こんにちは、ぴょんです。
今日は、自閉症の育児で辛いであろうことを分析してみます。
一言でいうと「こんなに大変で辛い想いをしているのに、得られるものが少ない」ということだと思うんですよね。
その事実が、許せない(=受け入れられない)ということじゃないのかな?と。
たぶんですけど。
私はこれは当たり前だと思っているので、その時期は過ぎました。
なぜならば、「辛くて大変で努力してる・苦労している」ことと
「嬉しいできごと・楽なる・幸せ」とは関係ないって気づいたからです。
これに気づいて受け入れなかったら、こう思っていたことでしょう。
- なんで子どもを放任してる(つまり楽してる)あの人の子どもが、わたしの子よりもいい子なの?
- 辛い家庭環境で育ってきたのに、なんで大人になっても逆に辛い目にあうの?
- なんで(定型より)努力しているのに定型と同じパフォーマンス出せないんだ、わたしは?
こんな感じですね。
これらは「比較してるからでしょ?」「いい子じゃないといけないって思ってるんでは?」と思ってしまうかもしれません。
でも、それよりももっと大きいルール、世界観ですよね。
世界観のぶぶんでつまずいてしまっているんです。
どんな世界観か?というと
「努力したり苦しい辛い想いをした分だけ、幸せになったり、成果が出たり
それに見合うものが得られる世の中」という世界観です。
今どきの言葉でいうと「頑張ったぶんだけ何かが得られるはず」という世界線で生きてる。
ということです。
これは、童話のせいと道徳のせいですね、
- 「うさぎとかめ」
- 「アリとキリギリス」
どちらも、本質は違いますが、ある共通点があります。
あるいは「小さいつづらと大きいつづら」もだめですね。
読むならばイソップ童話一択です。
私はイソップ童話しか読みません。
アンデルセンは暗いので苦手です。
まあ、ハウス名作劇場を見ていればいいと思います。
で。
ある共通点とは「辛かったり苦労したら、あとでそれだけ見返りが得られる」ということです。
アリも、夏の間辛かったのですが、冬には成果を得ています。
カメも、辛いけど頑張って頑張った結果、最後には勝っていますよね。
注意ポイント
うさぎとかめもアリときりぎりすの本質は、また違うのですがご了承ください。
この本を適当に読んでしまうと、「そうか・・楽して遊んでいたらだめで、この世の中って辛かったり努力した人が最後には幸せになるんだ、報われるんだ(勝つんだ~)」って
素直に理解してしまうことがあるんですね。
でも、これこそが、きれいごとなのです。
だから、「楽々生きてて幸せに世渡りしている女子(他人)」を見ると「ずっる~!!きったない(卑怯だ!)!!」って感じるんですね。
(つまり嫉妬です)
自分はキレイな世界にいるはず。
・・・だと深層で思っているからです。
(汚い手を使ってるんでしょ!!と認知するのはかなりの強さになりますので、普通は嫉妬くらいで済みます。)
この世界観がしみついているとお金持ちを見ると「どうやって稼いでるんだろう?汚い手を使ってるんでしょ?」って思う訳です。
努力しないで楽に幸せになれる世界を認めたくないんです。
よく考えてみてください。
冬が来なかったらどうなってるんですか?
ずっとキリギリスは遊んで暮らして終わりです。
たまたま環境要因が変わっただけですので。
それに現実世界では、楽して幸せになっている人が実際にいるんですね。
アリは一生懸命に働いたからといって、働きすぎて死ぬ可能性もありますし、食料をとりにいったら、その先で人間に踏まれて死ぬ可能性もあります。
(働きアリなので働きすぎて死ぬのは無いと思いますけど。)
ですからつまり。
「辛い・努力する・頑張る・我慢する・苦労する」と、「それに見合ったご褒美が得られる」
このような間違った公式を採用している場合
「なんで定型発達の親は自閉症の親である私より楽して幸せになってるの?」と思うのです。
これは実は比較ではないのです。
世界観の問題です。
この世の中は「頑張ったり努力した人が、幸せになる」という世界観です。
もう1度いいますね、これは間違っています。
もし、この公式が正しいとすれば「幸せになるには苦労しなければならない」という認知があなたの中でできあがります。
苦労している・頑張っているはずなのに「楽している人よりも辛い目にあってる」
こうなってしまうんですね。
でも、もう1度いいますね。
この世界観は正しくありません。
「努力してるはずなのに、不幸になる」この世の中、おかしい!って世のなかに不満が出ます。
違うんです。
おかしいのは、あなたが採用している公式です。
正しい世界観を見てみよう!
