どうやったって障害という事実は変わらないんだから
「幸せに子育て」なんて綺麗ごとで現実をねじまげてるだけじゃないの?
私は、このような気持ちになったことがあります。
やっぱり親ならば誰でも子どもの幸せを願うものです。
なので、障害があると診断された直後は驚きと悲しみでショックを受けて現実を認めたくない気持ちが出るのが当たり前の感情です。
それでも、あなたが幸せに人生を歩むためには、少し落ち着き始めたら考え方を前向きにしていかなければなりません。
だからそういう障害児育児でも前向きな考え方ができるんでしょ?
私はもともと、たぶんですが機能不全家族と思われる母子家庭に育って、就職したのですが、パニック障害になり生きずらい日々を過ごしていました。
10年くらい今も通院し続けて、成人発達検査でアスペルガーグレー診断を受けています。
ネガティブで不幸体質で自己肯定感も低くて、人に嫌われたくないという気持ちで人生を生きていました。
そんな私でも、「このままではまずい」と自分と向き合った結果、不幸なマインドセットから抜け出せると、世界が変わったことがわかって未来に希望を持てるようになりました。
子どもが障害児であることの関係なしに、不幸体質という人はいるんですね。
不幸体質の人は、たとえ定型発達の子どもが生まれたとしても、人生でずっと満たされない気持ちを抱えたまま生きることになります。
そのまま育児に不幸体質をあてはめてしまわないために、今回は私がやって効果的だった考え方を公開します。
障害児の育児を楽しむコツを押さえれば辛い気持ちから抜け出せます
障害児の育児を楽しむコツは「あるものに目をむける」
障害児の育児を楽しむためには、「ない」ものよりも「ある」ものに目をむけることがとても効果的でした。
障害児が持っている「あるもの」に視点を移動させるのです。
人の脳では、意識したものが増大していくという法則があります。
障害のある子どもの「足りない部分」「持っていない能力」「できないこと」に意識が向いていると、その「欠乏感(この子は足りないだめな存在)」がどんどん増大していってしまうのです。
人は、意識しているものしか増やすことができません。
「足りないもの・不足している」点に注意をむけることは、不幸しか生み出しません。
なぜならば、「ないもの」は活用することも、感謝することもできないからです。
ないものに目を向けても、ないんですから現実的にはどうにもならないのです。
「ないという現実」を思い知らされる(不足感・足りない・欠乏している感覚)が増大して、不幸感が増えていくだけです。
ないものをないと認識して、受け入れることができていないということなのです。
ないものをないと認めることができないと、上記のように「怒り」へと変わってしまいます。
基本的に、怒りは「悲しみの副産物」です。
ほんとうは・・・
悲しい・・悔しい・・・
ほんとうは、心の中であなたは悲しいのです。
しかし、そのあなたの悲しみをあなた自身がうまく認めてあげれない場合は「フラストレーションとなって怒りへと変わってしまうのです。
まずは、「悲しんでいる自分がいる」ということを自分自身で認めることが必要です。
【コツ】自分の悲しみの内容を自分で理解してあげよう
我が子には障害があったという悲しみを乗り越えるために次にすることは、「障害=悲しいこと・悪いもの」というマイナス認知を変えることです。
そのためには、あなたが感じている悲しみを認識したあとに、さらに深く「何が」私はこんなに悲しいのか?とはっきりと自分で理解してあげる必要があります。
それができないまま「なんだかわからないけど悲しい」では、いつまで絶っても障害児という言葉に自縄自縛されます。
障害を受け入れることができないパターンは以下のとおりです。
- 自分の理想の人生(子ども観)が崩れること・達成できる未来の可能性が絶たれたことへの悲しみ
- 信じていた子ども(健常児)が幻だったことの子どもへの喪失感(悲しみ)
- 理想と現実のギャップが強すぎることでの現状へのあきらめに近い悲しみ
こんな感じですかね。
まず、悲しみというのは「喪失感」であるというのを理解してください。
私は「何」を失ったと感じているのだろう?
