こんにちは、ぴょんです。
夏休みなので、自分のできること(知ってることを適当に書く)という発信スタイルです。
自閉症の情報発信ができていなくてすみません。
ポイント
人には「頑張ってできること」と「頑張らなくてもできること」があります。
私にとって今は夏休みで子どもがいるので、質を落として「頑張らなくてもできること」をしています。
どうしても勉強ブログというのは、知識がなくなると書けなくなってしまいます。
常に新しい本を読んだり、勉強会に行く、書きたいテーマについて自力でネットで調べて書く、などの方策が必要になってきます。
アウトプットできない理由は基本的には「インプット不足」です。
(2022、8.23 追記)
アウトプットできない理由はほかにもありました。
- 情報の要素が多すぎて、どうやって話せばいいのか?整理できずに順番が混乱すること。
- それから感覚的なことの場合、イメージは浮かぶのですが絵は説明しにくい。
特に感覚的な人は、感覚がイメージで出ると思うんですけど「絵を人に説明する」のは難しいです。
もうないと思うんですけど、エレクトリカルパレードを説明せよと言われても、感覚人間は「なんかキラキラ光っているモノが動いたりする」って説明になると思うんですよ。
でも、そうすると「木漏れ日」「手のひらをかざした時の指の間の光」「ステンドグラス」「サンキャッチャー」などと同じになってしまう。
とにかく「綺麗だったんだ」という感覚なので、そのキレイさという感覚を説明することに終始するからです。
まあ、それはさておき。
今回は「うまくいく人が絶対にやらない3つのこと」です。
これは人生全般に言えることで、私が自分実験で実証済みです。
うまくいく人は絶対にやらない3つのこと
うまくいかない人には、共通の3つのことを必ずしています。
逆にいうと「うまくいく人がやらない3つこと」です。
基本的には3つはお買い得として「3個セット」で無料で売っていますので、それを脳にインストールしてしまっている人は、このアプリを起動しやすくなってしまいます。
うまくいく人がやらないこと
- 他人や環境のせいにすること(自分が変わらないこと)
- 人の意見や考えを聞かないこと
- 存在や能力の自他への否定
反対にいえば、うまくいかない人がやる3つのことは「他人や人のせいにして自分を変えようとせず、他人の意見や考えを素直に聞かず、存在や能力への否定」をしているということになります。
もちろん、私も時にはこの3つのアプリを起動してしまうこともあります。
脳には「起動しやすいアプリ」と「起動しにくいアプリ」があります
反対にインストールしてはみたものの「全然スムーズに起動できない」としたら、そのアプリをあなたは使う頻度はおちてしまうことでしょう。
例えば「やる気」というアプリをダウンロードしてはみたものの、時々、接続エラーで起動しない。
こんな感じにサクサク起動しないと、そのスキルをうまく発動することができないのです。
せっかく子どもが「やる気」というアプリをダウンロードして、起動しようとしているのにうまく起動しないのを見ると、そのような感覚になって「そのやる気」というアプリを「ゴミ」(要らないもの)と決めつけてしまいます。
さらに「そのアプリ」がうまく起動できないのは、スマホがゴミだからだ!!と発展してしまうことがあります。
ポイント
この「スマホ自体の存在」をどう思っているのか?というのがポイントになります。
この2つの人物は、起きている事象(やる気アプリが起動しない)は同じです。
でも、この2つの人物がたどる結果は違います。
1人は「やる気」というアプリがうまく起動するために「ネット回線を整えたり」「重たすぎるストレージを外部に外付けで保存して軽くしたり」などの方策をとることができます。
そして「やる気」アプリは正常に機能することができるのですね。
しかし、もう1人の「そもそもこのスマホが低スペックなんじゃないの?!」と思っている女性はその方策をとろうとすらしません。
ダウンロードされいてる「アプリ」は同じものです。
起きているできごとは同じです。
そして、二人に与えられているスマホは実は、まったく同じものです。
スマホという存在をどう思っているのか?でアプリはサクサク起動したりしなかったりする
例によって「やる気」というアプリ(能力)をダウンロードしたいのに、うまく起動できないというたとえになっています。
例の2人の人物が違っているのは「存在への肯定感」の違いです。
このスマホは私たちに置き換えるとお分かりいただけると思います。
注意ポイント
アプリがうまく起動しないのが問題なのではなく、「スマホ本体がダメなスマホなんだ」と思ってしまっている場合です。
実は、「ダメなスマホである」という存在の認知のほうが先にきます。
人生がうまくいくには2つの肯定感がいるよ
- 存在への肯定感
- 能力への肯定感
存在の肯定感がなければ、「どんなに優れたアプリ」をダウンロードしていてもうまく機能しないのです。
存在への自己肯定感が傷ついている場合は「打算なしで存在を認めてくれる存在」に出会うこと
私が前々回に説明した記事の「自然の中では自分はあるがままの存在である」というのは、自分よりも大きい存在である「自然」は自分を受け入れてくれるよ、という感覚を味わっていただきたかったからです。
人間のように「条件つき」だから、あなたに近づいてくるならば。
それは、「あなたの存在を肯定していること」にはなりませんからね。
だから、「存在への肯定感」が傷ついてしまっているお子さんはアニマルセラピーをするといいですよ。
寄ってきて頬ずりをしたり、打算も何もなく、触れ合ってくれる、時には自分が動物をなでてみるのです。
ポイント
すると、そのお子さんは「自分は何もしていないけど受け入れてもらっている感」を得ることができて、癒しとなるのです。
動物によっても、人間を嫌っている(懐かない)ものもいますので、アニマルセラピーは「IQが高く人間を認識してくれる」動物がいいですね。
これはかなり心を閉ざしてしまって「人間不信レベル」「人を拒絶してしまう」レベルの人に効果的です。
そうでなくても、自分の存在を否定している感覚が強ければ効果はあります。
存在への肯定感がある人は愛の存在も高まる
この存在への肯定感が高まってくると
メモ
- 「自分はただ存在してるだけで価値がある」
- 「自分はここにいてもいい」
- 「自分はそのままで愛される存在だ」
こんな感じになってきます。
ですので、「アプリ」をダウンロードしてもうまく起動できない場合は、こちらを高めなければなりません。
存在の肯定感が低いとどうなるの?
