今回のテーマは「小学校入学までに習慣つくっておかないと中学校くらいから大変なことになる」ということです。
人は、「よし!明日から生まれ変わるぞ」と思ってもほぼほぼ無理です。
大人でも無理です。
注意ポイント
「無理=難しい」という意味で捉えてくださいね。
ダイエットに成功する人はなかなかいません。
習慣を変えるのはとてもとても難しいからです。
自閉症は、習慣やルーティンが強いとききます。
私の息子は運よく、放デイの先生や学校、ママ友などの周りの人の協力のおかげで「問題行動」が定着しそうになっても、消すことができました。
ですので、際立った問題行動というのはありません。
しかし、親というのは欲張りなものですね。
子どもの問題行動がなくなれば不安は消えてどんなに幸せだろうかと思っていました。
しかし、問題行動がなければないで
今度は「生活したり自己管理ができてない息子は、将来、一人暮らししたら困るのではないか?」と思ってしまいます。
それは贅沢ではなくて、人はよりよい自分に成長していきたいと思っていますから当然のことなのですね。
赤ちゃんが「ハイハイができること」を喜んでも、「ハイハイができれば十分だ」ということにはならないのです。
同じ場所にとどまっていることは成長しなくていいということを意味しますので。
ですから、人それぞれに「目標」「次のステージ」というのはあるのです。
つまり、どんな人でも「その人の段階にあった悩み」は出てくるものだということです。
話を戻しますね。
問題行動が出なくても「社会を生き抜くために必要なスキル」が足りていないのです。
私は、もともとマルチタスクが苦手です。
なので、問題が1つあるとそれをクリアするまでは、たくさんのことを考える心の余裕がなくなります。
余裕がなければ、「生活スキルを教える手立て」を打つことも考えることもできませんから
まずは本人も取りたくない問題行動が出なくなるまで、行動支援をすることが必要と思います。
その後、信頼関係を築けていませんと
私の経験則ですが、子どもが親の話に耳を傾けてくれないのと、自尊心なども低くなってしまいますから
その点では親は心を砕いていく必要があります。
前述の「本人も取りたくない問題行動」についてですが
よく自閉症の子どもは「こだわり」がありますから、親心で良かれと思って子どものこだわりを強化させてしまうことがありますね。
例えば、学校に行き渋っている子に、付き添いでお母さんがいったとします。
本当はみんなと給食を本来食べる教室で食べるという選択ができる場面で
保健室で給食を食べてもいいよということになったときに、場所の変更は難しいとは思います。
しかし、こだわりにはなっていないこともあります。
そこで「お母さんがいい、お母さんお母さん」と泣いている自閉症の子がいた場合。
一番はじめにお母さんが良かれと思って、給食を食べているときに一緒に見守って隣にいたとしますね。
すると、自閉症の子は「お母さんがいるときに給食を食べる」というこだわりになってしまうことがあります。
これは、お母さんの方としましては「お母さんがいるから安心して食べれるよね」ということになるのですが
子どもにとってかわった場合「お母さんがいなければ給食を食べれない」というこだわりになってしまうことがあります。
そういう意味でも、不安定なお子さんに付き添っている場合、ある特定の人物でこだわりが構築されてしまいますと
その人がこだわりになってしまうことがありますね。
この場合、事業所さんなどによっても起きる可能性のあることでしょう。
なぜならば、支援者さんによってその子どもへの対応が違うからですね。
これにつきますね。
先程の例は「子供にとってのお母さん」ですからわかりやすいのですが
放課後デイなどでも、支援者Aさんの時だけ「こだわり」が発動してしまうということもあるわけです。
この場合、本人が「可哀想だから、Aさんに要望を受けてもらう」ということがあると思われますが
これは本人にとってもいいことではないのですね。
この「可哀想だから」というのが、厄介なのです。
往々にして「自閉症のこだわりを理解してあげよう」というのはとても素敵なことなのですが
この親をはじめとする親や支援者さんの「こだわりへの理解」が誤解されてしまうことが、
自閉症ご本人のこだわりを助長させて本人も辛くなってしまうことに気づかれていただきたいと思います。
子供にとって「ある出来事Aをするため」には「こだわりB」が必要だと、学習しています。
本来は「こだわりB」は出来事Aを遂行するために必要ではないのに、それがないとできないので自閉症ご本人も苦しいわけです。
「可哀想だから、お母さんが一緒についてあげてください。」
「お母さんがいいというこだわりがあるから、私が毎回、ついていてあげるの」
というように学校や支援者側と親側が合意してしまっている場合
誰がお子さんの「こだわりを解除」してあげれれるのですか。
お子さんは「自分がしたくないけどしてしまう」ということだけです。
この場合ですと、「本当にお母さんがいなくて悲しくてこだわりになっている」わけではありません。
ポイント
たまたま、「給食を食べるときはお母さんがいた」という同一性保持を再現しようとしているだけですよ。
同一性保持というのは、車を並べることにこだわりがあったり
椅子に座ること、順番などにこだわりがあったりすることです。
不安感によって「いつもと同じがいい」というこだわりは理解する必要はあります。
しかし、「いつもと同じ」というのが、(私は自閉症の専門家ではないのでわかりませんが)
ずっと30歳になるまで「お昼ご飯はお母さんがいないと食べれない」となって泣きわめくとしたら、子供にとってはいらないこだわりではないですか。
(★極論です)
ポイント
子供にとっていらないこだわりを続けることは、本人から取り除いてあげれなければならないのです。
可哀想だから、不安になるから「こだわり」を続けていいよ~ということではないのですね。
何が言いたいかというと、可哀想というのは「泣いていることや求めていることが叶わないとき」だと思います。
しかし、その子にとって「泣きやむこと・要求が手に入ること」は手段に過ぎないので、勝手に泣いてしまうだけなのですね。
見てごらんなさい、要求が叶ったときに、コロッと泣き止むでしょう。
本当に悲しいときというのは、人はすぐに泣き止みませんね。
悲しみというのは喪失感の感情です。
それ以外でパニックやこだわりで泣き叫ぶとしたら、それは「本当の悲しみ」ではないのですね。
本当の悲しみではないのに、つまり泣かなくてもいいんだよ~ってことで。
こだわりとして機能させて、いちいちパニックを起こして周りが叶えさせてあげる。
私たち親子は、運が良いことにこのように「お母さんがいないと泣くので・・来てもらえませんか?」と言われたことはありません。
息子がお世話になっているK先生の事業所さんではこのようなことは起きていませんでした。
こういうことがあったのかどうかはわかりません。
しかし、少なくても自閉症の子のこだわりになってしまうようなことは、その事業所ではルールで明言化されていたように感じます。
(これがこだわり対策なのかはわかりません。単にお友達とのトラブルを防ぐためかもしれません)
私が懸念しているのは、それを理解してうまく自閉症のお子さんと対応してる・それを親に話せる事業所さんは少ないことです。
事業所主導でやると思うのですね。
私の書いていることは、珍しく「自閉症の専門的なこと」になりますから
私の感じていることは、間違っているかもしれません。
まとめとして一番伝えたいことは
自閉症の子のこだわりについて「可哀想に見えること」は本当に可哀想なの?とちょっと考えてみるきっかけにしていただきということなのです。
私は考えると、正解がわからなくなるので、この記事は感覚で書いてるんですけどね(笑)
最初のほうは思考優位だったんですが…(苦笑)
以上です。
1人でも多くの自閉症の親子が笑顔で暮らせることを祈っております。