こんにちは。
今日は中学校の定期テスト1日目でした。
息子はぜんぜん勉強していないので、帰ってくるなり歩きながら
「どうしよう~10点だー-」と言っていました。
私は「そうなんだね。〇〇はテストの出来が悪かったと思っているんだね?」と声をかけました。」
「テストの目標点を学習のあゆみに書いたでしょう?それは何点にしたのかな?」
(手を洗いに行く息子)
「10点・・・・25点かな!!」
「(笑)じゃあ、それを基準にその点より悪かったら、もうちょっと頑張ろうって思えばいいのでは?」
と声をかけました。
そして。「いいことを教えてあげるよ。テストの結果も大事だけどもっと大事なのは、予測することだよ。」
「〇〇は自分の出来を10点くらいと予想したんだね。これはテストの結果が実際に帰ってこなければわからない。だから今は何とも言えないんだよ。」
「それに、自分ができたかどうか振り返れているからこれはよいことなんだよ。あとはテストが返ってきてから
答え合わせをするといいよ。」
(注意:答え合わせ=10点の予想が実際とあっていたか?=予測と結果の答え合わせ)
息子は何かをやりながらだったが、応答の笑いがあった。
インプットしているだろう。
聞いてないようでいて反応をみれば「まったく聞いていない」のか彼の中に染み込んでいったのかはわかるものだ。
私が伝えたかったのは、まず「テストの点が悪かった」という中身が一般化されそうなので、具体化して視点を「自分の基準に戻してあげる」こと。
偏差値で比べるのではなくて、自分の中での目標を基準(比較)にしてほしいってこと。
もう1点は、「自分はテストがどうやら悪そうだ」と自覚して予想できているんだね、と認識してもらいたいということ。
ここまででなんの問題もないのだ。
あとは10点と予想していたのに、「テストの点が30点」だったらメタ認知が少し弱いかなってことくらいかな。
悪いってざっくりしているので「30点=悪い」と考えれば、範囲はさらに広がるので問題ない。
こんなに私はフラットに考えられるのにね。
やっぱり人それぞれ地雷というのはあるものなのだ。
もし。
成績が悪い子が嫌いっていう親の場合、このような会話ができることはない。
その場合、することはシンプルだ。
親自身の
「成績が悪いのはよくない・価値はない・成績が悪い子は幸せになれない・成績が悪い子は馬鹿にされる・成績が悪い子はできが悪い・成績が悪い子は馬鹿だ・成績が悪い子どもは親に愛されない」
などの「無意識の設定」を変容することだね。
わかるかい。
大差ないのだ。
定型発達でも「こういう子供は嫌い」っていう条件つきの愛のパターンの親なんて五万といるのさ。
つまり、「受け容れられない・やだやだ・許せない」って苦しんでいる親は障害を持っている親だけじゃないってこと。
それならば。
障害児の親は圧倒的な。
圧倒的な愛を手にすることができるわけだ。
1つずつ。
許していくんだからね。
「それでいいんだよ」って。
愛とは「許可」なのだよ。
言語化された言葉は「それでいいよ。そのままでいいんだよ」。
母親であるあなたの中の「何」が。
「それじゃだめ!!そのままじゃだめ!!」というのか?
許可をしないのだろうか?
それを母親自身のあなたの中でも許してあげれば解決だ。
だらしない子どもを見て許せないのは、母親自身もそれを「自分で自分に許可できてない場合が多い」のだ。
自分もだらしない親を少しやってみるんだよ。
それで。自分に許可だし(愛を与える)
許可を出していくんだよ。
それが障害の育児の正しい唯一のやり方なんですよ。