こんにちは。
よく発達障害のYouTubeのおすすめに「益田メンタルクリニック」の動画があがってきます。
そのサムネに「精神科に来るような人は運が悪い」と書いてありました。
(その中に発達障害も書いてありました)
そしてたくさんの人がいいねをしていました。
動画は見ていませんが、コメント欄に「運が悪いって言ってもらえてうれしい・わかってもらえた気がする」と書いてありました。
そうですか?
「あなたって運が悪いよね」って言われて嬉しいのですか?
なんか失礼じゃないですか?
もちろん、益田先生は「そういう環境にいれば、精神疾患になってしまっても仕方ない環境だよね」という
理解の元に「なるべくしてなってる」という受容の気持ちで言ってくださっているとは思うんです。
(確かこれはどっかの動画でいってました)
でも、これって益田先生が「そういう風になってもしょうがないよね」というのは、問題ないと思うのです。
相手の背景を理解するということですので。
でも、それを受け手は共感す自分の環境を言い訳にするといいますか
「私がこういう風になったのは運が悪い環境のせいなんですよね!!わかってくれてありがとうございます!!」という気持ちを助長しないか?
心配です。
なぜならば、患者側が「環境のせいでこうなってしまった」と思っている限り。
精神疾患は絶対によくならないからです。
これは、毒親育ちもそうです。
「私がこんな人生になって苦しいのは、親のせいだ!!」ってなってしまうと
絶対によくなりません。
まず、自分がいま苦しいという現状を「自分以外の責任」にしていると
本当に、メンタル疾患って悪化するんですよ・・・・。
私は、自分のことを運が良いと思っています。
だから、「精神科に通うなんて運が悪かったね」と言われるとイラッとします(笑)
自分の今までの過去や家庭環境や人生を、否定されているような気持ちになるからですね。
これで喜んでいる人って「自分の過去や家庭環境を否定している人たちだけ」なのでは?
人の過去の人生を「運が悪いね」なんて、失礼です(笑)
自閉症の人に「可哀想・・・運が悪かったね」といっているようなものですからね。
運が悪いというのは、「人生を運のせいにしている」ともいえます。
確かに人生の9割は運だと思います。
でも、その9割にとらわれていると、自分の力で人生を切り開く意志力が弱まってしまうのです。
で、メンタル疾患の人に足りていないのは「自分の人生に責任を持つ意志」なんです。
つまり自分のできることをするしかないのだから、自分でなんとかしていこう!!という気持ちなのです。
それを「運が悪かった」といっていても、何も進まないんですよね。
だから、そういう「マイナスへの共感の気持ちを助長する言葉」はしまっておけばいいのでは?と益田先生に思ったりしました。
辛い過去を否定しているのではなくて、「悲しい家庭環境だったのでは事実だとしても、今のあなたは大人で意志力があるので、人生を選択できるはず」なのです。