Googleの検索でこんなキーワードを見つけました。
結論からいうと「いいえ」です。
私たち人間が感じている幸せというのは主観です。
感じていることでしかありません。
感じているということは、人によって「同じことを体験していても幸福と不幸を感じる人がいる」ということです。
つまり、発達障害という障害についてあなたがどのように感じているか?に過ぎないのです。
この記事はこんな方におすすめ
- 子どもが自閉症だから自分と子どもの人生は不幸になるしかないと感じている人
- 大人になって発達障害と診断されたから、幸せになれないのではないか?と絶望している人
私の息子は発達障害です。
しかし、「もうこの子の将来はだめだ」と思って不幸感を感じてメンタルが病んでいる時期もありますし、そうではなく幸せに毎日を過ごせている時期もあります。
人は誰しも、人生の中で波があるのは当たり前で、ずっと幸福感が続ているわけでもないしずっと不幸が続ている人もいないと思います。
しかし、私自身が不幸感と幸福感を感じているときを経験しています。
そして、それは子ども自身の行動は何も変わっていなかったりします。
つまり私自身のマインドに違いがあることは確実であるということを最近、はっきりと確信しました。
今回は独断と偏見で得た私のマインドセットの違いを公開します。
発達障害は幸せになれないと感じてしまうのは「世間の常識」に洗脳されているからです
あなたが信じているものは【世間?雑誌?偉い人の言葉?】それとも・・・
あなたが、発達障害が幸せになれないんじゃないか?と感じてしまう・考えてしまうのはごく自然なことです。
なぜならば、それは昔から世間や教育などで「障害=悪いもの」というイメージを植え付けられてきたからです。
- 学歴と才能がないとお金持ちになれない
- お金持ちは悪いことをしている
- 不登校になったら非行に走る
- B型は目立ちたがりでサプライズが好き
- 新聞やメディアの報道は正しい
このようなものと「障害は悪いもの」であるというイメージの植え付けは同じであると考えます。
この考えはもともと、あなたの頭の中から自力で考え出されたものではないのです。
ただの世間やマスメディア・雑誌、世間などから取り入れて信じてしまったいわば「外部からの信念」なのです。
障害=悪いイメージの思い込み(妄想)である
前頭前野に「パターン」を作ってしまう
真実ではないことも、信じてしまうとそれは信念にすらなりえます。
真実ではない概念を信じてしまうことを「洗脳」といっても過言ではないのです。
この真実ではないあるパターンX=Yというのは、時として強い信念となって前頭前野にパターンの回路ができあがります。
敵がいる場所では安心してなんていられないぞ
この「学校=敵 世間=敵」というように真実ではないのに「概念パターン」化した信念ができあがることがあります。
前頭前野の認識パターン(回路)です。
そして、この「学校=敵」という前頭前野にパターンが作られた場合、起きてくることがあります。
基本的に前頭葉はあとから進化した脳なので、似ている概念の抽象化をすることができます。
つまり、「学校=敵がいる恐ろしい場所」という概念のパターンは「運動会」という行事も「似たようなもの」と判断をします。
その結果、不登校になった子どもは「運動会や遠足」「学校」という場所も活動もまったく違うものなのに「同じ反応」を覚えるのです。
偏桃体でも「似ている情報」を引っ張り出す役割があるのですが、その場合は「失敗の記憶」を引っ張り出すだけに終始します。
このように信念ができあがってしまうと、そのイメージに随伴する情報が「すべて真実」のように私たちは思い込んでしまうのです。
脳は真実を捻じ曲げていることに気づこう
発達障害は幸せになれないという脳の思い込みから脱出する方法
発達障害でも幸せで成功している人がいるということを知る(選択肢を増やす)
私たちの脳は思い込みをしやすいということを知ったうえでその対策を見ていきましょう。
まず、今回の障害があると幸せになれないという「思い込み」に関する変容の方法というと以下があります。
- 自分の思い込み(例:障害があると幸せになれない)に対しての反証材料を集める
- 「障害があると幸せになれない」という結果だけが真実ではないことの事例を知る
