してませんか?発達障害の子供への誤った支援方法

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怒らない子育て
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ぴょん太郎
ぴょん太郎

高機能自閉症スペクトラムの子供を育てている、ぴょん太郎です。

昔と違って世間に「アスペルガー症候群」や「自閉症」の言葉が広く認知されようになりました。

それにつれて、特別なニーズを持つ子供への支援方法も少しずつ広まっていき、ありがたいことに学校などでも、教育に熱心な先生方も増えてきたことと思います。

ですが、世の中に広く認知されると必ず出てくる問題があります。

それは「支援についての誤解」です。

かくいう筆者も、もちろん例外ではありません。

時にはひとりよがりな支援をしてしまったことで、知らずに子供を傷つけてしまったこともあると思っています。

今回の記事では、筆者自身の反省の意味もこめて、発達障害の支援ではどのような誤解が生まれやすいのか公開していきます。

・支援をはじめたい親御さん
・発達障害の子どもに携わるすべての教育関係の方

を対象にした記事です。

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発達障害の子供への支援方法の誤解①「できない子」

できないのではなく違いがある子ども

筆者をはじめ、多くの人は子供の診断が下りると「障害者」という言葉に目がむいてしまう方は多いと思います。

どうしても「できない子=子供自身に障害がある」と考えてしまうからです。

でも「できない」のではなくて「脳の処理の仕方が私たちと違うだけ」なのです。

実際に、それによってある分野においては、私たち定型発達にはない才能が見られたり

適正があることも事実です。

AD/HDの方ならば起業家にもむいているかもしれません。

すべてのものは「表裏一体」です。

長所は短所にもなりえますし、短所は長所になりえるのです。

【参考】自閉症の短所を長所に変換表の記事はこちら

  →→→→ (作成中です。)

「できない」ではなく「違いのある子ども」というように視点を変えてお子さんをみてあげることができれば「違いを面白いもの」として受け入れることができると筆者は考えています。

 

それは、外国の方の文化を「受け入れて尊重すること」に似ています。

違いを楽しみ、驚き、そして敬意を払うことは、人としての多様性を認めることにもつながっていきます。

 

できないことを「できない」と受け止めてしまうとどうなるでしょうか。

違いをさげずみ、呆れ果て、そして馬鹿にすることをしてしまうのです。人としての多様性を認めることができない狭い常識に縛られてしまうことでしょう。

人と違うことは、悪いことではありません。

すべての人間は、多様性の中で生きています。

自閉症の方の受け止めかた=文化の違いを理解させてもらうために、私はこうしてブログを書いているのです。

彼らや・彼女らのことを「よく知りもしないのに偉そうにわかっているフリ」をすることは、自閉症の方たちへの侮辱にすらなってしまうのです。

できないのは処理に違いがあるから。脳の処理の違いがあるなら、処理の違いに効果がある方法を学んで実行すればいい。
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発達障害の子供への支援方法の誤解②「しなくていい」

一人でしたい、自分にもできるはず

誰だって「自分のことをできないだめなヤツ」だなんて、思いたくはありません。

筆者もそうです。この記事を読んでくれているあなただって同じはずです。

思い出してみてください。

あなたが赤ちゃんだったころ。

世界を知りながら自分の存在を認めてくれる人がいたから、自分はこうして大きくなっていま・ここにいるのです。

もし、自分がしたいなと思った「好奇心や自立心」あるいは「チャレンジ精神」を、ことあるごとに、それも笑顔で「あなたは無理してやらなくていいんだよ」と親や先生がいったとしたら?

 

本当は一人でやってみたいし、「自分にもできる」って信じたいのに「なんにもやらせようとしてくれなかったら」どうでしょうか?