- 自己肯定感があるように見える
- 自己肯定感が低く見える(そのまま)
注意ポイント
一見、自己肯定感が高く見える人がいます。あるがままの存在を認めることができないので、その「存在の肯定」を肯定するために「能力の肯定」を強く求めるようになります。
つまり、「存在への肯定感(=私は存在してるだけで価値がある)」という感覚を、「能力や持ち物」で埋めている人です。
- ハイスペックな大学に子どもを入れることで自分の「存在価値の満たされなさ」を代理で埋めさせる
- 夫が有名な大企業に入っていることで「自分の存在も認められている」と代理で埋める
- ブランドバッグや高級車や美女などで「自分の存在価値」を代理で高める
こんな感じになります。
こういう人は「それを維持できるアプリ」が消えると、そのスマホは無価値だと思うようになるのです。
お金を稼げなくなった夫を捨てたり、高校になって成績が落ち込んだら「愛せない!」と子どもに冷たくしたり、見捨てたり、愛を与えなかったり。
許せない!!っていう感覚になるのかな・・・?ちょっとこのへんはなったことないのでわかりません。
私も不登校になった子供を一時期受け入れることができなかったのですが、存在への否定ではなくて「このままニートになったらどうしよう」→「社会からはじかれる」という恐怖・不安からです。
自分自身が「存在への肯定感」をなくしてしまったときはあります。
そのときはうつ病の初期のようになって、10キロ痩せてしまって、布団から出れなくなってしまったのです。
でも存在への肯定感が一時的に低くなったとき、皆さんの愛の力で復活できたのですね。
私は、当時「ネガティブな感情を持たないこと」が「心がキレイである」と信じてしまっていました。
つまり、自分が「なんだよ!!あのクソが!!」などのような相手を憎んだり怒りを感じることも悪だと思っていたのです。
そのため、私自身の他者に悪い言葉を思ったり言ってはいけないと信じていた私は、対人関係で「あの人いやだな」と感じて怒ったりした自分を「悪」だと思ったのです。
悪というよりは「べき思考」が強かったと思います。
他人に対して「マイナス感情を一切持たないこと」がいいことだと思い込んでいたのです。
だから、それをしてしまった自分を責めた。
すると、どうなると思いますか?
「自分の中の感情を悪いもの」と決めてしまったときの反動はすさまじいものがあるのです。
「怒りや悲しみ・憎しみ・恨み・妬み・嫉妬・猜疑心」このような自分のマイナス感情をないものとして「認識しないように封じ込めようとした」のです。
清濁併せ呑む。
これが人間だというのに。
感情を認めないようにするということは、本当に自分にとって可哀そうなことをしているのですね。
だって、生きているから感情が生まれるのですよ?
それを「なかったもの」にしようとするということは「存在の否定」になってしまうんです。
私は、「存在の肯定感」が一気に崩れ去ってしまって「解離性人格障害様症状」「パニック障害」「強迫性障害」「うつ病の初期の症状」「睡眠障害」に一気になってしまったのです。
本気で死ぬかと思いました。
自分の脳内での想像・妄想・憶測と現実の区別はつかなくなって、時間の流れはなくなってしまいました。(過去と現在と未来がよくわからなくなる)
自分が感じる「マイナス感情」は生きている証拠ですし、あなたが感じるマイナス感情は大事な感情なのです。
私が伝えたいのは自閉症のお子さんに「存在の否定感」を持たせないで上げてほしいのです。
特に私のように「存在の否定」をしたつもりがなくても、自閉症の子供自身が「悪い感情を持ってはいけない」というルールを課してしまうと大変なことになります。
そういうことではないのです。
ポイント
- 他人に対して「暴言」を言うことは行動としてよくないこと
- 自分が悪い感情を持つこと(それを表現・発散すること)
これは本来区別されるものなのですが、これを区別できない人は定型でもけっこういらっしゃるのです。
定型発達でも存在の肯定感が低いと、「行動」について言っているのに「自分のこと否定する!!」と区別できないことがあります。
自分自身が自分のことを「否定的」に見ているから他人からの言葉も「自分への否定」だと「誤解しているだけ」なのですが、それに気づける人は稀です。
これに気づくためには「メタ認知」ができていなければならないからです。
注意ポイント
メタ認知は自閉症の人は弱くなりがちなので、「行動と存在」が区別できずに混ざってしまう可能性が高いです。
つまりアンガーマネジメントで「怒ることはみっともないこと・怒っていけない・よくないこと」と教えていると(アンガーマネジメントを知らないので間違った理解ならすいません)
本当に「存在」のほうに「怒らない自分はいい子だけど怒る自分はいけない子」というようにくっついてセルフイメージが作り上げられてしまうことがあります。
これだけは避けなければなりません。
何がなんでも避けていただきたい。
どうかお願いします。
子どもに「自分の存在を否定的に感じさせr」のだけは防いでください。
お願いします・・・・・。
私の苦しみは私だけで十分です。