発達障害の親も変なの?

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親の悩みコラム
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こんにちは、ぴょんたろうです。


高機能自閉症の子供の親をやってるぴょんたろうです。

今日もキーワード検索意図をガシガシ収集してた筆者は、聞き捨てならないワードを見つけました。

それはこちら。👇

\(^o^)/

親も変・・・。

私について何か言っている(検索されている)ようですので(誰もいってないけど。)

これは発達障害の親として記事を書かなければ!!という使命感で書くことにしました。

はいはい。変人が通りますよ。

さて、みなさんはこのような悩みはありませんか?

考える人
親の変だと思っている人

発達障害の親もちょっと変じゃね?

 

考える人
自分も変なのかもと思う人

この子は発達障害で変わっているけれど、もしかして私って変なのかもしれない。

 

結論からいいます。

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発達障害の親も変なの?【正解です】

半分正解です

一応、またそのパターンかと思うかもしれませんが、正確には半分正解です。

なぜかというと、「変か・変じゃないか?」というのは

主観だからです。

感覚の問題だからです。

つまり「それを美味しいと思う人もいればまずい」と思う人もいらっしゃるのと同じ次元の話だと思うんですね。

ですので、自分で変だと思えば変です。

ある人からみたら変だし、ある人からみたら変じゃなかったりします。

不毛ですね。

なので、すべての人が「変だし普通でもある(変じゃない)」ということになると思います。

ちなみに筆者の卒業アルバムの寄せ書きは「変人・変わってる・変だよね」と言う文字のオンパレードです

筆者の中学のアルバムにはこのように書かれています。

なるべく人をぶたないよーにしなさい
声がでかいよ
変なんだよぉ
かなり変なキミへ
変人へ。
(筆者の卒アルの寄せ書きより引用)

なんなのでしょう?

みんな友達だと思っていたのに、ひどいです。

中学の私は人をビシバシぶっていたのでしょうか?
そんなことしていた覚えはまったく記憶にございません。

記憶にございません。

おばちゃんになると、人は人を

「やだあーーもう」

と言いながらビシバシぶってきますが、私はもう中学にしておばちゃん化してたということでしょうか?

身に覚えがありません。

時空を超えて先取りですね。

自分で変だと思えば主観なので変なのでしょうし、筆者のように「客観」で「変わっているね」と言われたら
それはそれで変なのでしょう。

中学の友達がひどいのは「変だよね」といっておきながら「どの辺が変わっているのか?」

教えてくれないところです。

まあ、教えてもらったところで・・・

直しませんけどね。

周りから「変だよね」と言われる場合は変かもしれないことに気づこう。
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変わっているのは世間からみたらということ【自分の中では普通です】

変人とは何か

そもそも変とはなんなのでしょうか?

変な人とは

奇人ともいう。奇人とは、性格や行動が奇矯で普通ではなく、一般の人とは異なっている人のこどである。変わり者ともいう。

(Wikipediaより引用)

 

変わり者・・・。
さらに調べていきます。

検索して出てきた4位目の「生活百科」さんのサイトで調べてみましょう。

変な人の特徴24
群れない
人に関心がない
人と違う行動をする
人と違う発想をする
生き方が自由
異常な執着心をもっている
際立ったユーモアがある
真面目に変なことをする
話がぶっ飛ぶ
周りの目を気にしない
常識が通用しない
変な趣味をもっている
独自のこだわりがある
空気が読めない
独特なファッションセンス
芸術家のような絵を描く
変化を追い求める
人づきあいが狭い
自己顕示欲が異常に強い
プレゼントが個性的
恋愛観が独特
変なところで笑う
独り言が多い
何故かお金を持っている
(参考:生活百科より引用)

なるほど・・・・。

いい仕事しますね。生活百科さん。

だいたい当てはまっています。グッジョブ!!!

そして、どんどん「あ、これ発達障害の特性にもあるなあ」と思えてきます。

へっへっへ。

えっ?なんです!!

