子育て失敗と思うことが失敗と気づいた【体験】

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親の悩みコラム
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みなさん、こんにちは。
高機能自閉症の子供を育てているぴょんたろうです。

このような悩みはありませんか?

「子育てで失敗したら怖い(するかも)」Or「子育て失敗した、もう終わった」

 
今回は、「子育て失敗すると思っているのはわりと幻想だよ」っていう話です。


子育て失敗したと思うのはどういう時でしょうか?

考える人
考える人

いうこときかない子に育ってしまったとき?
不登校になったとき?
嘘をついて学校をさぼるとき?

犯罪をするようなことをするとき?
ニートになって堕落した生活を送っているとき?

筆者の子供は不登校になりました。

そのとき、「自分の子育ては失敗した」と思いました。

つまり、学校に行けているわが子=「子育てを失敗してない状態」と思っていたということです。

なぜ、「子育ての失敗はわりと幻想」なのでしょうか?

今回は自分の親としての「失敗体験」から、気付いたことを書きます。

もし、今現在、子育てを失敗したかもしれないと後悔している人がいたら読んでいただき気持ちを切り替える参考になれば嬉しいです。

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子育てを失敗した私の思考は「二極論」だった

成功か「それ以外か」

いきなりローランドさんに謝らなくてはいけないかもしれませんね。

筆者は不登校の子どもを追いつめていたとき、以下のように考えていました。👇

学校に行けている子供=子育てに成功している
学校に行けていない子供=子育てに失敗している

これは無意識です。

学校に行けてない「いわゆる不登校の子供を見て」

考える人
考える人

ああ、子育てに失敗したんだな

といちいち思わないですよね。

でも、自分の子供が不登校になったり働きたくないとニートになったらどうでしょう?

なんとなく「子育てに失敗したかも」と思いませんでしょうか。

失敗するという言葉はローランドさん風にいうと「成功する以外はすべて失敗だ」という意味なのです。

ローランドさんの「オレか俺以外か」という言葉は

たくさんいる男性を2つにわけてしか見ていないよね。
(二極論)

 

いま、調べたのですが二極論ではなく「二元論」というようです。

筆者は感覚で単語(造語)を勝手に作っているので、それに該当するものがあるかわからないので調べました。

身近な二元論の例は以下のとおり👇

・いい子(悪い子)かダメな子か?
・障害のある子供か?障害のない子供か?
・叩く子か?叩かない子か?
・失敗か?成功か?
・勝ち組か?負け組か?
・学校に行けているか?行けてないか?

おやおや?
人間はたくさんいるのに「勝者と敗者」の2種類だって?

 

 

なぜ親は二元論に陥るのか?

なぜ親は二元論におちいるのでしょうか?

 

驚いた人
なぜそうなるのか知りたい人

えー?どうしてだろう?

 

なぜ、学校にいけていないときのわが子をみて「あー失敗だ」と思うのでしょうか?

不登校になって家で暴れるわが子をみて、「子育て失敗だ」と思うのは、わりと幻想なのですが、当時は幻想ではなくてわりと現実だと思っていました。

筆者の経験なのですが、それはなぜかというと

親(私)が「世間的にいわれる失敗」の基準でしか子供を見てないからです。

世間の基準(常識)を信じすぎると本質を見失う

考える人
考える人

世間の基準?

そうです。

例えばすごいわかりやすい世間の幻想である「勝ち組や負け組」をみてみましょう。

 
・女は子どもを持ってこそ。子供いない女性は負け組。
・結婚できないオレは負け組。
・障害のある子供を産んだから人生終わった

よく考えるとそんなことないですよね。

女性を子供を産めるか産めないか?で見ているなんて

なんて失礼な世間の基準でしょう。

あなたの女性としての価値はそうじゃないのに。

結婚するというステータスはそんなにも価値あることでしょうか?

好きな人ができて好きな人のために何をしてあげたのか、何をお互いにできているのか?が大事なのですよね。

それは結婚しなくちゃできないことですか。

障害のある子供かそれ以外か。

 

世間に刷り込まれたあやまった二元論です。

障害のある子供だったらなんなのでしょう?

母親らしいふるまいか?それ以外か。

うーん。

これも、親を「世間の目という基準」で追いつめてしまいますね。

それもこれも「世間的な基準の二元論で人をジャッジメント」しているのが理由です。

でも、そんなのは違うって心のどこかでみんなわかっているはずです。

それが正しいと思ってそのような物事の見方でみてしまっていることに、たいていの人は気づけません。

そして、自分や他人をその「〇〇か、それ以外か」のどちらかに当てはめてしまうことも、、無意識です。

無意識にやっています。

だからこそ、誰かが指摘する必要があるのです。

親切か、それ以外か。

 

そのときに見たことだけで真実がどれだけわかるのでしょうか?

もし、たまたま「親切でないふるまい」をしたとしたら「その人は未来永劫、不親切なのでしょうか?」

彼が連絡を既読スルーした!!

興味ないのかな・・・ひどい!

おやおや。

愛情表現あるいは、相手を大事に思っていることと既読と返信の速さには相関関係があるのでしょうか。

だって、世間では「既読スルー」は興味がない証拠だってどんなサイトにも書いてあるんだもん。

これも二元論ですね。

世間の目や一般的に言われていることを信じる基準にするよりも、相手のことを信じましょうよ。

 

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子育てに失敗するのはわりと幻想です

幻想なので失敗しない

子育てに失敗するのは、わりと幻想です。

その理由は

・子育てに失敗するという基準が2つしかないことが問題
・二元論の基準で成り立つ世の中のとらえ方はあり得ないから

です。

男性が2種類しかいないはずはありません。

人間の種類も「障害があるかないか?」の2種類のはずないのです。

それと同じで、この二元論は身近な場所で誰もが陥りやすい考え方なのです。

失敗するか成功するか?

それだけ見ていたら怖くて子育てなんてできなくなってしまうのです。

でも、失敗した私が言いますが失敗してもゲームオーバーにはなりませんよ。

失敗したくないという人は、失敗したことがない人なのですね。

失敗したひとはそんなことはいいません。

失敗してもゲームオーバーにならないことがわかっているからです。

伝わりますでしょうか?

失敗してもゲームオーバーにはなりません。

失敗=終わりではない

子育てに失敗しても別にゲームオーバーにはならないので、またやり直せばいいのだとわかります。

でも、失敗したら怖いっていう人は何かが終わってしまうことの怖さを感じているのです。

終わらないです。

終わる場合もあります。

それは子育てを失敗だと思った時点で子育てに失敗しているという事実です。

筆者は子供の不登校のときに子育てを失敗しました。

それは失敗したと思ったことが失敗だったのですね。

失敗したと思うことが失敗なのですから、失敗だと思わなければいいだけなのです。

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【幻想】子育てで失敗すると思うことが失敗です まとめ

・身近な二元論に気を付けよう
・自分は二元論に陥ってないか?他人を二元論でみていないか?
・失敗はわりと幻想です
 
でした。

障害のある子育てをしていると最初は「あるかなし」で判断してしまいがちになります。

ですが、大事なのは目の前の人はどのような人なのか?理解することだと思います。

理解していけば「障害のあるなし」という世間の基準に惑わされないのです。

なぜかというと、それは人が他者をみるときに複雑な要因を排除してにざっくりとわけるときに使うからです。

だから人は血液型で相手をはかろうとするわけです。

でもあなたの目の前にいる大切な誰かのことがわからなかったら知ればいいのですよ。

そうすれば世間の目ではない自分の中の基準で自分や他人を見れるようになるはずです。

最後までよんでくださりありがとうございます。
(*^^*)

 

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