そんな「自分にもできるはずだ!」という気持ちは、発達の段階で誰にでも起こりえるのです。

もちろん、自閉症の方にも起きます。

もし、その「一人でできるはず」という気持ちが芽生えたときに、もし「できない自分」に気づいてしまったら、自閉症の子どもは自尊心が大きく傷ついてしまいます。

 

私たち親や教育関係者がやるべきことは

発達障害の子供を「苦手だから(できないから)やらなくていい」と言う
発達障害の子供がどうしたら「(苦手なことを)できるようになるか?」
サポート(支援)すること

 

なのです。

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発達障害の子供への支援方法の誤解③「構造化すれば言うことをきく」

視覚支援は彼らの理解を促すためのもの

自閉症では、認知の処理の違いにのために身の回りの環境を理解することが難しいことがあります。

構造化や手がかりを増やして、自閉症の方が理解できるようになると私たちはその支援ツールを「とても便利なアイテム」のように思うことがあります。

①意思疎通ができること
②自閉症の方の受容が促されること
 
この2つをまとめて、支援者は自分の都合による解釈で「便利だ」と思ってしまうことがあります。
 
視覚支援や構造化は、自閉症の方の理解が促されるものです。
正しい意味と理解を伝えるためのサポートするためのきっかけに過ぎません。
 
 
 
構造化によって「彼らが私たちの世界の意味を理解できるようになることと、「自閉症の方の意思」はまた別のところにあります。
 
「構造化やスケジュールをやっているのに指示に従わない」というのは当たりまえに起きることなのです。
 
私たちも、「これやるんだよ」と言われても「いやだ」と思うことはあります。
 
指示を理解できた=「必ず指示に従わなければならない」わけではありません。
 
筆者もそうですが、つい私たち親は「視覚支援や構造化などを使っているのに子供がやってくれない」ことを効果がないこと支援と決めつけてしまうという誤解が生まれやすように思います。
 
それは間違いで、自閉症の方にもそれを「いやだ」と思う権利はあります。
 
 
 
やってくれないとき、私たち親や支援者はすぐに効果がないと決めつけずに「動機付け」などによって「どうしたらやってくれるのか?」などの別の視点から対策を講じる必要があると思います。
 

【支援方法】「ご褒美シールなどの視覚化で外発的動機付けを行う」記事はこちら

→→→→(作成中です)

 

構造化や視覚支援は、自分の指示に従わせるためのものではない
 
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発達障害の子供への支援方法の誤解④親が嫌だから治したい(子どもは困っていない)

子供の視点で考える

自閉症の子どもを育てていると、親は日々色々なことで悩みます。

特に未就学児では、家では一日中、24時間お子さんと過ごすわけですから、お母さんの悩みは日常に肉薄しているものと言えます。

・家でウロウロする
・独り言ばっかりいってコミュニケーションがとれない
・親のことを求めるような行動が出ない
・お友達が少なくて心配(本人は平気そう)
 
他にもたくさんの心配事があると思います。

ですが筆者が療育のK先生によく言われたことがあります。

それは

「それって誰の視点(の困り感)ですか?」という言葉です。

結論からいうと、学校の先生も家での親もそうですが、「親自身が困っていること」=問題だととらえてしまうことが多くあります。

 

これがなぜ起きてしまうかというと、療育の先生が指摘してくださったように、しばしば「視点が自分にむいているから」なのですね。

 

家でウロウロすることで本人は気持ちを落ちつけているのかもしれません。

独り言は、自分の思考を整理するために自然と出てしまっているのかもしれません。

親を求めてくれないのは発達の心配という面もあるかもしれません。ですが、多くは「母親の自己愛」(自分に甘えてくる子供、ママを求めてくれる=自己重要観が満たされる)の問題かもしれません。

友達がいなくて困るのは、もしかすると「親が友達がたくさんいたほうがいい」という親

の価値観や先入観のせいかもしれないのです。

 

つまり、「その問題は子供が本当に困っていること・解決すべき問題であるのだろうか?」という視点を常に持ちましょうよ、ということをK先生は教えてくれていたのです。

それをなんでもかんでも親の困りごととして、相談してしまっては「目の前にいる子供に必要な支援が届けられない」のです。

親は、子供が幸せになるために存在しています。

子供が親を幸せにしてくれるのではないのです。

支援をするためには、まず親や子供にかかわる支援者自身が適切な視点を持つことがとても大切なのだと思うのです。

 

それは「誰の視点なのか?」考える癖をつけよう。
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発達障害の子供への支援方法の誤解⑤「自閉症の子供に同じ支援をする」

特性はみんなさまざま

これもK先生によく言われたと記憶していますが、「自閉症の特性は人によって千差万別」だとおっしゃっていました。

どうも私たち人というものは、「A型は几帳面だ」「B型はルーズでマイペースある」のように人をあるカテゴリに所属させてラベリングしてしまうという思考の癖があるようです。

