ぴょんです。
あなたはこう思ったことはありませんか?
「やったほうが子供のためにいいことはわかってるけどできない・・・」
なぜ療育をしようとしないのか。
あなたは、なぜ療育をしないのでしょうか。
この答えは、たった1つです。
あなたが。
自分自身を、それに相応しいとは思っていなくて、受け取れてないからです。
「療育をはじめないのは、面倒臭いし大変だから」
「療育が始められないのは、療育の効果や便利さを体感していないから」
ええ。それもあります。
でも、それは母親のあなた自身が自覚できている部分の理由なのです。
新しい何かをはじめようとするとき。
まず、脳が何をするかというと。
「自分(モノ・自分・世界)と同じか?違うか」区別します。
これ、本当のことです。(笑)
本能的な深い心の部分でやっているので、皆さん、気づかないだけです。
心のどこかで「自分はこんなこと(療育)なんてできない(=相応しくない)」「自分とは世界が違う」と思っているからなのね。
繰り返しますが、「人は本能的に同じか?違うか?」判断するのです。
正確にいうと。
「違いは本能でキャッチ。」(低次元)
本当は違っているものだけど似ているものを同じとみなすのは、高次の脳のほうがやっているわ。
ちょっと話がそれました。
あなたは、まず「何か対象」に遭遇したとき、「同じ世界なのか?違うのか?」と判断する。
それが、人なら。
「あの人は私と同じかしら?それとも違うかしら?」
それが場所なら。
「この場所は知っている(同じ)場所かしら?それとも知らない(未知の)違う場所かしら?」
それが「ものごと」なら。
「この物事は同じ(要素がある)かしら?違う(要素がある)かしら?」
それが「世界」なら。
「この人は私と同じ世界の住人かしら。それとも違う世界の住人かしら」
自閉症の親というのは、自分の中において(主観)は役割であるけれど。
外側の世界では「役割は世界観」なのです。
ですから、あなたが自閉症の療育を始めれない場合。
その世界と自分の世界が違っているという可能性があるのです。
「偏差値70のところにいると場違いだと感じる」
「あまりにもキレイな人の中にいると場違いだと感じる」
居心地の悪さを感じてしまう。
私も「自分は相応しくないのではないかしら?」と感じるの、よくあるの。だから言うことができるのだけれど。
「場違い」だと感じているときは、まだよくって。
なぜかというと「そこに馴染みたい!!(同じ世界に属したい)からこそ起きる感覚なのね。
これはプラスの感覚からくるマイナスのギャップなだけ。
この起点が「マイナス」だと「場違いな人を見下げる」ようになるので注意ね。
そもそも論として、療育をはじめられないのは。
①「自閉症の親ってこういうことする(のが当たり前なんだ)」という親のイメージ(認識)が構築できていないこと。
②「その自閉症の親ってこんな感じ」というイメージを自分に取り入れることができていない」
①の段階は「イメージ」だから。
空気感のように伝染することが可能なのです。
教室にいる30人の生徒の18人くらいが(あるいは10人でも可能)「宿題していくのが当たり前」という①のセルフイメージを持っていすとします。
すると、空気感として「そのクラスの生徒はみんな宿題出すのが当たり前」という空気感になる。
これは伝染するのです。
進学塾に行ったら、マンスリーテストってあるじゃない?
そういうのが「その雰囲気を作る」わけです。
逆にその進学塾の生徒が。
「ゴリゴリ勉強している奴=ダサい」というイメージを持っていてそれが空気感として場に伝染して雰囲気がつくられた教室にいったら
浮きます。
人は「自分が住む世界」を無意識に感覚的に「違い」によって、認識し。
「自分がいてもいい安全な世界に所属しようとする」のです。
この場合の安全な世界とは「よく知っている世界」のこと。
あなたのよく知っている世界ってなにかしら?
・自分の価値観
・自分ができること、自分が思っていることと一致していること
・自分がすでによく馴染んでいるモノ
馴染んでいる=場違いではない=相応しい
こんな感じ。
(厳密にはイコールではありません)
自分自身のことを「自閉症の療育をやっている想像ができない」んです。
知らない、馴染みがないので「自分と関係ない」と感じやすいということです。
関係ないというは、「世界観が違う」ということにつながります。
あなたは、点字を勉強していますか?
いませんよね。
だって、関係ないから。
「自分とは関係ない世界のできごと」だからですよね?