- 努力しても報われることもあれば報われないこともある
- 不幸や苦労して幸せを掴む人もいれば、楽々に幸せになれる人もいる
- 幸せになるためには、努力や苦労がなくてもOK
こんな感じです。
こんなの嫌だ!!って思いますか?
でもこっちの世界線で生きるほうが優しい世界(イージーモード)なのがわかりますか?
だって、いまあなたがいる世界は、苦労したり努力しなければ幸せや成果って得られない世界なんですよね?
つまりその世界では「見えないもの」があるんです。
「楽に軽々と努力しないで苦労はやめて、頑張らずに幸せになる」という選択肢です。
努力に見合ったものが得られるはず・・・というのは時間給脳のようなもの。
努力と成果(幸せや見返り)に関する
正比例のグラフが描かれてしまっているんですね。
だから、現実がそうじゃないことに嫌になる。
つまり現実って、「もしかして努力しないでも幸せになれるのでは?」(=努力しても幸せになるとは限らないのでは?)と気づいて受け入れる必要があるということなのですね。
最初からこの世界観を持っていない人はラッキーですよね。
だって、自閉症の育児するならば「努力したら報われる」という世界観はあなたを苦しめるだけですので・・・
努力してもムダなことがある世界って、反対にいうと「楽して幸せになれる道」(選択肢)がある(見える)界なんですよ?
頑張れば報われると信じている世界で生きている人は、「どうやったら、努力しないで楽に生きれるか?」って思わないですよね?
そうすると、「楽に成功している人」はムカつくので
間違っても「どうしたらそんなに簡単に成功したんですか~?」って教えてもらいにいかないじゃないですか?
ただ、「なんで私の人生って・・・」って不幸を嘆くだけになってしまうのです。
それに、人にも優しい世界なので「うまくできないのは、努力が足りないからでしょ!!」って自閉症の子に思うこともありません。
この世界線で生きていると、「できないことがあるんだったら、人の何倍も努力しようってなんで考えないの!?」
って思ってしまうんです。
なぜならば、うさぎとカメのカメはそうしているからです。
でも、そうしているように見えるだけで、カメはただただマイペースだっただけですけどね。
あの話は「どんなに素晴らしい才能があってもサボったり調子に乗ってはいけない」ということで、継続の大切さを教えてくれています。
(人によって解釈は自由にしてください)
うさぎが本気出したら、カメにさっさと勝っておしまいです。
ですから、あれはきれいごとなんです。
「どうしたら、これを全力でしないようにできるか?」
「どうしたら、苦手なことをしなくてもいい環境になるか?」
もうこれでいきましょうよ。
楽したいんです。
人間だからです。
こっちのほうがキレイごとじゃないですよね?(笑)
つまり、「自閉症で辛い~」って言っている方は、キレイに見せたいのです。
頑張って努力している美しいはずの私が、(成果が見えなくて)惨めにみえるんです。
だって本来「努力して勝ち取る世界観」なのに、現実は成果も何もないので、「理想の世界とのギャップ」がすごいわけです。
めんどくさいから、さっさとスケジュール作ろうっと。
あーー、時間割?そこに貼ってあるよーーー。
こんなんでいいんです。
自閉症の子はl勝手に時間割を見るようになって、あなたの手間が1つ減るでしょう。
そうしたら、あなたはその時間を別のことに充てることができますので。
こんな感じでいいと思います。
自閉症のツールや、支援というのは、あなたを楽になるためのツールなのです。
「頑張っても定型に追いつけないのに、さらにそんなことまでしなきゃいけないなんて!!」って思うかもしれません。
でも、支援をしはじめると、不思議なことに「しないなんてなんという労力のムダしているんだろう・・・。」と思うかもしれませんし。
とりあえず、「努力しないで楽に生きてもいいんだ」ということを許すことだと思います。