発達障害のわが子を育ててきて思うことがあります。
発達障害の子供をは「さぼっているだけ・努力が足りない・怠けている」=甘えだと言われることがある。
そして、さらにその親も子育て・躾を怠けていると世間からみなされることがあります。
そこにあるのは「できない=甘えだ」という精神論的な考え方です。
うつ病も「甘え」だと言われることがありますし、学校や会社に行けなくなった人のことを「甘えだ」という声もあります。
つまり「できないことを精神論よりで考えている人」の言葉が「甘え」なのです。
今回の記事では発達障害の子供を育てている親が遭遇する「発達障害は甘え」というテーマを考えてみたいと思います。
そもそも「甘え」ってなんなの?
できるけどやりたくない人のことです
まず、「甘え」の定義をはっきりさせます。
この前提がおかしいと論じることができません。
冒頭でも書きましたように「甘え=できない」という図式が成り立っています。
「できない人」を3種類に分類してみましょう。
甘えは以下でいうところの③に該当します。
①当事者=発達障害の方(やったけど本当にできない人)
②できるけどやらない人(やれば本当はできるけど意図的にしない判断をしている人)
③しなければならないと判断しているにも関わらず、やりたくないからしたくない人
(甘えたい人=仮病やできない理由を探している人)=免罪符のように使う人
この、①「自分なりに努力してやってみたけれども、本当にできなくて自分でも辛い人」と③「やらなくてはいけないことがわかっていて、且つ、できる人なのにやらない」「やれるかやれないかわからないけどそもそもやりたくない」は全く違う性質を持っていることがわかります。
しかし、「本当に努力してもできない人(障害がある人)」と「本当は努力すればできるかもしれない人・あるいはできるけどやりたくない人」が、同列に語られてしまうのが、この問題の本質だと思います。
前者のほうが、「100点をとれる実力があるのに怠けて自分に甘えている」わけです。
共通するのは「したくないからやらない」のが甘えということです。
できないのは甘えではありません。
やりたくない・努力をする前から「しなくてもいい理由」づけに使うために、発達障害という診断が欲しい人がいる
皆さんは、疾病利得という言葉をご存じでしょうか?
病気でいることで、本人に利得があることです。
これは、ネガティブ思考がやめられない人や愚痴を言ったり、共依存の人、モラハラの被害者、いわゆるメンヘラ女子が無意識に行っていることです。
「ネガティブ思考が治る・愚痴を言わない自分になる・共依存が治る・モラハラを受けない・メンヘラが治る」と困るのです。
「私。障害があるからできないの!!」って言っていれば、やらなくて済むことがあるのです。
愚痴を言っているのもそのような無意識の心理があることがあります。
100%全員そうではありません
「被害者ポジションで同情されて注目される・慰めの言葉をかけてもらえる・わかってもらえる」ことで「利益」があると無意識に感じてしまう。
すると、元気にならない選択を無意識がします。
元気になったら「障害の子どもにむきあう必要」が出てくるからです。
あるいは、「親同士の共感が得られること」かもしれません。
どちらにせよ
- 「避けたいものをしなくても済む」か「欲しいものが得られる」
このどちらか、あるいは両方が無意識に得られているのが疾病利得です。
(例)(B)愚痴をいうと→ (C)療育に向き合わなくて済む(C)ママ友から慰めたり共感もらえる、同情してもらえる =(C)可哀そうな自分でいられる
こんな感じですかね。
私は、ブログの記事は直感で書いているのですが、これ、ABC分析ですね。(苦笑)
ちょっと表現が見つからなくて、それはおいておいて。
人の脳は、逃げたいことがあると「自分を病気にしてまでそれをしなくてもいい理由・正当化」をできるような現実を作り出すことがあるのです。
うつ病や、学校に行く前になると「体調不良になる」のは疾病利得が無意識に働くということがあります。
ファッション発達障害の人たち
それを利用・使っている人が「診断をつけたがる人達」「偽アスペルガー症候群」「偽HSP]の人たちです。
彼らは、「自分ができないこと」の理由づけとして発達障害の診断名を使う人たちです。
「生きづらさの言い訳に使っている定型発達の人」のことです。
精神科できちんと検査しますから定型発達の人が「発達障害」と診断されることはびっくりするほどないですよ。」
(diamondオンラインより引用)
このように書かれていますが、いちぶの人が「ネットでセルフ発達診断」をして。
といっているのです。
そのへんの診断で自己申告してる発達障がいを名乗る人が増えているのでしょう。
この人たちの見分け方は以下です。
- 「病気だから仕方ないじゃん」で嫌なことを避けるために「私って発達なの!」と自らちょいちょい名乗る
- 生きづらさを発達障害という障害に丸投げするために使う
- 「自分は発達障害なんだよね」と自己主張しているのに病院には行っていないようだ
- 自称発達障害を名乗るのに、「本当にそうだったらいやすぎる・人生終わりだ」と考えていて矛盾する
diamondオンラインの記事から読み解くとこのような感じですね。
発達障害の人は甘えているのではなく「できない」
発達障害の人たちは、ファッション発達障害の人と違って、生きづらさが「発達障害という脳の特性」からきています。
そのことと、定型発達だけれども生きづらい人は別です。
むしろ、本当の発達障害の人は「自分は生きづらさ」に気づいていなかったりします。
私は、医師に発達検査をしたところ「アスペルガー」と言われましたが、当初は「えー?でも仕事も就職できたし、コミュニケーションも取れてるし」と言って、認めようとしませんでした。
実際、私がそうなのかはわかりません。
グレーゾーンということで自分的には納得しています。
それか、自閉症の親になったり、仕事でうまくいかなくて、「自分ってそうなのかも」と思って真面目に病院に行く人がほとんどだと思います。
偽発達障害の人は、「自分は発達だ」と名乗るけど「病院で検査をするのは嫌がる」というのがポイントだと思います。
まとめ
努力しているのに努力していない甘えていると言われる発達障害の方はとても理不尽な思いをしてると思います。
大切なのは、精神論で見ない。ということだと思います。
以上です。
参考になれば嬉しいです。