こんにちは。ぴょんです。
なかなか更新できなくてすみません。
今回は、私自身の変えてよかったことをシェアできればと思います。
今日のテーマは「ゼロからはじめるとうまくいく」ということです。
みなさんも、こういう考え方を身に着けてから、すべてがうまくいくようになった。
あるいは「生きやすくなった」ということがあると思います。
特に自閉症の育児という客観的にはハードモードな育児をするにおいて、考え方というのがとても大事になってくるかと思います。
今回は私の経験から、よかったことをご紹介します。
注意:今回の記事も一般向けじゃなくて、そんなに面白くないので、一般的にうまくいく方法を知りたい人は以下の記事をごらんください。
「ゼロベース」から考える
まず、大前提としまして「ゼロベース」から物事を捉えていくと、生きやすくなることが私の経験測で判明しています。
このゼロベースは、私が勝手につけている言葉なので、巷にあるビジネスの「ゼロベース」という言葉があるようですが、概念が違う可能性があるのでご了承ください。
ゼロベースとは、文字通りゼロ地点から眺めるということです。
わからない前提ということですね。
例えば、私がここ10年くらいを振り返って得たゼロベース(前提)を紹介します。
- 人は分かり合えない
- 私は何もわかってない
- 他人に期待しない
- 私と他人は違う
- 私は人を傷つけることがある ←(New!!)
こんな感じですかね。
これらの思考の大前提を身に着けてから、すごく生きやすくなりました。
生きやすさが380%くらいはアップしましたね。
一見、見てみると「え?なにこのネガティブな思考」って思うかもしれません。
人として、冷たすぎない?って思うかもしれません。
でも違うんですね。
ぜんぶ、ゼロベースなだけです。
思い込みがないフラットな視点ということです。
これは思考よりも前の段階の認知になってきます。
私は生きずらいな~と感じたら、思考の前の段階の認知を調整することにしています。
例えば「私は誰からも愛されない人間だ」という認知があったとしたら、ただの既読スルーさえも「愛されてない証明」として働きます。
このようなことを防ぐために、少しずつ変えてきたものなのです。
順番に解説していきますね。
これらはすべて「大前提」になっています。
人は分かり合えない(前提①)
まず、自閉症の親になってはじめて変わった大前提ですね。
それまでの私は「他人は話し合えばわかりあえるはず」「人って理解しあえるはず」「人は伝えなくてもわかってくれるはず」と思っていました。
しかし、自閉症の親になってからは、ことごとく打ち砕かれていきました(笑)
- 子どもにいくらいっても分かり合えない
- 自閉症のことを理解しようとしない他人が圧倒的多数
「自閉症は躾のせいではないこと。初見でとおりすがりの人に理解されない・・・」
つまり、周りの人に「あの親、最悪だよね~!!」「どういう躾してるんだろー」っていうことですよね。
私は元々、人へのうわさ話などに鈍いのですが、そんな鈍い私でも「ああ、ダメな親だと思われているんだな」って思ったこともあります。
その思考から生まれた感情は「どうせ、わかってもらえない・・・」という孤独感・疎外感ですよね。
あるいは「自閉症の子をわかってよ!!」と理解を他人に押し付けてしまう。
どちらかの行動に出やすくなります。
ポイント
この思考の問題を解決するために、前提を変えることにしたんです。
その結果、「人はわかりあえないのが当然」という認知に変えました。
この認知は、私の中に今では完全に浸透しています。
だから、素で主張できると思いますので、今から書いてみますね。
思考で制御するのをやめますね。(以下)
いいですか?