人は、正論の理由はわかっていてもできないことがあります。
キーワードは「相応しさ」「~している自分(セルフイメージ)」「受け取る」
です。
何かをはじめれないのは、心の奥で。
「(こんなの)私がやることじゃない」(相応しくない)
「(こんなの)私にはできない」(相応しくない)
「(こんなの)私じゃ無理」(相応しくない)
心の深くで、そう思って信じているのです。
自分とは「違う」と。
自分は「それをやるだけの時間も、能力も、精神力も、お金も、知識も」ないと。
相応しくないには、種類があります。
あなたの心の深いところに、「自閉症の母親のモデルイメージ」というのがあるはずなんです。
誰でも持っています。
診断がついたばかりの人がいたらチャンスです。
これは本当にチャンスでして。まだ「自閉症の親ってどういうことなの?」というのが白紙だからです。
もし、今までのメディアや新聞、雑誌、世間で作られた印象からインプットした「自閉症の母親のイメージ」はあったら捨ててください。
そのイメージはあなたが作ったのではないです、世間の幻想です。
障害の親は幸せになれない。(なる資格がない=相応しさのエラー!”!)
障害の親は、迷惑をかける存在だから、世間様にペコペコしなければならない。(存在次元の設定エラー”!)
生産性のない迷惑をかける子どもを産んだから、申し訳ない。(存在次元の設定エラー!)
このような無意識の設定は、幻想だと知ってください。
このような設定(無意識でのイメージ)があるから、そのようなふるまいや生き方をしようとしているのです。
うーん・・・。
障害の親子は「不幸」って世界を自分で選んでその通りに生きてしまう。
という感じですかね・・・。
ですから、診断直後は親は「自閉症の勉強」なんてしなくていいんです。
私もしてないです。
セルフイメージが整えば、嫌でも自然に勝手に学んでいくので。
勉強より、「自閉症の親ってどういうものなの?」というイメージのモデルをたくさん見る。
しかも「成功例」です。
そして「自閉症の親って療育をするのが当たり前」のようにセルフイメージを構築してください。
LINE使うのが当たり前くらい、
「みんなやってる。」
っていう状態になれば、勝手に「療育ができる自閉症の親」になります。
するとむしろ「なんでみんな療育やらないの?」っていう気持ちになってきますんで。
こういう気持ちになる人は、自分の中のセルフイメージが「自閉症の親は療育やってふつう。」になっているです。
この当たり前の感覚にいかに早く持っていくか?が勝負です。
私は、診断して一冊目の本でそれができたのはラッキーでした。
自閉症の育児で初めて買った本「アスペルガー症候群の子育て200のヒント」
この記事を読んでいただけるとわかるのですが
私は診断後、「自分は自閉症の親なんだ」と思いました。
でも、自閉症の親ってなんだろう?って思ったんです。
だから、自閉症の親のモデルが必要でした。
自閉症の親のイメージは、白紙でした。
これ、本当に私はラッキーだと思っているんですけど。
めちゃくちゃ重要なこといいますね。
「母親ってこう」っていうイメージは、知っていることの中でしかできません。
だから、基本的に自分の母親のイメージを取り込んでいるはずです。
でも、自閉症の親って育児書にもないし、一般的に自閉症の療育をする親として世間で認知されてきましたか?
してないですよね。
つまり、自閉症の親として、新しいセルフイメージを作りやすいってことなんです。
もし、あなた自身が「支配的で子どもらしくいられなかった幼少期を過ごしてきた」とします。
それは「母親のイメージとして、自分が親になったときに、同じ子育てをしてしまう設定」可能性を示唆します。
でも、あなたが生きるのは「自閉症の親として」です。
これがすごくいい。
新しく自閉症の親として設定しなおせるからです!!
つまり、転職できるみたいなイメージです。
新しい人生が開けるわけですね、過去からの縛られているあなたはいないんです。
よく私の親は毒親だから、私はうまく子育てできないという人がいます。
その人は、自分から縛られに行っているわけです。
自分から「毒親の支配下に生きていますよ。自分の力で未来を創るのをあきらめています。私にはそんな力はありませんので。」と、自分から呪われに行っているのです。
呪縛なんてないです。
あと、不幸や幸福というのは主観です。
ですから、すぐにでもあなたは幸せになれます。
幸せに生きる世界を選択すればいいだけだからです。
障害を持った親子は幸せになれないという呪いにかかっている人は、自分がその呪いにかかりたくて不幸になりたいから選んでいるだけです。
障害を持っていても幸せになる世界(人生)を選択すればいいんです。
あとは、勝手にどうとでもなります。
まずは、自分で選択しているということに気づいてください。