前回の続きの説明をしていきます。
自閉症の世界は、すべての人が感覚の世界のまま認知しているわけではないと思われます。
まず、感覚的な世界では「等価」なので、背景透過はおきません。
そして、言語の意味を持つ世界ではないです。
その前段階の世界なので・・・
「木・猫・人・家」に区別はありません。
注意ポイント
自閉症の人が「モノと人」の区別がついていないということではないです。
感覚の発達には個人差があって、感覚の世界➝意味の世界へと移行します。しかし、感覚の世界のままの人の場合ですと「人とモノ」の分化が進んでない場合もあるということです。
なぜならば、「人」「木」「猫」という概念は、感覚の世界の先の世界だからです。
感覚の発達が新しいということですね。 時代と置き換えてくださってもけっこうですよ。
ジュラ紀のあとに白亜紀があるのですが、ジュラ紀(感覚の世界)白亜紀(定型の世界=概念・理解・意味)という感じです。
ポイント
感覚の世界の先の世界とは?
「感覚の世界」は、発達するにつれて「分化」というのが起きて「人とモノ」の区別がつくようになるのです。
前回、「感覚の世界は万華鏡のようだ」とたとえました。
このとき、「区別がないので意味を見いだせない」と説明したのを覚えていますでしょうか?
意味づけが起きていない感覚の世界で、「人や木・猫」などを捉えています。
なぜならば、意味って「言葉」で説明するからですね。
ポイント
ですから、「感覚的な認知の世界」では言葉は効果が薄いです。
なぜならば「意味(言語理解)の世界」ではないからです。
あなたは「6チャンネル」を押しているのに、接触不良なのかなんなのか。
まったく反応が鈍いです。
そのときの感覚ですね。
そして、そのこと(感覚)をわかっている(=自己認識)自閉症の子もいます。
そういう子は定型ほどではないものの、認識力が高いということになります。
わかっているけど、勝手にそうなってしまうのです。
そんな世界の中では、常に「音(聴覚情報)も、視覚情報も、等価で入ってくる」情報の渦の中にさらわれてしまいそうな感覚を覚えるのです。
「不安と緊張」の世界です。
この世界では、
その代わり、「言葉に似た意味を持つもの」があり、強い影響力を持ちます。
前回の絵に出てきた「オブジェクト化(対象化・物体化)」の前段階である、感覚的なオブジェクトです。
(感覚なので説明が難しいですが頑張ってるので許してください)
★ここから自問自答なのでキライな人はスクロールしてください。👇
ん・・・?
また何か頭に浮かびましたね。
感覚のオブジェクト化を、「動的アセンブラ」と名付けたと?
動的・静的はわかりますが、「アセンブラ」って・・・?
(調べました)
アセンブラとは機械語と一対一で対応する命令を並べることでプログラムを記述する言語です。 要は機械語にニックネームを付けたモノだと思って下さい。
なるほど。
私は本質が同じ(共通の要素を持っているもの)を、映像や言葉が勝手に浮かぶことで、「これは同一だよ」って理解をしているんです。
それはたいてい、脳の中に「Googleの関連画像や検索≒ビッグデータ)があるので、それでやってる感じ。
皆さんも、物理演算できるシステム(脳)がおありでしょう?
感覚(非言語優位)のことならば、私は、今まであった「---人間の」。
「---人間の」「表情」「仕草」などの数々の要素。
ーーー要素を分類し、エンコードし、(???顕在意識では意味が追い付かないです、あとで調べますね)
感情や反応をパターン認識しているのです。
私にはそれしかできないんで。
私は、直観が勝手に計算してくれたものを、こうやって形にしているだけです。
まあ、それは曲を作っているのと似ていますよね。
指で、「不協和音にならないように曲を作る」のと似ています。
だから、私はこれは勘で書いています。
ダンスと同じ感覚で書いていますね、だって、顕在意識で書いていませんもの(笑)
くつ=お出かけ☚感覚的オブジェクト
言葉に似た意味をもつもの。
それは感覚的なオブジェクトです。
感覚オブジェクトは「感覚の世界で意味っぽい意味をもつもの」です。
例えば、皆さんは靴を知っていますか?
言語的にはこのような意味を持たせることができますよね。
でも、言葉として「くつ」を捉えてない時代の子どもは、「お出かけしたいときに靴を持ってきたり」しますよね。
このような感覚イメージ(くつ=おでかけできるイメージ)が「感覚的オブジェクト」です。
これは、たぶんですが、「具体物=意味」に近い感覚だと思います。
近いのですが、脳内の処理としては、わずかに違っています、
それは、私の感覚がそういっているので、そうです。
ポイント
入浴剤はお風呂に入るイメージ(感覚的なオブジェクト化)として働き、はしは「ごはんが食べれるイメージ」の形成をしているのです。
ということで、「視覚優位」だから、絵で支援すればなんでもいいというわけでもないようです。
その人の「認識力」によって、文字を使ったり、動的アセンブラで理解したり、写真で理解したりなど使い分けるといいかと思いますね。
理解の手がかり? | 適用(人?) | 適用(段階?) |
具体物 | 重度自閉症
(★感覚の世界優位) (★言語の遅れあり) |
感覚オブジェクト化
(動的アセンブラ) |
シンボル化(絵) | ||
イラスト | ||
写真 | ||
文字 | 高機能自閉症~定型
(★文字を覚えている) (★概念化ができている) (★認識の発達が良好) |
|
言語の遅れがないと、認識力も双方向で発達します。
しかし、言語の遅れがあると、「感覚的な認知の世界で混ざり合っている世界」の中で、区別ができにくいため、混沌としています。
そのぶん「緊張・不安感」が強い世界になり、感覚への没頭(緊張緩和・精神安定)も強くなりがちです。
ちなみに、表の空欄は「わからない=経験していない)あるいは知識が足りない。あるいはその両方な」のでわかりません。
私は、わからないことはかけないんですよね。
ジェットコースターに乗ったことがない人が「その感覚を思い出して感想、書けますか?」
経験してないことはわからないのですよ。
感覚の世界では「私≒あなた」
混沌としている感覚の世界を、少しでもわかりやすいように頑張って説明してきたつもりです。
それから、忘れてはいけないのは
区別できない(混沌としてる・意味の区切りがない)という点においてもう1つ大事な区切りがないことがあります。
「あなた」「わたし」という概念も言葉によってつくられていますよね。
そして、自分のことは「わたし」ですが、相手を呼ぶときは「あなた」ですよね。
でも、あなたは他の人から「あなた」と呼ばれることもありますよね?
視点によって、あなたは「あなた」と呼ばれたり、私と自分で呼んだりします。
つまり
(私という存在)=あなたって呼ばれる=「(自分は)あなた」という名前である
ということです。
私たちは「他人」をよぶときに、名前の他に「人称代名詞」というものを使い分けますね。
でも、小さい子(これは自閉症でなくても)「あなた」と呼ばれたら「私の名前は あなた」と思ってしまうということです。
これは「視点の移動」ができているから、「私・あなた」を使い分けることができるんですね。
今、私は自分のことを「視点の移動」によって「あなた」と呼ばせることに成功しました。
このとき、自分の視点から移動して、「相手の視点」にたって私を「あなた」と呼んでいることがわかります。
自閉症では、この「自分の視点の移動」(脱中心化といいます)の発達が遅れがちです。
感覚の世界では「1つの世界=自分の体験世界」しかない。
もうしばらくお待ちください。