・うちの子は「自閉症なの」
・自閉症って〇〇が苦手なんだよね。
・あなたは自閉症だからこれが好きだよね、(あるいは)これは嫌いだよね
 自閉症のあなたは「こういう行動をとるはず」
 
 
三段論法ではないですが、このように自閉症というくくりで子供を見てしまっていると、子供よりも自閉症の特性が先行してしまうことがあります。
 
そしてその結果、知らず知らずに子供を「自閉症ってこうなんだ」とあてはめてしまうことがあります。
 
それは血液型で「B型ってルーズだよね」と言っているようなものです。
 
自閉症の方も10人いれば10人、特性の出方には違いがあります。
 
マニュアルや型どおりの支援を子供に強制させることは、ほんとの意味での支援になっていないのです。
 
大事なのは、「自閉症の特性を理解したうえで自分の子供にあう支援はなんなのか?」を考えることです。
 
いわば「オーダーメイド」なんだと思います。
 
誰だって、4つしかない血液型で決めつけられるのはつらいのではないでしょうか?
 
「AB型の取扱説明書」という本を見ながら「はい。あなたはAB型だからこうしてください。ああしてください」と言われたら・・・
 
とても嫌な気持ちになると思います。
 
これは自閉症の方も、そうだと思うのです。
目の前の自分をみてくれていないように感じるからです。
 
自閉症を含めた発達障害の方もちゃんと心があるし感情もあるのです。
 
私たち定型発達と同じように傷つくし、悩んだり、悲しんだりします。
 
もちろん、自尊心もプライドもあります。
 
それを尊重して、敬意を払って支援をするのは人として最低限のマナーだと思います。
 

誰でも自分をわかってくれる人に心を開く

自閉症の方は、周囲の人や社会のサポートが必要です。

ですが、それと同時に、わかってくれない人には心を閉ざしてしまうこともあり得ます。

これまでに延べてきましたが、中途半端な優しさは無理解からくることが多いです。

「できないからやらなくていいよ」も一見すると障害に対する配慮に思えます。

ですが、それは「自閉症の子供がやりたいと思ってるとき」にはそれは優しさではなく、傷つけてしまう言葉になってしまうのかもしれないのです。

もし、幼稚園の先生に「〇〇くんはダンス苦手そうだから発表会は不参加でいきましょう。そのほうがお母さんも気楽でいいですよね」と言われたら、親は「できるかもしれないのに、どうしてうちの子はできないって決めつけるの」と思うかもしれません。

それと反対に「〇〇くんはも5歳なんですから、家でもっとちゃんと練習してきてください。ダンスが踊れないのは〇〇くんだけですよ」と言われても、やっぱり傷つきます。

 

その心のうちは、「うちの子どものことわかってくれない」という気持ちです。

 

自閉症の子供も、同じことを思うのです。

「自分のことをわかってくれる人がいるならば安心して頑張ってみよう」と思えるんじゃないかと思います。

それが、お母さんであったり、学校の先生であったり、習い事の先生であったり、近所のおばさんであったり、趣味の仲間であったりすることがあるかもしれません。

お子さんのことをわかってあげられるように、自分がなるか、子供自身がわかってもらえると思える人を探してあげてほしいと思います。

 

筆者としては、どんな子供も両親が好きですからやっぱり「お母さん・お父さん」が子供のことをわかってあげる人になってあげられたらいいなあ、なってあげてほしいなあ、とは思います。

ですが、親は素人ですので、子どものことをわかってあげるために「自閉症に詳しい専門家」の力を借りていくのも手なのではないかな、と思います。

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発達障害の子供への支援方法の誤解のまとめ

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まとめ

自閉症の子育てはとても大変なことが多いです。

ですが、筆者は同時にとても人生のやりがいも感じることができるようになりました。

あきらかに子供がいなかった時よりも、メンタルが強くなりました。小さなことで悩まなくなりましたし、小さなことで感謝できることが増えました。

 

それは、「当たり前のことが当たり前じゃなくなるわが子の世界」を通して、自分の環境がいかに恵まれているかということに気づかされるからです。

子供はほんとうに親を成長させてくれると思います。

 

 

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