよかったので、思ったことはありません。
こんなことを言いますと、「療育の意味のあるなし」は事業所によるのでは?と思うかもしれません。
そんなことはなくてですね。
利用者の目的によって変わる×事業所の質というのが本当のところだと思います。
【自閉症】療育って意味ないんじゃないの?
【結論】半分正解です。
結論。
自閉症の療育はやっても意味がなくなることがあります。
ですので半分正解ですね。
まず、親の療育に通う目的を大きくわけてみます。
その前に療育の定義をはっきりさせないといけませんね。
私のイメージは、療育=放デイ・児発となっています。
児童発達支援は療育かもしれませんが、放課後デイはもはや「預かり」という目的の親御さんも多いと思います。
ですから、「何かスキルを覚えたり」などは期待してなくて、ただ預かってほしいという目的が達成できれば、十分に意味があると考える親御さんもいらっしゃいます。
私は、最初のころ、このへんがよくわかっていなくてですね。
私自身の目的と違っていたので・・
療育は定義づけによって意味のあるなし・評価も変わる。
さらには、自閉症のお子さんに対して熱心な親御さんでも、療育否定派がいることに最近気づきました。
- 療育=普通児に近づける場所=可哀そう、ひどい!!
このように誤解してらっしゃる方もいるようです。
それは、実際に通ったことがある事業所がそうだった(=支援者さんが自閉症を普通に近づけようとしていた)経験があったのかもしれませんし、
その親御さん自身が「療育の定義」を誤解されて理解なさっている可能性もあります。
(それは私にはわかりません)
療育は絶対に反対!!自閉症の尊厳を守るために!!という意見もネットで聞きました。
これも、その自閉症の親御さんが間違っているのではなくて、療育という意味が本来とずれて伝わってしまっている課題だと思います。
(私そのフォロワーさんの言っていることもとてもわかりますので・・・。)
反対に、療育賛成派でも、「我が子を普通にちょっとでも近づけたい!!」と考えて通っている親御さんもいらっしゃる。
ポイント
ですから、「療育に行かせない親=ひどい=自閉症への理解がない」「療育に行かせている親=いい親=自閉症への理解がある」とは一概に言い切れないのです。
それを踏まえたうえで、療育の定義を「自閉症の子供が広義の意味で適応できるスキルを身に着けれる場所」と定義します。
そのうえで、以下の記事を読んでいただければと思います。
療育の意味がなくなるのはなぜ?
療育の意味づけは人によって変わってくることは大前提としてお話しました。
意味づけが変われば、世界が変わりますから、評価も変わってきます。
そのうえで、「自閉症の不適応行動が軽減されて安定する・スキルが身につく」といった点で定義して、この点において
療育は意味があるのか?を持論を述べます。
メモ
まず、私の結論としては療育に通っているだけだと「あまり意味がない」になってしまいます。
これは、意味ない!!と断言しているのではなくて、使い方次第によっては「意味のないものに変わってしまう」という必然のような受け身のイメージを持っていただければと思います。
この点においては「療育なんて意味ない!!」と信念をもって発信している人とは、まったく違うのでご了承ください。
意味ない理由①家庭でも継続しなければ意味ないから
療育が意味がなくなる理由として、週に必要なだけの頻度が得られてないとうことがあげられます。
シンプルに考えてみてください。
自分が新しく習ったことを、すぐに習慣化できるでしょうか。
療育の意味はなくなってしまう理由は、身につくまでは自閉症の子は継続的な練習が必要だからと考えます。
せっかく自閉症のお子さんが療育で覚えてきたことがあっても、家では練習しないと、そんなに身につかないのではないかな?と思います。
それに自閉症では「般化」という問題があるとのことですから、療育で知った方法を色々な場所で適用できるようにしていくのは、療育という場所だけの力では無理があります。
それ(般化の特性)をみて、「うちの子、療育で習ったことが全然できるようになってない!!」と思うのは早計です。
繰り返しますが、家でも教わったやり方を子供にとって一貫性のあるものにしないと
場所によってできることの差が生まれやすくなったり、あるいはなかなか療育で覚えたことが他の場所ではできないというようなことになりやすくなってしまいます。
理由②自閉症の子には般化の問題があるから
自閉症の療育が意味のないものになってしまう理由として、考えられる二番目は先ほど申し上げた通り自閉症の般化の特性があげられるのでは?と思います。
私たちは「猫」という概念を学習するとき、共通項を抜き出して概念を形成します。
しかし、画像をごらんいただくとわかるように、絵であらわすと「猫」は一匹も同じ猫はいません。
(種類によっては同じに見えるかもしれませんが。)
自閉症の場合、言葉で「ねこ」というよりも「ねこの絵」がたくさん出てきてしまって「違う動物だよ?」となってしまうんだそうです。
概念学習は「きれい」などの言葉にもつかわれます。
例)
綺麗な人 (=姿かたちの整った)
綺麗な夕焼け (=心が揺さぶられるような美しい)
綺麗なタオル (=まだ使っていない・洗い立ての)
綺麗な床 (=ゴミが一つも散らかっていない)
自閉症の方にとって概念学習、それはとても難しいことのようなのです。
ポイント
この「一般化」は場所でもおきてきます
学校や放課後デイではできるけど、家ではできない。
というのも「学校という場所で教わったルール」が一般化しないから(猫の画像のいちばん左を猫と覚えても、他の猫では??となるから)なのです。
だからこそ、放課後デイで覚えたことを「社会や家」に般化させるためにも、「支援ツール」などは、きっかけとして同じ効果を引き出しやすいのだと思います。
つまり家でも、覚えてきたことを練習できるようにする練習が必要なのです。
まとめ
療育は、専門家や放課後デイでやるものという認識があるかもしれません。
しかし、家で過ごすのが大半です。
療育期間に任せっきりにするならば、週に毎日通っていれば効果はあるかもしれません。
本当にスキルとして覚えるなら親の家でのサポートが必要になってくるかもしれませんね。
その場合、発達障害の子を持つ母親というのは、仕事をしていたりすると療育に通わせるのも困難になってきます。
そこで仕事をやめなくてはならなかったり、仕事が探せないということもあり得ます。
自閉症の母親の働き口はもとより、家庭でどのようにサポートできるか?の支援体制も急務ではないでしょうか。
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