(発達障害の育児・当事者でも幸せに人生を楽しんでいる人の成功事例をたくさん知る) - 役割モデルの参照
- 基本的人権宣言(*思考が強すぎるときに使うといいです)
ざくっと書いてみました。
前述したように「脳は真実ではないことを思い込む癖がある」ということを知るだけでも客観的にみることができることがあります。
そのために説明したんですけどね。
ただ、知っていたとしても「障害に対する悪いイメージ」が脳の思い込みだと知識として知っていても払いきれない場合があります。
その場合は、さらに細かく「障害=悪」のパターンを崩していく必要があります。
ポイント
おすすめは「障害があっても人生が充実している人の事例がのった本・動画を視聴することです。
細かく「障害への悪いイメージ」を変容したい人への手順
簡単な流れ
- 障害=悪い結果というイメージがあなたの中で「子どもの将来を絶望的に感じている」場合は「心配を予測に変換」します
- 自分は障害の子どもを育てる自身がなくて将来に絶望している場合は母親自身の自己効力感を強化する
- 障害があると幸せになれないと感じる本人の中で非機能的なルールや思い込みはある場合は「生きる権利・自由の権利・誰でも幸せを追求する権利」がある適応的なルールを新しく作る
- 障害があることで失敗する(幸せにはなれない)という論理エラー(=たった1つの事例に基づく普遍的な結論を導き出してしまう)を修正
(背理法、矛盾の検討) - 障害があるから〇〇(因果関係と責任の所在のエラーの修正)
今、考えて見ましたがこんな感じで進めてください。
私が実際にやった「障害の子どもも幸せになれる」と思うためにしたこと
役割モデルの参照と修正
私の場合は、暴言と暴力を受けていたときにちょっと病んでしまっていました。
そのときの私はこんな感じでした。
- 自己客観視がぜんぜんできない
- 自分でものごとを決められない
- ルールや法律・一般常識などを信じる
私の場合、病んだときのパターンは決まっていまして、まず「自己肯定感がどん底」になります。
自己肯定感が低くなると、自己効力感も並行して落ち込みます。
自分で自分を幸せにするために前に進む力が失われているのですから、自分への無力感が高まります。
すると、もちろん自分も子どもも幸せにするためのエネルギーが不足してしまいます。
この場合、ゆっくり好きなことをしたり、得意なこと(ゲームでもなんでもいい)をすることで、自己効力感や自分がちょっとできることを積み重ねて「自分にもできることある」という感覚を高めてエネルギーをちょっとずつ回復させなければなりません。
しかし、このやり方では活力やエネルギーは最短でも3週間くらいかかるので、毎日ストレスを受け続けている場合は間に合わないのです。
ストレスがない状態が作れない場合は、穴が開いたバケツのようにせっかく貯めてもエネルギーは流れ落ちてしまいます。
対処療法では間に合わないと感じた私は「器」を変えることにしました。
人間の器を変えれば、そもそもの話が「水が漏れなくなる」のです。
私は左脳優位に傾きすぎていたために、いきなり「こんな親になろう」という役割モデルイメージ(右脳優位))では「暴力をする子どもは悪い子ども」という論理の自分を打ち負かすことができませんでした。
目には目を、歯には歯を。
熱血体育教師に「論理」で展開しても伝わりません。
反対に、ガッチガチの理系に感情や情熱を訴えたところで納得してもらえるはずもないのです。
私は「ゲームでキレて暴力や暴言を受けている私は被害者で子どもは加害者」と道徳的に絶対に正しいと思っていたので、「そのルール」に介入することにしました。
そこで、基本的人権宣言を作りました。
基本的人権宣言で「子ども自身が感じた怒り(感情)を自由に表現する権利を思い出す」
私の基本的人権宣言とは、「赤ちゃんにすべて当てはまるだろう権利」をあなた自身が考えて書きだすものです。
人種や考え方に左右されずに、どんな人間でも赤ちゃんでもあてはまるものでなければ人権とは言えないからです。
私は・・・から始まる文章で作ります。
- 私には殴られない権利がある
- 私には人格否定されない権利がある
- 私はしたいことを表明する権利がある
- 私はしたくないことを表明する権利がある
- 私は疲れたら休む権利がある
- 私は親に自分の意見を言う権利がある
- 私は感情を自由に感じる権利がある