この場合は「障害は悪いものである」というイメージなので、「障害は悪いものではない」という感覚を、頭でなくて心の面で理解していく作業が必要となります。
そのほかにも、さまざまな要因で障害児の育児に対しての「楽しさ」を感じるフェーズまでいけないこともあるのですが、すべて出してしまうと膨大な説明になってしまうので、ここでは触れません。
障害の子育ては「自分の認知の問題」をすべて浮彫りにする【変わるチャンスと捉えよう】
人の認知というものには3種類あります。
- 自分自身(自己)への認知
(自分が自分をどう思うか?) - 他者への認知
(自分が他者をどう思うか?) - 世界への認知
(自分が世界をどう思うか?)
この中で、例えば自分が自分をどう思っているか?(自己認知)において、例で「有能な自分でいるべき」「能力が高い自分でこそ価値がある」という思い込み(不適応なスキーマといいます)がある場合、障害=悪いイメージを変えても変わらない場合があります。
なぜならば、「障害児=能力が劣る存在」という本人の中での事実としての認識を「自分は能力の高い自分でいるべき(=他者も能力の低い人は無価値である)」という思い込みが受け入れるのを邪魔するからです。
と言っている女性がいる場合、その女性が「年収300万」の男性と付き合うこと本来ありません。
なぜならば、価値のない男と付き合うと自分の価値が低いと思うからです。
これと同じでして、自分のことを「能力が高いから価値がある」という思い込みをしている場合、自分の人生に「障害のある子どもはいらない」となってしまうのです。
こんなの生産性のない社会のお荷物じゃん!!育ている意味ない!!
このようなことを言っている女性がいたとしたら、その場合「能力がある=価値が高い」という不適応なスキーマがあります。
反対にいうと「能力のない人は無価値である」という思い込みです。
そのような事例の場合は、2つの選択肢をするしかありません。
- 能力のない人=無価値という思い込み(自他ともに無意識に適用されます)を修正する
- 子育てに不満・不幸を感じながら生きるか。(あるいはこんな子どもいらないので施設へ手放す)
子どもを取り換える(障害のない子どもに変える)=価値のある子どもに取り換えるか、自分の脳みそを取り換えるか?
2つしかありません。
子どもを手放すか捨てることはあまりできにくいので、「我慢して生きる」か、自分の古い脳みそを捨て去るかのどっちかです。
それができないならば、ずっと「私の人生は不幸だ」といって社会や他人に怒りを感じながら生きていくことになります。
ちなみに、事例として「能力がない人=無価値」というよくあるスキーマを事例に出しただけであって、要素は人それぞれ違います。
こんな感じで漠然としている「自分の中の悲しみ」の内容を掘り下げていってください。
もしかすると、あなたは「子どもは私を幸せにしてくれる」という不適応な思い込みがあったのかもしれません。
その場合は、「他者が幸せにしてくれる」という視点なので、他責思考が強まって怒りの出方はこのようになります。
子どもに障害さえなかったら私は幸せになれたのに!!
障害の子のせいで私は不幸になった!!
このばあいは、障害だからというよりも「思い通りの幸せを他者が与えてくれない」という悲しみが怒りになっているだけです。
このような人は、人生の責任は自分が持っているという意識が足りていません。
自分が幸せになるために努力をするという意識を持ち合わせていないため、他者のせいにするのです。
主体性や責任感の問題になってきますが、やはり修正するのは母親自身の認知です。
障害の子どもを丸ごと受け入れてハッピーな子育てができる状態になるというのは、その母親自身が「自分の心の認知の歪み・メンタルの問題」に向き合わなければならないということなのですね。
かなり厳しい現実になってしまうのですが、事実ってそうだと思います。
自分は未来をクリエイトできるという感覚を手に入れよう
ここまでで、自分の中の「怒りと悲しみ」をしっかりと観察して、気づけたと思います。
気づけるだけでも認めることになりますから、紙などに書いてみてください。
さて、そのあとにすることは「障害があると幸せになれない」というのを「障害があっても幸せになるかどうかは自分の行動と選択次第である」という感覚に変えて行動していけばいいだけです。
こちらの記事も参考にしてみてください。
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そのためには、自己効力感や自己肯定感を高めることです。
これも細かく書いていると膨大な説明になってしまうので、好きなことをしたり、どんなに小さなできたことでも手帳にメモしていくなどでコツコツ高めましょう。
まとめ
今回も長くなってしまいました。
私自身、本当に障害の子どもを持つことで、自分が変わらなければならないということを教えてもらったのです。
変わらなければ、幸せにならないので。
この記事が困っている誰かの気づきになれば幸いです。