変なところで笑わないでください。

読者に誤解されますので。

(まあ。自分で書いているんですけどね。)

筆者的には、「変なところで笑う」のは変人というよりも変態っぽい感じのイメージが沸きます。

 
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「発達障害の親も変だよね」とはどういうことを意味するのか

発達障害の親の社会的位置づけの変化

さて。
筆者が変わっているのはおいておきます。

それよりも大切なポイントがあります。

発達障害の親って変だよねー

(親も親だよねえ)

 

・・というのは、発達障害の親じゃない人の「社会的な周りの声」です。

客観的な評価ともいえますね。

つまり「社会的な親としての位置づけ」が「変だよね(ずれている)」と感じる周りの人が言うわけです。

そのように感じてしまう理由にはどのようなものが挙げられるのでしょうか?

社会的な親としての位置づけってなに?

親とは社会的にどうあるべきか?

という普遍的な感覚の違いが

驚いた人
発達障害の親も変だと思っている人

「発達障害の親もも変じゃない?」

このような「嫌味 問題提起」を生み出します。

社会的な親の位置づけが一般的と違うということは「その親は親としての行動の規範がずれている」と思われていると言い換えられますね。

そのように思われてしまう理由としては以下があります。

 

子供の障害を受容できないので親として行動が定まらず親として一般的に受け入れられる
 行動がとれるまでに至っていない

親ならさー自分の子どもに障害があっても愛するの当たり前だよね

 

どうして早く診断につれていってあげないんだろ?認めないとか親としておかしいんじゃないの?

やっぱり親もあまり社会性ないわ。空気読めないし(笑)
そんなだから子供が発達になるんだよね。
親子でひきこもりなんだよ。

これらは「親って普通はこういうもの!!こういう行動をするべき!!」

という同調圧力みたいなものなのです。

親としての社会的な当たり前のふるまい。

それができていない場合に、世間は同調圧力となって発達障害の親に牙をむくのです。

これは発達障害の親にとっての牙なのです。

だって、世間の「理想像の親」を押し付けることは、障害のある子どもに「普通の子供ってこうあるべき!!」といっているのと同じなんですもの。

社会の目と自分の気持ちの葛藤があるのが障害の親。

でも、そんなのは気にしないでいいのです。

世間はあなたに「こうあるべき!こうしろ、ああしろ」と言います。

ですが実際に、あなたのお子さんの責任は一切とってはくれません。

同じ立場になったら、その人は自分の「こうあるべき」をできるのでしょうか?

それは誰にもわかりませんよね。

もし障害の子供を持って親としての在り方に苦しんでいるあなたがいるとき、それに何かを言う権利があるのだとしたら「それを実際に体験したものだけ」です。

でも、体験した人は言わないでしょう。

あなたの辛さがわかるからです。

つまり「発達障害の親って変だよね」と言ってくる人は体験していないからこそ言っているわけですので、気にしないでいいのですね。

「発達障害の親の普通」は色々ある。
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社会的な「発達障害としての親」の位置づけって?

発達障害は日本でどうやって位置付けられてきたの?

発達障害の親としての社会的に受け入れられる(変じゃない)ふるまいとはどのようなものでしょうか。

それを紐解く前には「発達障害」自体が日本でどのような位置づけをたどってきたのか?知ることが大事です。

ざっくりと説明しますと、2000年代になった日本では、発達障害を理解されないまま大人になった人の問題が社会問題として認知されるようになってきました。

 

そして、精神医学会だけではなく、法律、心理学、家族社会学などの専門家が話し合いに話し合いを重ねた結果。

社会全体の問題として発達障害者を支援していくことにしよう。

えーと色々、整備してね。

 

これが、2005年に施行された発達障害者支援法です。

今まで社会福祉のすきまに落ちこぼれていたものを、社会的にすくいあげて支援していこうということです。

それに伴い、全国の都道府県では発達障害支援センターが作られるようになり、発達支援・就労支援、相談支援、啓発支援および研修などの4事業が取り組みを始めたのです。

今の時代は核家族化が進んだからね。

発達障害の親子は社会から切り離されて孤独なワンオペ育児に陥ってしまいやすいんだ。

 

発達障害の親の在り方とは?

