人生とは、常に幸せになるためのものであると、私ぴょんは考えています。
それは、人として生まれた以上、誰にでもあてはまる権利です。
誰でも幸せになっていいのですね。
ですから、一時的に「あなたから見える風景」が、幸せに見えなくても。
幸せになれないこととは一切関係がありません。
「あなたから見える風景」が幸せに見えないは、例えば以下のようなことです。
- 障害の子どもだから、この子・あるいは自分は幸せになれない(という風景)
風景と書かれていますが、これは背景という表現でも構いません。
つまり、あなたという存在の背景に当たる部分です。
「環境・人生・身の回り」と訳してもらってもいいのですが、端的にいいますと
現実です。
背景である現実は、しょせんは背景。
あなたを取り巻いている背景を変えるのは容易ではないでしょう。
その背景の中には、同じくらいのコントラストで「人(他者)」がいるはず。
あなたの見ている「背景」に、子供や大切な人も入っていることが多いですね。
そのため、あなたの背景の設定が「不幸な背景」であると、そこに存在している「子ども」まで不幸という設定をしてしまうことがあります。
しかし、しっかりと見開いて見ていただきたい。
その背景は「あなたが見ているもの」であって、相手(他者)にも同様に「背景が設定されていてその中に存在している」のです。
これは、あなた自身の色眼鏡をはずすために説明しています。
現実と表現すると人は「自分」を切り離しにくい人もいるので背景といっているのです。
- 現実(空間👉あなた)
- 背景(あなた👉空間)
あなたが先にあるということ、あなた自身が背景を作っているのです。
自分の感じていることや認知=現実と認識してしまうと
背景は変わることはおろか。
自分の軌道すら、認識はできないでしょう。
だから、自分を「映像化」するのです。
3D+時間軸の4次元構造(=3次元)にあなたはいますよね?
その3次元をわざわざ、2次元に置き換えてみてください。
あなたは3次元の存在ですから、2次元を上から眺める(メタ認知)ことができるようになります。
下位から上位に介入はできませんが、反対は成り立つのです。
ですから、自分の人生に迷ったら「映像化」です。
よかったら試してみてくださいね。
この記事は「障害を持つ子どもを不幸に思う」方向けに書いています。
軌道を変えるためには、その軌道に乗っていること、周りを客観視できないと無理なのでステップ1として書きました。
続きは次回。