こんにちは。
皆さんは、飽きるということがありますか?
私は、かなり飽きるのが速いです。
ずっと同じことをしていることもあるんですが
プロセカ(リズムゲー)なんかでも、うまくなると飽きますよね。
ピアノに置き換えるとわかると思います。
ちょっと、難しいと感じててやっとうまく弾けたときは、それを繰り返して数回目までは
「こんなにうまく弾けてるワタシ。気持ちいい」ってなるんです。
でも、自動化されて、勝手に指が動くようになってしまったら、つまらないですよね、つまらない。
できそうで、できない時が一番楽しいと思います。
ある程度のプレッシャーと緊張があったほうが、充実してて、自分の伸びしろも拡大していく感覚がたまらなくいいです。
ゾクゾクする。
できなさそうでできる感覚が、一番、みなぎっているからです。
簡単にできることしてても、ほんと、つまんない。
自分で「新しいこと見つけて取り組む」のも楽しいですよ。
でも、社会的なつながりがあった役割期待がいちばん、楽しいかな。
自己成長もいいけど、それを発揮できる機会がないのはつまらないですよね。
定期テストがあるから、(本番)➝勉強が楽しいんであって。
友達と会うから、(本番)➝おしゃれが楽しいんであって。
家だと、本番がないので・・・
家のことについては、いつも本番になるので楽しいですよね。
1人暮らしだったら、私、絶対にトーストとかになります。
でも、夫や子どもがいるから、料理は毎日、本番になって、張り合いがありますよね。
料理を練習したことが、すぐに毎日に反映しますし、
私が料理のスキルがあがったら、喜ぶ人がいるでしょう?
料理がうまくなることが、私以外の人の喜びにもつながってるでしょう?
私1人が、料理がうまくなったことを喜んでいるよりも
数倍楽しい。
だって、私のスキルアップがさらに他人を喜ばせているんですから
喜びも何倍にもなるでしょ?
もちろん、自分がキレイになることや、知らないことを知ることも楽しいですけど
ちょっと難しそうなことって、他人や周りから与えられるからこそ
設定できるってこともあるんですね。
書いててわかった。
人って、自分だけの悦びって限界があるのね。
自分のスキルが、他人の役にたっていると実感できるときのあの気持ちよさには勝てない。
つまるところ。
人って、自分の喜びを追求しても限界があって、やがてつまらなくなるのではないかな?
すると、他人を喜ばせるために自分の力を使っていくのではないかな?
となると、今から、他者の喜びを練習しておくといいってことかもしれない。
これがもし。
順序が逆だとダメってことだと思う。
つまり自分が喜びを感じてなくて、欠乏感でいっぱいなのに、自己犠牲して
先に他者を喜ばせようとしたら?
きっと苦しい。
飽きる・・・?
飽き・・・・
そうか!!飽和
飽きるって飽和なんだ!!
欠乏の反対は飽和ですもの。
だから、楽しくない(つまらない)ってなってきたら
自分の中では「喜びや楽しさの限界(飽和)」が起きてるってことだと思います。
毎日、お腹いっぱいケーキを食べていても、つまらなくなるものね。(飽和状態?)
そうしたら、他の人にあげて、喜んでくれたほうが嬉しいものね。
飽きるって、慣れたので、次へ。っていう合図なのね!!