社会的な親としての居場所・位置づけは

定型発達の親からは「変だよね、関わりたくない」といわれる始末。

社会的な親の位置づけが一般的に受け入れられるものとして機能するにはどのような位置づけがベストなのでしょうか?

 

考える人
考える人

うちの子が迷惑をかけてすみません・・・と障害をわかっている親?

いえいえ。

障害を認めない親って迷惑だよね!!

 

確かにこのような声はよくきかれます。

筆者も高校時代からの友人でお子さんが定型のママ友がいます。

その学校ではあきらかに周りからみたら発達障害なのに、親は放置しているのですね。

そしてその筆者の友達が言うには(障害を認めない)発達障害の子供のお世話役にさせられていて、辛いというものでした。
発達障害が疑われる女の子ですが、登下校のときに友達をつきとばりたりしてしまう、男の子に殴り掛かる、車道に飛び出す。

でも、肝心のその子の親は登下校につきそわないのだそうです。

だから自分の子どもが信号待ちで車道に背中をつきとばされたりしたら、怖いというので毎日、親側が登下校に付き添っているのだと。

驚いた人
驚いた人

そういう親が「発達障害の親って迷惑!!変なんじゃないの?自分の子どもなのに」と周囲の親に思わせる原因となるんだね。

つまり、迷惑をかけてそれを謝る云々の前に「お子さんにちゃんと支援してあげてほしいよ」ということなのです。

それを友人は言っていました。

でも、その小学校(市は違うのですが)の定型発達の親の素晴らしいところは、不満がありつつも「障害を放置している親にかわって発達障害のことを調べたことです。

そして、その女の子の机に隣の子の筆箱が侵入してきたとき。

きーっ!!

となっていつもひっかこうと暴れるそうなのですが

周りの親は

「あーはいはい。自分の領域に入っちゃったからね。いやだったんだね」

とその障害があるかもしれない子の気持ちを理解しようとしていることです。

周りの親の「発達の親って変だよね」は決して悪口だけの気持ちではなく、「どうしてもっと子供の勉強や支援をしないの?」


子供が可哀そうだよ・・・。

という気持ちも含まれているのです。

筆者に話してくるのはどうかとおもいますが、私はどちらの気持ちもわかるので複雑でした。
(´Д⊂ヽ

 

どんな親も願いは同じ

同じ親として、定型発達の親も思いは同じです。

いくらよその子だって、子どもが元気に笑顔で過ごしてほしいんですね。

だから同じ親として「理解できない」ってなる。

・支援される対象としての親
支援する側としての親

親のめざす社会における発達障害の親の在り方としては行政は前者を支持するかもですが、親としての在り方としては「親が子どもに与える側」(支援する側)に回るのがもっとも社会に受け入れられやすいと思います。

子供を一日中見ているのは親です。

どんな時でも、味方でいれるのも親でしょう。

そうなってきますと、泣いてばかりもいられないのが親なのだと思います。

社会からの同調圧力で動くのではなく、自分の力で立ち上がれる親は美しいと思います。

人間の美しさとは、頑張っているときではなくて転んでもなおたちあがろうと頑張っているときです。

あなたが転んでしまったことに関心はない。
そこから立ち上がることに関心があるのだ。

アブラハム・リンカーンの名言

 

障害の子供を持つ親は過酷です。

ですが、障害がある環境であるのは問題ではなくてそんな中でも立ち上がろうとしている人間がもっとも輝いてると、リンカーン元大統領はいっているのですね。

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発達障害の親も変なの?まとめ

発達障害の親は変だと思われるかもしれません。

ですが、大変な環境は誰にでもあります。
それに負けずに奮闘することができるのが、人生のいいところじゃないでしょうか。

スイスイ進む人生って面白くないので。(苦笑)

筆者もよく泣いて転びまくります。

ですが、その痛みがあるからこそ人生の楽しさや充実感があるのもまた事実なのです。

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