おはようございます。
私の姉は重度のうつ病と診断されてもうすぐ1年です。
そのため、隙間時間を見つけては、うつ病のことを勉強しています。
その結果、うつ病の患者さんは、感謝が圧倒的に足りないのだそうです。
他人を喜ばせようとしたら、すぐに治るそうです。
これは本当だな、と思います。
私は、医師の言葉をうのみにしません。
医師がいったことを信じるかどうか?は私が決めます。
さて、問題です。
この2つのことに共通する要素はなんでしょうか。
○「うつ病の人は感謝が足りない」
○「他人を喜ばせようとするとうつ病にはならない」
この2つに共通する要素は「相手視点」が足らなさすぎるとういことです。
感謝は「自分にする」ものではなくて、相手の存在や相手がしてくれること・相手から与えられていること
をしっかりと認識できてはじめて感謝できるのです。
子ども時代に親に感謝できないのは、子どもというのは自己中心的な生きもので「親の目線」に立てないからなのです。
(つまり前頭葉の発達が未然)
他人を喜ばせようとすることは、「相手は何をしたら喜ぶだろうか?」と、やはりこれも相手視点に立つモノの見方です。
よくうつ病の人は「相手に気をつかいすぎている」ということがあります。
これは一見、相手に気を使っている=相手目線にたっていると誤解されがちです。
しかし、「相手がどうしたら喜んでくれるか?」を考えることと、「相手に気を使うこと」は、視点のベクトルがまったく反対なのです。
相手の顔色をうかがう人が、うつ病には多いのです。
それは「相手にどう思われるか?」を気にしているためであり、それは「相手の気持ち」を考えているとはいえないのですね。
相手がどう思っても本人の自由だからです。
そうではなくて、うつ病の人が気にしているのは「相手から思われる自分」なのです。
相手を気にする・周りの目を気にする・顔色をうかがうことは、「相手の目に映る自分」を気にしています。
気にしているのは「相手」ではなくて「自分がどうみられるか?」なのです。
これは、自意識過剰といって、「見られ方」を気にしています。
うつ病の人は、意識を自分に向けすぎているのです。
私が、うつ病の人とそうではない人の意識の使い方の違い(感覚)を、図にあらわしました。
注意ポイント
左の意識の使い方でもうつ病ではない人もいます。しかし、自分の心に深く潜っていく意識の使い方ですので、意識してやるといいです。
意識の向け方と自動思考によってループができて、その自分の考え方のストレスによって勝手に病んでいく感じです。
(★心因性の場合)
うつ病は「心因性(自分の物事のとらえ方の歪み)」「内因性(脳が変わってしまってる・炎症してる)」「外因性(環境や仕事がブラックなど)」があります。
全部の場合もありますし、単発の場合もあるそうです。
このへんはわかりません。
左がうつ病の人の意識の使い方です。
これは、うつ病の教科書に書いてあるとかではなくて、私が感じ取った「見えない感覚のエネルギー」の流れや位置関係を図にしたものです。
皆さんも見えるでしょう?
いえ、感じ取れるでしょう?
感じ取っているはずなのです。
これを感じ取れるのですが、私は残念ながら、絵にすることまでしかできないです。
数学が苦手なので、この「エネルギーの位置関係・流れの図」を数値化して公式を作ることができないのです。
しかし、この見えないエネルギーなどを見えやすくて、それを「数値」として物理法則化できる人も世の中、いらっしゃいます。
それはさておき。
図のやじるしがどこに向かっているか?をみてください。
うつ病の人は「ピンクのやじるし」も「オレンジのやじるし」も終点が自分になっていますよね。
これをループしているんです。
「①自分の考え(潜在注意)」➝「②・・・にもとづく外側から見られている自己(物理的注意)」➝「①・・・・にもとづく自分の考え」➝「②「②・・・からみた自分」
のように、自分の中で「ぐるぐる」と循環しています。・
そこには客観的な考えが入り込む余地がないです。
オレンジのやじるし(物理的な注意)は「外側から内側に向かって流れ込んでいる」ので、外側からの目線と勘違いするんですよ。
★物理的な注意(顕在的)=オレンジのやじるし
★内的な注意=ピンクのやじるし
こうですかね。
自分の中での辛い思考のループが起きて、意識が増大します。
注意をむけたもの(内的注意)、つまりピンクのやじるしが、もっとも大事です。
これ・・たぶん意味不明でしょうね・・・。
これって感覚領域のことなので、言語で説明しても伝わっているか?怪しいです。
私は、「内的注意」を高めることを練習したりしたため、注意力をある程度頑張って認識して、識別して、コントロールしやすくなりました。
うつ病の図をみていただけるとわかるように「やじるし」がすべて自分にむかっています。
これによって「〇〇されている」というような「見られている自己」という意識が増大します。
見ている自己というのは、普通に顕在意識で外に注意(目線)をむけることです。
(★外発的注意ではない)
見ている自己とみられている自己は「うつ病」などに近い感覚の使い方になってしまっているとそうなりやすいです。
注意というのは、基本的に「外側に向く」ようにできています。
しかし、これが自分に向きすぎてしまうと、「外側から見られている(=自意識過剰)」になる自分(これは物理的な注意の自分です)が、混ざるんですよ。
「こう見られたらどうしよう」というのは「見られている自分」なわけです。
これが、自意識過剰ですね。
私は、感覚を図におこしてあって、認識できるので、「あ、またそっちになっている」とわかるのですが
はじめてうつ病になったりした人は「注意力や感覚が変わってしまったこと」を何がなんだかわからないと思うんですよね。
だから、絵にして「自己認識」できれば、それだけでかなりメタ認知の補強になりますので、それを思い出していただけるといいかと思います。
でも、問題なのは「この感覚A」がピンクやじるしなのだろうか?
この感覚bなのだろうか?ってなるんです。
だから、これは、ご自身で作るのがいいですね。
感覚をわけて書いた図に正解も不正解もありませんので。
話がとんでしまったのですが、うつ病の人は「相手のことをちっとも見てない」ということになります。
自分から見た相手なら、意識できます。
そうではなくて、「出発点(オレンジのやじるし)」を相手にむけることです。
そうすることで、「相手にとっての自分は何をしたらいい?」ができますから・・・・
これによって「自分軸」を取り戻すことができるので、主体性も取り戻せます。