人は分かり合えると思っている方が、高慢なのね。
だって、なんでわかりあえると思ってるの?(笑)
私は、自分の意見や価値観はわかっているわ。
でも、相手は私と違う存在だから。
すべてにおいて、好きなことも違えば、キライなことも違うわけね。
となると、必然的に「わかっていること・わからないこと」だって違うに決まってる(笑)
私、相手のことを知らないわ。
わたしは相手をわからない、だって私じゃないもの(笑)
だからこそ、相手を知ろうとするのね。
私は知らない、だから相手に自分の考えをしっかりと伝える必要があるわ。
だって、知らないのが当たり前なのだから。
そして私は知らない、だから相手のことをしっかりと理解しようとしなければならないの。
私はわかってるから。
そう思った時点で、相手を決めつけてしまうわ。
知らないからこそ、知ろうとする。
相手を知ったつもりになるのは高慢。
ただの無関係の通りすがりの人に、自閉症のことを理解してもらおうとするのって必要?(笑)
あなたは、通りすがりの人から、「自分とは関係ない病気のことを理解するように押し付けられたらいやじゃない?」
私、世の中には私の知らないことって山ほどあるわ。
だから、同時に他人が「私たちの状況を知らないことって当たり前なの。」
だから、自閉症の知識がない人がいて、それによって、どう思われるか?はコントロール不可能な領域なのね!!
だったら、放っておいていいの。
そしたらさ(笑)
「わかりあえる」「通じ合える」って奇跡なんだって、余計に大切になる。
そして。「わかってもらえなくて当然」ってなるから、怒りも悲しみもないのね(笑)
つまり「人から自閉症のことをわかってもらえなくても何も思わない」し、わかってもらえたら「とても奇跡だから感謝できるの!!」。
どう?マイナス感情の起きようがないでしょう?
でも、これが「人はわかりあえて当然」って思っていたら、「わかってもらえないときは、怒りや悲しみ」が出て、わかってもらえたときは当然だから、あまり感謝しなくなるのね。
人は違う存在だから、そもそもわかりあえて通じ合う方が奇跡なのね。
そのために、相手に自分を知ってもらう必要があるのです。
これは察する文化を否定することにもつながった思考ね(笑)
察せない自分=だめな自分
って思わなくなったってこと。
ほら、自閉症の育児を通して、私は「物の見方が変わった」
子どもを通して、私は1つ生きやすくなったの(笑)
・・・内面を書いてみました。
私の持論に「自閉症の子を持つと人生が生きやすくなっていく」ということを書いています。
この認知が変容してからというもの、「感情的に(自閉症のことを)わかってくれない人」に対して、少し寛容になれたと思います。
5個もあるのに、1つ目でこんなに長いなんて。
続きは続きに書きます。
自閉症のお子さんを持ったら、理解されないことって多いじゃないですか。
ですから、「理解されたい」「わかってもらいたい」という気持ちを手放すことがとても大事だと思うんですね。
そして、世の中の多くの人は、無関係の他人の子どもの障害なんて本気で心配しません(笑)
「かわいそうね~」「うちの子じゃなくてよかった~」
この程度ですよ。
でも、それが世の常。
それが当然なのです。
あなたも、ウクライナ可哀想って思っても、じゃあ、本当に今すぐ現地に赴いてボランティアでもしますか?
しませんでしょう?(笑)
だから、私たち自閉症の親と同じレベルで「自閉症を知らなくていい」のですよ。
これは冷たいのではないのです、当たり前なのです。
そうすると、社会において。我が子のことを本気で「理解しようとしてくれる人」ってあまりいないってことなんです。
自閉症の親は、やっぱり自分の子どものこと、みんなわかってーーー!!って思いたいもの。
でも、それはムリなのです。
そんな権利がないから。(笑)
「無関心でいろってこと?」
そうではないです。
社会全体として、「自閉症のことについて」は発信していく必要があります。
それを本当に実現したいならば、自閉症や社会的にどんな風評や認識が広まっているか?を調査して、問題提起して、議会にでも提出すればよいかと思いますね。
「私の我が子のことをその辺の人に理解されないのが辛い!!もっと社会に訴えていこう!!」という感情的な動機ではなくて、社会が「自閉症を受け入れてくれやすくするために周りへの理解を促進」そういう動機で行います。
これを区別するには、つまるところ、「理解されなくても平常心でいられるようになった人」がその権利があります。
つまり、感情論でその問題を捉えない人だけが、それをできる器があるということ。
長くなってしまいましたが、次回へ続きます。