- 私には自由に考えを持つ権利がある
全部ではないのですが、このようなことを盛り込んで作りました。
これは、モラハラや毒親でメンタルが病んでる人にも効果的です。
反対に「親や指導者」的な立場の人がこれを作ると、わが身の反省になります。
うまくいけば、「自分の論理が可及的速やかに修正」されることでしょう。
イライラしている私の権利が認められるのであれば、ゲームでイライラして怒る権利は子どもにもあるのです。
私がゲームでイライラする子どもを見てイライラすることは、子どもがゲームでイライラすることと同じことなのです。
これはメタ認知が発動していれば気づけるのですが、「どうして私が暴力を受けなければならないの?!」と自分が正義だと思っていた私には、メタ認知が発動できるほどの力がありませんでした。
だからこそ、紙に書いて「論理からの介入」は効果が抜群にありました。
(あくまでも私の場合です。)
左脳から認知に働きかけるのであれば、「矛盾」をつくのが一番です。
左脳優位から右脳優位に変えていく(役割モデルも兼ねる)
左脳をだまらせたあとは、かたよりすぎた右脳を少しずつ入れていくことにしました。
もともと、感覚的で自由が好きな私は「自分の感覚」にアクセスできるようにするために、「感じる」ことを思い出すことにしました。
思考と感覚は両立できません。
- 美味しいものをよく味わって食べる
- マッサージやお風呂に入って気持ちよさを感じる
- 風の音、頬に触れる感覚に集中する
- 好きな香りを嗅ぐ
自閉症の療育も社会での仕事も思考優位です。
しかし、思考ばかりの毎日は疲れてしまいますよね。
だって、私は女性ですもん。
楽しいことに楽しい!!って言って、おいしいものを食べてハッピーになって、好奇心に従ってびっくりしたり、ワクワクしたり。
やりたいことやって、感動して。
つまり、素の自分に戻ることでした。(笑)
私はもともと、感覚的で思考優位ではないのです。
感覚的で・・・自由で、私って何が好き?私は何が嫌い?
皆さんも思い出してください。
何かができなきゃ幸せとかではないのです。
「楽しい」「ワクワクする」「嬉しい!!」「うわあ~!」「素敵!」「びっくりした!!」「怖い」「悲しい」「これ好き」「これキライ」「これって得意」「これって苦手」
このような感覚をすべて肯定できていれば、幸せなのではないでしょうか?
役割はあとからついてきます。
は違うよ。
自分で自分の感覚を思い出していったら、幸せ感が増えたのです。
イメージをしました。
私は、地球の大自然のどこかにいて。
ただ、そこにいるだけなのですが、確かに私は地球に存在しているのです。
そして、ただそこにいるだけで、自然と一体化していて、そして、生き物も人も植物もみんな一緒に存在しています。
自然は、大きな岩に「悪い」も「いい」もないんですよ。
葉っぱも、そのへんもキレイな名もなき花も、そのままでいいのです。
お花の色が変わっていたからといって、引っこ抜くのは人間だけですよ。
私は、幸せとは「そのままの自分が好き」と自然に思うことだと思うのです。
自分の感覚を追求して思い出す作業をしていたら、そのように思えたのです。
思考ではできないことです。
役割はそのあとかな、マインドがついてこないとね。
役割モデルの参考にしたブレンダボイドさんの本の記事はこちら。
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自閉症の育児で初めて買った本「アスペルガー症候群の子育て200のヒント」
こんにちは、高機能自閉症の 息子を育てているぴょんたろうです。 今日は、筆者がはじめて買った本のレビューです。 本は「アスペルガー症候群の子育て200のヒント」という本です。   ...
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自然に自分の役割は見えてくるのですね。
思考では「義務の役割」なのですけれど、感覚での「役割」もちゃんとあります。
人はそれを使命と呼びます。
まとめ
この記事は、最初は左脳優位で、最後のほうは右脳優位でかいています。
だんだんとイメージが強まっていって文章も変わりますね。(苦笑)
子どもの写真って増えますよね。
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